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演劇最強論

1、立体的な演劇論

 

「強さ」について語る時、まず考えることがふたつある。ひとつは、想定されている「範囲」がどのようなものかということ。そしてもうひとつは、その「基準」についてである。本書において著者のふたりが想定している「範囲」は、「様々な芸術ジャンル」ということになるだろう。そして「基準」については、それぞれ別の観点を提示している。この観点に規定した上で本書が展開されているわけではないが、明文化された「なぜ演劇が最強なのか」の「基準」は以下のようになっている。

・徳永さん
→ジャンルを横断し取り込み、歴史や時代をも味方にすること。

・藤原さん
→人々が物理的な「場」に集まり、フィクションの共有し、語られるということで、現実に影響を与えること。

前者は演劇の出来上がった作品自体や製作工程についての観点であり、後者は作品の持つ機能についての観点である。この「最強」に関するふたつの観点は同じパラダイムの上に並べることができるものだが、この基準の違いが本書の内容を立体的で豊かなものにしている。

 

2、エッジにかたちを与える装置

 

サブタイトルにもある「反復とパッチワーク」とは、現代演劇のエッジにおいて共有されている特徴として提示されている。様々な要素を寄せ集め、様々なコンテクストに繋げる。日常のひとこまを反復することによって、そこに潜む非日常、日常のコードから外れたものを開示し、日常に亀裂を入れ、そこから湧き上ってくるイメージを、それがまだ具体的な身体を持たない故に、パッチワークすることによって身体を形成、そして血流を通していく。

本書は世代論としても読むことが可能だろう。それは何故今、演劇が「最強」であるかということとも関係している。本書の中で徳永さんが述べているように、「演劇しかない」ではなく「演劇もある」という状況の中で、表現者があえて演劇を選びとっていることの意味。その意味を汲み取ることができれば、演劇を理解することと現代を理解することを同じ地平の上に配置することができるだろう。

現在、演劇が表現ジャンルとしてベストの選択だとされる理由は、情報環境の変化にも起因している。本書で紹介されている表現者たちの多くは、ネットネイティブと呼ばれる世代だ。様々な情報がフラットに並び、コミュニケーションが時間や空間を超えて飛び交う情報空間の中で、演劇という表現ジャンルが浮上してくる。プリミティブな表現ジャンルとも言える演劇がアクチュアリティと強いシンクロを示し、「全体性」を損なわない形で立ち現れる。その意味で、本書は演劇に関心のない人にもおすすめできる射程圏を持つと言えるだろう。

 

3、おすすめしたい人たち

 

本書をおすすめしたい人たちは以下のような人たちだ。

・演劇に興味あるけど何を観たら良いのか分からない人。

・現代演劇のエッジを包括的に捉える視座を持ちたい人。

・今がどのような時代なのか、そのパースペクティブが欲しい人。

・「俺らの方が最強じゃんよ!?」と思っている他のジャンルの人。

 

4、想定される範囲の外部へ

 

はじめに本書の「最強」が届く範囲として「様々な芸術ジャンル」があるとした。しかし、全てのことに言えることだが、範囲を想定すると同時にそれ以外の存在も発生する。演劇をめぐる観点は、さらに複数化できる可能性もあるのではないだろうか。例えば、国の文化政策や商業ベースのアートシーン、マーケットといった枠組みの中で通用するものという基準が暗黙の了解としてあるように思われたのだ。それ以外のあり方も演劇の可能性としてあるのではないだろうか。その可能性を模索するのをやめてしまえば、気付いた時には自分たちが望まないかたちで、名指され囲い込まれ身動きが取れない状況になってしまうかもしれない。なぜならば、やはり芸術が現実を変えているのではなく、現実が芸術を作っているのではないかという問いが消えることがないからだ。自らの想定する枠組みの外部が見えなくなってしまえば、時期に芸術は手段に隷属する。それは本書でも示されていることでもある。劇評家もまた「最強」を目指すべき存在なのかもしれない。

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com