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この記事の所要時間: 319

Here comes Tehran

 

※本インタビューは、全体の4分の1くらいのダイジェスト版です。
フルバージョンは2013年4月28日発売の『未来回路5.0』に掲載予定。

 

—— 旅に関わるようになったのは、いつの頃からなのですか?

 もともと、大学に入ったら「旅をしよう」って考えていたんです。うちは母親がスーパーフレンドリーなので、まだ外国人が珍しかった頃から、旅人を家に連れて来てご飯を食べさせるっていうようなことをやっていたんですね。ちっちゃい頃から、実家にホームステイとかもたまに来ていたんです。だから、様々な国の人びとがちょこちょこ出入りしていました。

 そういうのをみていると、自分でも色々と旅に行きたいなと思うようになっていて。それで大学に入って一人暮らしを始めてから、時間も沢山あったので、大学1年生の時に初めて旅に出たんです。

 

—— 子どもの頃から旅人たちと接してこられたんですね。それから旅に出られるようになって、どこか思い出深い場所などありましたか?

 やはり1996年に行ったイランですね。その当時、イランに行く旅行者はほとんどいなかったんです。

 その時、大学3年生ぐらいだったんですけれども、もう色々行っていて旅に慣れてきちゃってたんです。イランに行ったのが確か20カ国目ぐらいだったと思います。

 最初の頃は例えば、韓国に行ったらハングルを覚えようとかそういうことをしていたんですれども、段々、「英語が出来ればいいや」とかそんな感じになってきていて。それがイランに行ったら全く通じないんですね。英語や日本語が片言も通じない。

 例えば、最初に行った街からケルマーンに行きたくって、バスのチケットを取りたかったんですれども、「Tomorrow」とか「明日」とかの簡単な単語さえ通じないんですね。数字もアラビア数字ではなくてペルシャ風の数字なので読めないし。それで、結構困った。でも、やり取りはしなければならない。そして、やり取りしているうちに自然に言葉を覚えていったんです。イランには1ヶ月ちょっと居たんですけれども、イランを出る頃には相手が何を言っているのか分かるようになっていましたね。

 そういう言語的な面白い体験もしたし、「一般的に言われていることと実際ってこんなに違うんだ!」って驚きもありました。そういうことがあったので、「自分の目で見ることは大事だな」って考えるようになりましたね。そういう経験があったから、大学を卒業した後も旅を続けるべきだと思ったし、今も旅に関係のある仕事をしているのかなと。

 

—— 現在、経営されている「パクチーハウス」なんですけれども、このお店のコンセプトはどのように旅と繋がっているんですか?

 まずはパクチーという食材に関していうと、日本ではほどんど食べないですよね。けれども、実は世界中で食べられている。基本的に食べない食文化は、日本と韓国くらいなんです。

 それで、旅先やエスニック料理店とかでパクチーに出会ったことのある人、そういう人を集めるためにパクチーという食材を使っているんです。パクチーを知らない人も多いから、それが旅人の印にもなるというか。知っている人っていうのは、だいたい旅の経験がある。要は話がすぐに分かる人たちですね。

 僕は、「旅人が集まるとどうなるか」とか「旅人たちが集まってどんなことが出来るのか」っていうことを事業にしようと思っているんです。

 

(了)

 

【佐谷 恭(さたに・きょう)】
株式会社「旅と平和」代表取締役。日本手食協会・理事長。「パクチーハウス東京」、及び「PAX Coworking」のファウンダー。著書に『ぱくぱく!パクチー』『みんなで作るパクチー料理』『つながりの仕事術 「コワーキング」を始めよう』(共著)がある。

photo by: farrokhi
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