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AMEBIC (集英社文庫 か 44-3)

 小説とは基本的に読者が主人公にどれだけ感情移入できるかが重要だと私は思っている。恋愛小説でもミステリー小説でも、まずは主人公の紹介から始まる。自由な時間をもてあました退屈な大学生、父親の分からない子供を妊娠してしまったキャバクラ嬢、家庭内に亀裂を抱える定年間近のサラリーマン、夫にアルツハイマーの症状が出始めた老夫婦。これらの主人公は私たちに安易にその容姿を想像させる。文章を読み進めていけば、早い段階で彼らの性格さえも私たちの知るところとなる。そうして彼らに何らかのアクションが起き、彼らが感じた痛みや喜びや悲しみに、私たちも共感してときめき、涙を流して、「この小説はおもしろかった」と思うのだ。もちろんそうでない小説もあるが、主人公、あるいは登場人物のその姿勢や感情に読者が共感を覚えるといった点は、多くの小説に共通していることだと思う。

 しかし金原ひとみの「AMEBIC」では、主人公に共感することができない。

 主人公の女性は食べることをしない。「食べられない」のではなく、食べることを嫌っている。また自身の食事だけではなく、他人の食事も嫌う。私たちが楽しみ、喜び、ときには感動もする食事を気持ちが悪いと表現し、食事をする私たちを「デブ」と罵る。
 主人公の女性は自身の錯乱癖に悩まされている。錯乱しているときの記憶はなく、文章だけが残されているので、それを手がかりに錯乱している自分と向き合おうと苦しんでいる。

 この二点が「AMEBIC」の主人公の主な特徴である。〝食事を嫌う錯乱する女性ライター″は余りにも想像しがたい。さらに彼女は食事を摂らないことで私たちとの間に距離をつくる。私たちがいくら共感したいと思っていても、主人公の側からそれを拒否されているのだ。私たちはいつまでも彼女に感情移入することができない。

 

 金原ひとみは狂っている女の子を描くのがとても上手だ。デビュー作の「蛇にピアス」でも、「AMEBIC」でも、主人公に介入してくる人間は少ない。親や友人、学校のひとや会社の人。主人公の女の子の周りで彼女と親しい人は、恋人ぐらいしかいない。人間は共同体で、自分と似たものを周りに集め、共感や衝突を繰り返していきがいを得る。生きるためには何かのコミュニティに参加せねばならず、コミュニティに参加すれば必ず人はその流れを作る。金原ひとみが描く女の子はそういった人間の流れから外れてしまっている。そしてそういった狂っている女の子は、たいがいかわいい。魅力的だ。かわいいから狂っているのだろうか。
 今の世間は狂いたがる女の子で溢れているように思われる。女の子らしい女の子という大きなカテゴリから外れ、奇抜な装飾のファッションに身を包んだ青文字系女子、男性同士の恋愛を好む腐女子、文学や芸術を推奨するサブカル系女子、ニコニコ動画を通してアイドル化する女子、物を食べず手首を切ってみるメンヘラ女子。趣味、好みの違いといってしまえばそれまでだが、私は彼女らが「みんなとは違う自分」になりたがっているように見えてならない。世間一般の女子と、自分とに分け、会社や学校で作られるはずの友達を拒絶する。それはすなわち「狂っている女の子」だ。
 しかし彼女らは本当の「狂っている女の子」にはなれない。「みんなとは違う自分」に更なる共感を求めるからだ。みんなとは違う自分になるために,ブログやTwitterなどのインターネット上のコミュニケーションツールをつかう。ブログのSNS機能を通じて遠い県外のネット上の友達を作り、Twitter上で、本当の自分をさらけ出すための裏アカウントを作ることは、最近の若者にとって珍しいことではない。そうしてインターネット上で似通った仲間を集め、共感し、「私たちはみんなとは違う」と互いを認め合うのだ。共感と衝突を繰り返し、いきがいを感じるのだ。コミュニティから外れたつもりになって、新たなコミュニティを形成する、彼女らは、狂っていたい普通の女の子だ。

 読者にも共感を許してくれないまま、自分と自分との間に共感を探す、本当の狂った女の子だ。本当の狂った女の子であるからこそ、読者として彼女に感情移入し、彼女に共感したいのだが、それは叶わない。彼女はそれをしてくれない。狂っていたい普通の女の子は、彼女のその本物の狂気にとても惹かれるのだ。

 

【ユキちゃん】
1991年生まれ、女子。小説家志望。密着エステで働いていた経験をもとに、性がもつエネルギーについて真面目に考えています。デートや出張マッサージのお問い合わせは@ggggray_zoneまでお願いします。料金応相談。