インタビュー「終わらない旅の中を生きる 〜旅の快楽への誘いとその可能性〜」(short version) 大野哲也

この記事の所要時間: 646

Ambua Lodge in Central Highlands, PNG

 

※本インタビューは、全体の3分の1くらいのダイジェスト版です。
フルバージョンは2013年4月28日発売の『未来回路5.0』に掲載予定。

 

—— 5年1ヶ月という長い期間、旅をしておられたのですね。

 そうなんです。1993年の5月始めに出発して、1998年の5月終わりに帰ってきました。今となってはもっとやれば良かったなと思ってますけど。

 

—— 長い旅に出る動機みたいなものは何かあったのですか?

 旅に出る前に、1988年から1990年にかけてパプアニューギニアという国に行っていたんです。中学校の教員を休職して青年海外協力隊に参加して、2年1ヶ月。そこでの経験がとにかく面白かった。

 例えば、パプアニューギニアでは貝殻がお金として通用しているんです。正式名称は知らないんですけれど、私たちは桜貝と呼んでました。小指の爪くらいの大きさでピンク色をしたその貝殻が海辺に行くと山ほど落ちているんです。それに穴を開けて糸を通して20センチくらいの長さにしてマーケットに持って行ったら買い物が出来るんです。もちろん、それを銀行に持っていっても預金は出来ないんですが。正式に国が定めた通貨っていうのは別にあるんですけれども、普通の一般レベルの生活だと貝殻が貨幣として流通しているんです。そういうこととか面白いなぁ、と思っていたんです。

 

—— その貝殻の貨幣って、こちらでいうところの地域通貨の本格的なものですか?

 そうですね。貝殻って海辺で採れるから、私が住んでいた山奥ではほとんど流通していませんでした。たまに見ることはあるんですけれども、日常的には山では流通していない。

 パプアニューギニアっていう国は基本的に道路がない国なんです。だから、部族同士が孤立しているっていうか、山の部族と海の部族の交流がほとんどない。その分、部族内はすごく結束しています。大体、700くらい部族があって、言葉も部族の数と同じ700くらいあるといわれてます。それくらい多様性がある国なんです。現在、パプアニューギニアを調査している人類学者によれば、今でも貝殻の貨幣を使っているみたいです。

 それで、そういう経験をして帰ってきて、中学校の教員に復職したんですけれども、繰り返される日常がつまらなく感じました。

 そんなある日、青年海外協力隊の時の友達が遊びに来ました。彼と一緒に酒を飲んでたら「自転車で世界一周とかやったらおもろいでー」っていう話になったんです。実は彼は自転車野郎だったんです。私は自転車にはまったく興味はなかったんですが、彼のその一言に唆されて「そりゃいいな」と思ったんです。

 

—— あまり長期のバックパッカーをやられている方でその後、大学に戻るっていう人は多くないと思うのですが。

 私は元中学校の教員、公務員だったんです。つまり、はっきりいって手に職がないわけです。旅を終えて日本に帰ってきて、何の仕事をしようかと考えたら、自分にできる仕事が何もないわけです。それにそもそも仕事がやりたいわけでもない。それで自分はいったい何がやりたいんだろうって考えたら、ぶっちゃけ遊びたいんです。私にすれば、大学院は体のいい遊びでした。基本的に遊びの延長でした。

 5年間の旅の中で何が面白かったのかというと、最初は大自然を見るのが好きだったんです。自転車で移動しているから、誰にも会わない一言もしゃべらない日とかあるんです。けれども時々、人に助けてもらうこともあったんです。それでこれから何をしようって考えた時に、そういう出会いといいますか、「色んな面白い人がおったなぁ」ってすごく思い出すようになりました。結局、自然よりも人間の方が面白かった、ということでしょう。

 例えば、ロシアの北の方、北極圏の中に、ノバヤゼムリヤ島という島があります。そこに行った時には、牧畜民のおっちゃんがいて、大歓迎してくれました。「よう来た、よう来た、まぁまぁまぁ。」っていって、「ちょっと待っとけ」、というんです。「何をするんかなぁ」と思って待ってたら、自分が飼っているトナカイを一頭殺してきて、ナイフでシャシャシャと血を一滴もこぼさないようにさばいて、お腹をパカって開いて、そこにいっぱい溜まってる血をコップで掬って、「まぁまぁ、これを飲め!」というわけですよ。彼らにしたら最高のもてなし、ごちそうなんです。温かいし、栄養価は高いし。

 そういう光景が5年間の中に沢山あったので、人間って面白いなあってすごく感じたんです。それまで、私は人生で1回もまともに勉強をしたことがなかったので「一回、勉強でもしてみよう」と思いついたわけです。文化人類学や社会学という分野を専攻して人間について勉強しようと。

 

—— 著作ではバックパッカーの4つの型を提示されていますね、その中で特に「生活型」を評価されていますが、その理由はなんでしょうか?

 他の3つの類型は、どれもが分かりやすい話です。

 例えば、「移動型」だと、私もその1人ですけれども、出来るだけ沢山の国や町に行きたいというタイプです。50カ国とか60カ国とか。彼らの大多数は、旅の後は日本社会の日常に戻っていく。

 「沈潜型」っていうのは、1ヶ月も2ヶ月も同じ場所にいて、あたかもそこの住民のような生活をするのが面白いというタイプです。それも分かりやすい話です。

 それから「移住型」。現地社会が気に入ってそちらに住み着いちゃったという人たち。これもバックパッカーに限らずよくある話です。

 けれども、「生活型」っていうのは全然違います。彼らは旅をし続ける。旅をしてるその瞬間においてはどこの社会にも属してないんです。日本社会からは出ているし、現地社会の人からすればただの通行人です。そうだとすれば、旅の面白さというのは、境界線上を歩くということでもあると思うんです。

 なおかつ、バックパッカーは、基本的には自分1人でそれをやるわけです。3ヶ月したら日本に戻るっていうのは分かりやすい話ですけれど、それを30年、40年やり続けるっていうのは、全然「分かりやすくない」。彼らを突き動かす何かがあるんですね。日本には帰らない、もしかしたら帰れない、居つけないのかもしれませんけれども。

 もしかすると、それは私がパプアニューギニアから日本に戻って、「またこのつまらない日常か」と思ったのと同じ感覚がどこかにあるのかもしれない。同じだからといって、「彼らみたいに30年も40年も旅できるか」と言われると困っちゃうんですが。それができている彼らというのは相当凄いなっていうのが第一感なんです。なおかつ、彼らは金もないのにやってるんです。野宿しながら移動してたりする。よっぽど強い何かがあるに違いない。

 そこをどのように評価するのか。結局、彼らを駆動させているそのモチベーションや原動力っていうものをどう評価するのかってことだと思います。それを単なる日本社会になじめないドロップアウトとみるかアウトサイダーとみるか。彼らに寄り添ってというとおこがましいですけれども、そこに可能性を見出すっていうのが私の研究者としての立場です。

 私にはパプアニューギニアの経験や自転車旅行の経験、それに公務員になじめなかったという経験があるから、彼らの気持ちが私なりによくわかるんです。よくわかるけれども、私にはそれが出来なかった。それが出来る彼らと、それが出来なかった自分を比べてずっと羨ましく思っていました。やはり、彼らの姿をみながら自分を振り返ってますから。バックパッカーたちの話を聞きながら自分自身を振り返る、そういう作業をずっと繰り返しているんです。

(了)

【大野哲也(おおの・てつや)】
中学校教員、青年海外協力隊を経て、1993年から1998年までの5年1ヶ月の間、自転車で世界中を走り周る。帰国後、大学院に入学。現在、桐蔭横浜大学教員。専攻は、環境人間学。

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