「異なる倫理的態度の対峙する景色」、『〈ネ申〉(ねもうす)の民主主義』(仲正昌樹 著)

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〈ネ申〉の民主主義―ネット世界の「集合痴」について

本書は政治思想史や比較文学の専門家である仲正昌樹さんの、政治・インターネット・サブカルの三者関係をめぐる私的考察だ。著者が質問者の問いに答えるかたちで議論が展開されている。展開されている議論の中心は、〈ネ申〉(ねもうす)の共同体とそれに仕え始めている「知識人」への批判だ。〈ネ申〉とはネットスラングで、本書では「ネットの神様」くらいの意味で使用されている。この言葉の定義については検証の余地があると思うが、本レビューの主題から離れてしまうので、とりあえずこの定義を採用して話を進めていく。

仲正さんは、今の日本は「みんなと同じ」に対する抵抗感が薄れているのではないかという。けれどもそれは、「公共性」が発達しているということを意味していない。「公共性」というものは直感と検証の蓄積によって徐々に形成されていくものだ。けれどもこの日本では、思考は直感のレベルで留まりそれを検証することがあまりない。その直感も「空気」というフィルターを通して生成されるため、その結果、島宇宙化した共同体は外部からの視線への想像力を涵養することができず自浄作用を失っていく。さらに「知識人」たちがその風潮に仕え始めると、底無し沼に嵌っていくのではないかと危惧しているのだ。

本書では、ハーバーマスの公共圏に関する起源について触れられている。私的利益を追求するブルジョワジーたちが、経済活動の自由を阻害する絶対主義国家に抵抗すべくネットワークを作りあげ、そしてその結果、「世(公)論 public opinion」を形成し政治に影響を与えるようになったのだ。その後、メディアがブルジョワの私的利益を公共的関心へと変換する役割を果たしたのだが、マスメディアが商業化するに従ってその「公共性」が崩れていったという。

この説を日本のネットの現状を重ね合わせると、ネットの共同体は具体的な私的利益が何なのか把握しきれていないという特徴があるのかもしれない。そのため、ある程度の豊さを手にしていることも重なり、承認欲求や感情の吐き出しなどを目的としてネットを使用している側面があるのではないだろうか。つまり、その結果生まれた共同体なのではないかということだ。そのような状況の中に私たちがいるのだとすれば、この日本の「公共性」はどこに向かっていけば善いのだろうか。

ネットにおける共同体が、承認や娯楽、憂さ晴らしの場所なのであれば、ハーバーマスの言うところの「公共圏」を成立させることは困難だろう。もともと、その目的の中に「公共圏」の芽のようなものがほとんどないのだから、検証や議論を深めていくことを避けている人たちが多いことも容易に理解できる。それはただ面倒臭いことであるからだ。それにより居心地が良いだけの想像上のトライブ(部族)のようなものが生成されることになる。

そのような現状を変えることなく「公共性」を生成すること。つまり、人びとの欲望を「まつりごと」に繋げていくとする議論がある。例えば、「一般意志(民主主義2.0)」や「AKBの公共性」といったものがそれにあたるが、著者はその議論に対しても疑問を呈している。そして、身も蓋もない常識的な意見を発するのだ。「盛り上がっているからといって、その『空気』で支持を決める人間がいるとしたら、それはただのバカです」と。

人びとの欲望をそのまま「まつりごと」に繋げていく議論は、言ってみれば、もはや人びとはあまり深く物事を考えていないものだから、「大衆」を導くアーキテクチャを見識者やエリートが設計するといった色彩を帯びていると言えるだろう。つまり、「ネットの民」に迎合しながら、それを利用し活用する術を考え出そうとする方向性だ。

けれども、「大衆」に対する諦念という意味では、仲正さんもおそらく同じ場所にいるのではないだろうか。ここで鋭く対峙しているのは、むしろ倫理観の違いであるように思われる。その違いとは、「ネットの民」に従順な論者はもはや人を「動物」として扱いはじめているのに対して、仲正さんはあくまでも「人間」として扱っているということだ。前者は後者における立場を断念した上で、その「バカ」たちは何を言っても聞かないから彼らの欲望の流れる道筋を設計しコントロールすることを考える。そして、理想的な社会を形成していくという議論なのだ。まず、どのような社会が「善い」と考えるのかという違いでもあるが、その背後にはヒトという生物をどのような存在として捉えるのかという態度の違いがある。

以前、批評家の柄谷行人氏はささやかだが消えることのない知性への信頼と希望を語った。ここで示した二つの立場が対峙する景色を見ていると、それは倫理への信頼と希望の捉え方の違いのようにも見える。そして、おそらくその検証の役割は、少なくとも「文学」には託されていたのである。

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

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