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劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語/[後編] 永遠の物語【通常版】 [Blu-ray]

 当初たいした興味もなく、友人に誘われるがまま観に行ったまどまぎ映画版が大変面白かった。まどまぎが面白いことはとりあえず置いておいて、個人的にまどまぎと今流行りのスピリチュアル系の文化がかなり被っているところがあるなあと思ったので、それについて書きたいと思う。

 スピリチュアル本の参考文献としては「LOVE YES PEACE」(エナジーボディーワークセラピスト・島本了愛著)を起用することにする。
 今回はこの本の中に書かれている「循環の法則」に焦点を当てたいと思う。

 

・「循環の法則」との合致

 「『循環の法則』とは、自分の与えた思いが返ってくる、という法則です。(中略)正確に言うと、まわって返ってくるものは行いではなく、その行いに込められた『思い』です。」とのこと。つまり因果応報ということだと思う。
 この「循環の法則」が、まどまぎのストーリーの全体に絡んでいる印象を受けた。

 一番それを感じたところは、ほむらがまどかの命を救うために、同じ時間の平行世界を行ったり来たりすることによって、結果として平行世界における因果の糸をまどかの存在へと束ね、最強の魔法少女にして最悪の魔女となる素質を与える結果になってしまった。
 が、その最悪にも最強にもなり得るギリギリのラインで、まどかが魔法少女になる契約をし「過去、現在、未来、全宇宙に存在する全ての魔女を生まれる前に自分の手で消し去ること」という願いを成就させる、というところ。

 ほむらのしたことは、まどかにとって最悪の魔女に成りうるかもしれない、というかなりリスキーな結果になってしまったが、後編の冒頭部分を見ればわかるように、まどかが入学当初初めてできた大切な友達で、どうしてもまどかの命を守りたいという強い思いからの行動だった。
 全くこれは「循環の法則」にフィットしていると思う。

 ほむらの行いは、確かにまどかを負のスパイラルに追いつめる形になってしまったが、その行いの根底には「まどかを救いたい」という思いという強い正の思いがある。
 そして、まどかが「全ての魔女を生まれる前に自分の手で消し去ること」、過去・現在・未来の魔法少女がもう苦しまないように、という願いを成就させたことは、「まどかの命救いたい」というほむらの思いとは違ったかたちだったかもしれないが、まどかにとってはなにより喜ばしいことだったと思う。(そしてまどかの一番の願いが成就されたことは、ほむらにとっても、恩返しという意味では最も良い形の返礼になったはずだ。まさにスピリチュアル系の友人から聞いたことのあるセリフ「愛と喜びの連鎖」を彷彿とさせる。)

 また、「何をしたかではなく、どんな思いを込めてそれをしたのかということが、あなたが受け取るものの質を決めます。」ともある。という通り、ほむらの「まどかを救いたい」という思いがとても強いパワーのものであった故、時系列を超えて、物理法則を改変し、因果律を組み替えなければ達成されない型破りなまどかの願いを叶えられるだけの強いパワーが与えられたのだろう。

 

・「循環の法則」との矛盾

 しかし「まどかの命を助けたい」という思いが結果的に「ほむらちゃん、および全ての魔法少女の命を助けたい」という思いとして返ってきたことは、確かに「循環の法則」に乗っ取っているが、結局ほむらちゃん、まどかがいなくなっちゃって(概念として側にいるにしろ)可哀想じゃないのか。「循環の法則」ってフィフティーじゃなくないか?最後の辺り、マミ、杏子も存命しているのに、まどかの存在は彼女の家族を含む人々の記憶から消えている。なのにまどかが概念になる直前に「最後の奇跡として互いの記憶が残そうね、私、ほむらちゃんのこと絶対忘れないからね」的な感じでリボンを渡されてしまったほむらちゃんだけが、まどかの記憶を持ったまま生き残るって、残酷なんだか感動的なんだか冷静に考えると微妙なラインである。まどかの記憶を一人背負ったほむらちゃんの背中に強い哀愁を感じざるを得ない。

 スピリチュアルの人って、熱心な人ほど「循環の法則さいこう!全てがこの法則にのっとれば全部うまくいくよ!」みたいに勝手にその世界の中で完結してしまってる印象があるのですが、逆にマドマギは矛盾点を残してくれるとこが人間ドラマで安心しました。

 

・「光だけの世界」に行ってしまったまどかと、残された「光と闇のある世界」

 ちなみにスピリチュアル界では「怒りと憎しみの連鎖」を断ち切って「愛と喜びの連鎖」に到達すると、魂は「光だけの世界」に行くらしい。「光だけの世界」っていうのは、うろ覚えの記憶だが、魂界のレベルの高いところ?で、今生は二元論的(正と負、善と悪、闇と光など)な世界だけど、光だけの世界は二元論的なものが一切関係ない光だけの世界とのことだった。ガンジーとかマザーテレサとか日本だったら宮沢賢治の魂はそっちのほうに行っているらしい。(友人談)
 正直、まどかが「概念」になった時点で、まどかもそっち側の人になり「光の世界オチか」と思ったのだけど、結果としては魔女が居なくなっただけで、魔女の代役として「魔獣」が出て来ており、魔法少女の戦いは続いていたので、まだ世界は二元論的な世界ではあり続けているらしい。そして、ほむらちゃんがとっても寂しそうに強く生きているところ観てしまった私としては、どうしても「愛と喜びだけの世界」に行っちゃったまどかが正義だとはなんとなく思えなくなってくる。

 そう思えないのは、私がまだスピリチュアル的に魂が成熟しておらず、怒りや憎しみの連鎖を断ち切れていない人間だからなのだろうか。
 全くの余談ですが、スピリチュアル系の友人にあらゆる角度から勧誘を受けた私のやるせない思い、友人としての切なさ、微妙なストレス、勧められるがままに買ったこのレビューの参考文献「LOVE YES PEACE」1500円、、、はまあ良いとして、それらはどう循環していくのでしょうか。(もちろん友人は良いと思ったものを勧めてくれた訳だから、その気持ちには感謝しております。)

 

・いま、私たちが住んでいる世界についての個人的な考察

 ところでキュゥべえの言っていることは一点の曇りもなく、終始一貫していて理路整然としているのだけど、なんだか釈然としない。人間達が混乱しだすと「僕たちの世界と君たちの世界は違うからね」というようなことを言う。

 住んでいる世界が違うと言われてしまったら、こちらも何にも言えない。
 スピリチュアル系の文化も「循環の法則」「引き寄せの法則(何かを願っていれば、願っていることが自分に引き寄せらられる)」その辺まではついていける。けど、「愛と喜びだけの世界」とか「光だけの世界」とか言われてしまうと、もうそれはこの世界のことじゃないのでついていけなくなってくる。

 しかし、良いことをすれば良いことが返ってくるなんて当たり前のことお母さんに教えてもらわなかったの?「愛と喜びだけの世界」とか、素晴らしい良いものしか存在しない「光だけの世界」なんてこの世の自然の摂理に相反しているところが個人的にすごく不自然に感じるし、それがあるって仮定することによって今の世界から逃げているだけな気がするけど。

 いくら光の世界が魅力的でも、ここは現世。現世のルールしか通用しない。
 わたしは良いこともあって悪いこともあるこの世界が好きだし、夜があって朝がやってくる1日が好きだし、春夏秋冬がある日本が好きだし、パリッとしたNYの冷たい空気も好きだし、インドのむわっとした熱気も好きだ。現世がいくら嫌でも、二元論的的現世はちゃんとやればちゃんとフィフティーだと私は思う。矛盾や不公平もあるかもしれないけど、自分次第でどうにでもなる。勝手に1人であの世に行ったり違う世界に逃げたりせず、現世にしがみついてさえいれば。
 ほむらちゃんが幸せになりますように。

【エリ・コヤマダ】
青山学院大学文学部心理学科卒。セツ・モードセミナー研究科卒。現在は某通信社にて地道にお仕事させてもらっています。
カウンセラーを目指したり、恋愛活動に明け暮れたり、インドに行ったり、NYに行ったり、絵を描いたり、画家やイラストレーターに憧れたり、バンドをやったり、音楽業界に入ってみたり、いろんなことに手出しすぎたけど、今は平和に暮らせそうです。
絵を描くこと、お酒を飲みにいくこと、好きな音楽を聴きにいくこと、夜遊び、本を読むこと、洋服を買うこと、お笑いや映画を見ることが目下の日々の楽しみ。素敵になりたい。