「孤立の一般化が広がる背景にあるもの」、『孤立無業(SNEP)』(玄田有史 著)

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孤立無業(SNEP)

「孤立無業」とは、「20歳〜59歳で未婚の人のうち、仕事をしていないだけでなく、普段ずっと1人でいるか、もしくは家族しか一緒にいる人がいない人たち」のことを言う。英語では「Solitary No-Employed Persons」と表現し、それぞれの単語の頭文字を取って「SNEP」(スネップ)と呼んでいる。この概念は世界のどこにもなく、東京大学の研究プロジェクトの中で新しく開発された国産のものだそうだ。

この「SNEP」と呼ばれる人たちは、2011年度調査で約162万人ほど存在しているとされている。2001年の調査と比較すると、10年間で約80万人近くも増加しているという。現在、誰でも無業者になれば孤立しやすくなるという「孤立の一般化」が広がりつつあるのだ。これが本書の現状分析であり問題設定となっている。

著者は本書の中で、「SNEP」の増加に歯止めをかけるために必要な支援活動として「アウトリーチ」という手法を提案している。「アウトリーチ」とは、ケアが必要であるにもかかわらず施設などに通うことができない人たちに対して、専門家が自ら出向いて支援する取り組みのことだ。「SNEP」の状態になるのは他者との接触を欠くことが大きな原因になっており、その特徴を踏まえた上での支援が必要になってくる。

さて、この「SNEP」には大きく分けて二つのタイプがある。それは家族とは一緒にいる「家族型」と完全にひとりになっている「一人型」だ。

この「家族型」の無業者で思い出す風景があった。それは僕がアジアを旅している時に泊まっていたゲストハウスで見かけた子どもたちの姿だ。アジア地域などであまり裕福でない家庭では、子どもに投資する教育費に限りがあるため、複数の子どもたちのうちで最も優秀な子どもをピックアップし、その子に集中的に投資するという。そして、優秀な子どもを出世させ教育によって獲得されたその経済力の下に家族みんながブラ下がるというのだ。これは話に聞いていただけでその子ども達がそういう状態だったのかは分からないが、あまり年齢の違わない同じ家庭の子どもたちは役割分担ははっきりしていることを見て取ることができたことは事実だ。明らかにのんびりしている子と凛々しく賢そうな感じの子との間には、全く異なる緊張感があったことを記憶している。

もちろん、投資の対象にならなかった子どもは別に社会から孤立している訳ではないし、家の手伝いくらいはしているだろう。それに社会的な背景もまったく異なるから、「SNEP」の「家族型」に重ね合わせるのは無理があることは分かっている。年齢層的にも。けれども、同じような状況下にあっても、受け取り方の違いや社会的な場所の配置による包摂もまたあるのではないかと思ったのだ。

確かに「SNEP」はケアが必要な状態である。けれども、ただ治療して労働市場に押し戻すだけでは対策として充分ではない。無業者になったら社会の目から隠れなければいけないような社会的風潮を変化させていくことが、当事者たちの「生き辛さ」への長期的な対策にもなるのではないだろうか。。つまり、制度的なアプローチと文化的なアプローチの両方を用いることによって、車の両輪のように生きやすい社会を作っていくという方向性を模索することが可能なのではないだろうか。もちろん、経済力や労働力は現代社会において必要不可欠なものだ。けれども、それに隷属され価値付けされるだけの制度や文化風土は、人の生活から多様性を奪い社会を貧しいものにしてしまう。働き始めたとしても、はじめは収入が少なくともその人の将来に繋がるスキルなどが身に付くならいい。しかしただ使い捨てられるような労働力として市場に投入されるだけであるならば、「SNEP」の人でなくても働くことに希望は見出せなくなる人たちは多く存在するだろう。

僕たちがより善い社会を志向していくのならば、まずどのような社会に住みたいのかというビジョンを描くことが必要になってくる。そうしなければ、次から次へと現れてくる問題に対処することで手一杯になってしまい、僕たちは知らぬ間に望まない場所に流れ着いてしまうかもしれない。

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

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