「ドゥルーズ哲学の襞を押し開き、解釈を補完する回路としての『切断』の思考」、『動きすぎてはいけない』(千葉雅也 著)

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動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学

「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」。この言葉を基調にしながら、ドゥルーズ哲学の中にある「切断」の思考を紡ぎ出していく。

本書は哲学者ジル・ドゥルーズの研究書であるが、そのインパクトの強度は複数の「繋がり」によって構成されている。ここでは2つのコンテクストを例として挙げてみよう。1つは、「情報社会論」のコンテクスト。もう1つは、日本における「現代思想」のコンテクストである。

「情報社会論」のコンテクストとは、twitterやfacebookなどのSNSによって繋がることが容易になった情報環境によって、過剰に関係しすぎて身動きがとれなくなった状態の中で、どのように振る舞うのかという問題設定である。その問題設定はそのまま、哲学と政治の関係ともリンクする。個体であることは、大きなものに絡めとられたり疲弊させられることから距離を取ることと無関係ではないからだ。本書は関係性が生み出す隘路をすり抜け、個体であることを保つための理論武装の書としても読むことができる。

日本における「現代思想」のコンテクストとは、80年代から始まる浅田彰氏や柄谷行人氏、そして東浩紀氏などに代表されるニューアカデミズムと呼ばれる潮流のことである。ニューアカデミズムの特徴がジャーナリズムとアカデミズムを接続し融合することであるとするならば、先に挙げた「情報社会論」のコンテクストや震災以後の時代の空気に応答しているという点で、その特徴を十分に受け継いでいるといえるだろう。その水脈を継承するスター誕生のメルクマールとして本書を読むこともできる。

本書における「切断」は、具体的には以下のような作法によって可能になるものだ。

①世界を構成する要素を少なくすること。
→フィルタリングないしフレーミング

②世界を構成する要素に対する反省性を削ぐこと、つまり、事物に、痴呆的なしかたで「とらわれ」る。あるいは、中毒的になるということ。
→アディクション

この作法によって生み出される「切断」は世界の把握を限定的にするが故に貧しさをも作り出すが、その把握された世界の外部とはクリアカットな形で接することになり、その自他の境界線付近では無関係としての他者の他者性が剥き出しになっている。著者はそのような状態を「シャープな分離」と呼ぶ。

本書が提示するのは、様々な関係にがんじがらめになり動けなくなった人たちが再び動き出すための理論とも読むことができるし、エッジの効いた出会いを組織する哲学ともいえるだろう。袋小路、四面楚歌、絶体絶命。そのように思われた状況から逃走線を引き、生成変化し続けるためのドゥルーズ哲学のシステムを補完する回路ともいえるかもしれない。

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

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