劇評「闘技的民主主義とコミュニティの合わさる点に浮かび上がるもの」、『シンポジウム』(東京デスロック)

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symposium

劇場に入り観劇のための自分の居場所を確保する。座席はなく、壁際に数個の椅子は置いてあるのだが、数からしても観客のためのものではないことは解る。僕は奥の壁際に座った。無意識的に中央には空間を作らなければいけないような気がしたのだ。劇はその中心を使用し展開する確率が高いと、今までの観劇の経験から引き出されたデフォルトに従う。観客席、舞台に関する説明はない。

そして、劇が始まる。出演者たちは壁際に配置してあった椅子に座っていく。ここで観客はこの劇の空間的な構成を理解することになる。僕たちは出演者たちに取り囲まれているのだ。出演者たちは観客のいるスペースを経由してコミュニケーションを行う。それは観客の身体を貫いていく。それはまるで「atomic ray」のようだ。

僕は劇中にここで行われているコミュニケーションの土台となっている共通項がなんであるのかを考えた。ここで話される内容はむしろその上を覆っている膜のように思えたからだ。おそらくは、この劇が成立するまで出演者たちは多くの時間を共に過ごしてきたのだろうし、そこに共有された時間や出来事、物語によってひとつの緩いコミュニティと呼べるものが成立しているはずだ。そのコミュニティの制空圏の中に観客が配置されている。これは、観客の劇に対する当事者性を高めるという効果と、それに伴う様々な反応、心の動きを誘発する構造であることは容易に理解できる。

ここで作る側の人々が何を意図したのかは分からないが、結果として起こることは、「役者」として機能していたのは出演者の方ではなく、観客の方であろうということだ。この形式と関係によって成立した構造、環境下で人の心理や言動がどのように動くのか。それこそが、この劇の体験なのだ。だから、僕はこの劇に参加した人々はそれぞれ、個別にこの体験を語る必要があるのではないかと思う。

劇の最後の方で、壁に映し出されていた会場の風景が、複数重ねられている映像が映し出されていた。その映像はこのような状態が世の中に無数に存在しているようなイメージを彷彿させる。隙間なくコミュニケーションが満ちている世界。これは、多くの「シンポジウム」が行われている理想的な民主主義社会の姿なのか絶望のディストピアなのか。その判断は実際に観劇した人々によってそれぞれ異なるだろう。

僕の感想を言えば、コミュニティの束が前提になった闘技的民主主義でも、必ず零れ落ちるものが存在するということだ。本作品は、観客の当事者性を引き出す環境を構築するととも、そこにある限界をも浮かび上がらせている。なかなか可視化しえないこの日本を包み込んでいる「空気」を劇場の中に召還していたといえるだろう。

以上。

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東京デスロック作品『シンポジウム SYMPOSIUM』

横浜会場 2013年7月13日(土)~7月21日(日)
富士見会場 2013年7月27日(土)~7月28日(日)

現代人の抱える問題をテーマに発表した『モラトリアム』『リハビリテーション』『カウンセリング』に続く東京デスロックの新作『シンポジウム』は、語の由来にもなったプラトン著による『饗宴』をモチーフに、青森、横浜、京都、北九州、ソウル、各地域で活動するアーティストと共に行う愛のパフォーマンス。コミュニティの姿、サイズ、そしてそこにある愛を見つめる、言葉による、言葉によらない、現代の饗宴。

【MEMBER】
東京デスロック《夏目慎也 佐山和泉 佐藤 誠 間野律子 多田淳之介》
マ・ドゥヨン [俳優/第12言語演劇スタジオ] Fromソウル
柿﨑彩香   [俳優/渡辺源四郎商店] From青森
きたまり   [ダンサー・振付家/KIKIKIKIKIKI主宰] From京都 ※横浜会場のみ
沖田みやこ  [俳優/のこされ劇場≡] From北九州 ※富士見会場のみ
大谷能生   [音楽家・批評家] From横浜
藤原ちから  [編集者・フリーランサー] From横浜

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【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

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