劇評「不条理から実存を立ち上げる日常演劇」、集団:歩行訓練のコックピット『ゲームの終わり』(原作:サミュエル・ベケット『勝負の終わり』 演出:谷竜一)

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1.『集団:歩行訓練』について

 

本公演を行った『集団:歩行訓練』は、山口県山口市に拠点を置く舞台芸術ユニットだ。昨年は国内最大の演劇祭「フェスティバル/トーキョー12」(F/T12)で公募プログラムにも参加している。演出家の谷竜一氏は福井県出身。大学進学から山口で暮らしはじめ、卒業してからも拠点を変えることなく現在に至っている。

本公演の特設サイトにアップしてあるメモ(「メモ/何故今、『勝負の終わり』なのか?」http://hokokuncockpit.tumblr.com/post/61516802046)で明かされていることだが、谷氏の父親は福井県の町役場の職員で、母親の叔父の一家は関西電力の職員だという。福井県といえば「もんじゅ」といった原子力関係の施設もあり、地名の「福」の字が被っているせいか福島県とも間違われやすく、3.11における原発事故を当事者の問題として受け止めざるを得ない状況下にあるそうだ。

自らの存在が原発によって下支えされていたということ。そして、その安全神話への「信仰」が崩れさることによる混乱。本作品はその混乱以後のアンサーのひとつとして位置付けられている。本レビューではこの認識を前提にしながら、私が受け取ったイメージの解釈とその考察を行っていく。

 

2.舞台装置の構造

 

劇場は「コックピット」を模した作りになっており、前方のスクリーンと手前の小さなモニターには演出家の故郷である福井県大飯郡高浜町の風景が映し出される。本作品はアイルランド出身のフランスの劇作家・サミュエル・ベケットの『勝負の終わり』を原作としており、まるで長距離旅行のバスの移動の最中に観る映画を演劇に差し替えたような印象を与える。

舞台の演出として特徴的なのは客席への照明の当て方だ。一般的な演劇公演だと、客席への照明は劇の開始とともに落とされ劇の終わりとともに再び灯る。けれども、本作品では客席への照明は基本的には灯されたままであるとこを基調としている(途中に消える箇所はある)。

舞台左奥の上には神棚が設置してあり、「コックピット」の舞台の中で独特の存在感を発している。その存在が暗示しているもののその1つとして挙げることができるのは、舞台上の世界が「日本」国内であるという解釈だろう。つまり、 ベケットの生まれ育った国でもなく、何処にも存在しない場所でもなく、他ならぬこの「日本」のいまここであるということ。なぜ、日本を舞台として意識化する必要があるのか。それは私たちの日常の延長線上に劇を配置するためだ。この3つの舞台装置の要素。つまり、「乗り物のイメージ」、「神棚の存在」、「客席への照明」によって、劇自体を日常の延長線上に位置付け、且つ、切断を基本とする演劇を異化する機能をここに認めることができる。日常を継続しながら劇場体験を異化することから、生まれるのは劇中の登場人物に対する解釈であろう。つまり、役者は劇場の中で日常的な視線に晒されることになる。

 

3.発話と人間性

 

劇が開始してまず注意を引いたのは、役者たちの発話のイントネーションだ。まるで初音ミクに代表されるボーカロイドや、ニコニコ動画などで使用されるテキスト読み上げソフトでの音声のようなイントネーション。また一方、それはアニメ版『悪の華』のエンディングテーマになった「花 ~a last flower~」の発する不気味さも想起させるかもしれない。


イントネーションの解釈は、強い政治性を含んでいる。例えば、小学生の頃などに別の地域から地域へ転校したりすると、イントネーションの違いから、その「場」にコンフリクトが発生するのを経験した人は多いだろう。そのコンフリクトは「場」の日常を制御しているコードから外れた存在が現れたための反応であり、日常をストレスなく継続するための調整機能として立ち現れている。その反応がどのような落とし所に辿り着くかは、まさに政治の問題であろう。このような反応は幼少期において顕著だが、成人してからも形を変えながら継続している。

なぜイントネーションが政治的コンフリクトを発生させるのか。その起源は、ヒトにとって音声を使用したコミュニケーションが道具的であると同時に生活共同体を生成するというところにある。それは国民国家体制が「国語」の存在をひとつの基盤として据えていることとも無関係ではなく、その共有がその「場」を構成員における一種の踏み絵的なものとしても機能している。同じ共同体の中で暮らすには共通のルールが必要となってくるが、このルール自体の普遍性は根源的には証明することはできない。それは「場」の歴史によって生成されている。その「場」に発生するコードは、まさにそこに成立している秩序、そして、それによって安定している生活そのものであるのだ。その意味で全ての共同体は必然的に宗教共同体だといってよいだろう。何故ならば、その根底には飛躍や証明の不可能性が横たわっているからだ。そして、その「信仰」の問題はヒトの生存の問題と分ちがたく結びつき合い、切り離すことは難しい。

そのよう無根拠性の上にあえて立ち上げたルールは、繰り返されるうちに無意識レベルでの規律となる。それがここでいうコードの生成という意味だ。これにより日常は作り出される。そのことからヒトは逃れることができない。この前提の上で、その無機質な発話をどのように解釈するのかという問題は、とても重要な問題として立ち現れる。何故ならば、そこに私たちが無意識的に前提としている「人間性」が表象せざるをえないからだ。つまり、本公演における役者の発話によって観客の中に発現するイメージは、解釈する側のもつ「人間性」の概念の違いによってプリズムのように変化する。

 

4.ベケットの誤配可能性

 

哲学者、ジル・ドゥルーズによるベケット論である『消尽したもの』の中で、「疲労したもの」と「消尽したもの」という2つの概念が対置されている。「疲労したもの」とは、目的を設定し計画をたて選択して終わりに向かう「排他的選言命題」というあり方を特徴とするものだ。様々な可能性を選択することで排除しながら辿り着く地点。それが「疲労したもの」だ。しかし目的を持つ為には目的を信じる根拠がなければならない。しかし、その根拠は究極的にはどこにもない。「消尽したもの」とはその目的というフィクションを信じることが出来なくなった世界のあり方であると呼べるだろう。そこには如何なる合理的な選択も成立しない。しかし、合理的な選択はないから、何も排除もしない。これをドゥルーズは「包括的選言命題」と呼ぶ。これがベケットの「不条理劇」の本体なのである。

さて、到来しない神(目的を担保する根拠)を待つ『ゴドーを待ちながら』ではなく、もはや神を待つこともしなくなった世界ともいえる『勝負の終わり』。そこには目的が根源的には不可能であると同時に示されていることがある。それは世界の多元性の根拠だ。目的の上に成立するロジックは噛み合っていなくても、コミュニケーションは成立している。このような解釈は言語のロジックに頼る割合がベケットの暮らした国と日本では異なるというところにも起因するかもしれない。閉じているのにも関わらず、コミュニケーションが不可能であることは、世界が多元的でなければ成立しえない現象だ。このコミュニケーションを巡る混乱が演出家の混乱のようにみえる。

この閉鎖性と多元性の併存を椹木野衣氏による日本の「悪い場所」論(『日本・現代・美術』)に重ね合わせてみよう。ロジックが積み重ならない、つまり、歴史が作れないということが、日本におけるベケットの示す世界観とシンクロしているところがあるとすれば、しかし、世界に目的がないにしても、私たちは3.11などの出来事に対して何事かを思わざるをえないのだ。その何事かを手掛かりにしながら、私たちの存在する社会のロジックを重ねていくのかそうしないのかは選択の問題である。そして、選択から遡行していけば、そこに目的はある。フラットなイントネーションと福井の風景、そしてベケットの原作を重ね合わせたところに浮かび上がるのは、終わりの始まりではなく始まりの終わりである。私たちはあえて「悪い場所」を選び続けている。それは「包括的選言命題」ではない。「排他的選言命題」の体系から生まれたものなのだ。

本作品は全体として多元的に解釈することができるものだが、演出家がある程度、もう少し解釈の幅を調整する必要があるのではないかと思われた。しかし、その意味で、正しく、ベケットの劇を演出家自身が演じている、ともいえるかもしれない。つまり、作品自体がこの日本社会の中で、劇の登場人物のように振舞っていた、と言えるのではないだろうか。本作品を「実存主義の演劇」と呼んでみたい。

(了)

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『ゲームの終わり』

作:サミュエル・ベケット
演出:谷竜一
出演:人見彰 中村洋介 古賀菜々絵 岡崎健斗

2013年10月20日~21日
於:KAIKA内「コックピット」(京都府京都市下京区岩戸山町440番地 江村ビル2F)

特設サイト http://hokokuncockpit.tumblr.com/

本上演は、KYOTO EXPERIMENT2013 フリンジ企画オープンエントリー作品「岩戸山のコックピット」での上演となります。

主催:劇団衛星 NPO法人フリンジシアタープロジェクト

岩戸山のコックピット http://www.cockpit-ex.info/
KYOTO EXPERIMENT2013 http://kyoto-ex.jp/

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【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

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