Share on Facebook
LINEで送る
Pocket

この記事の所要時間: 333

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

「身体は着実に年を取り衰えていくのに、人生の老成の仕方がわからない。」

本書は、そのような苦悩のあり方を「若作りうつ」と名付け、その原因となっている社会的背景を分析し、そのひとつの処方箋を提示している。

このような問題を抱えている社会的階層は、いわゆる「自分探し」の時代を生きたかつての若者たちだ。著者自身もその時代を若者として生きた当事者でもある。当時、「自分探し」的な生き方は肯定的に語られていたが、その着地点はいまだに上手く示されていない。

アメリカの心理学者、ロバート・リフトンは、「自分探し」的なライフスタイルの人びとを「プロテウス的人間」と呼び、新時代の強者のライフスタイルとして紹介した。プロテウスとは、ギリシア神話に登場する「自分の姿を自由自在に変えられるけれども、真の姿をあらわすことができない」神様のことだ。

それから約30年以上を経て、日本において「プロテウス的人間」のような人生を歩んだ人達がどうなったのか。著者によると、その人達の多くは、拠り所もアイデンティティも空白なままの、どこか重量感に欠けた「思春期おじさん・おばさん」になった、というのである。

例えばキリスト教には、「死を忘れるな」という戒めがあり、それがライフサイクルを構築する上で機能しているという。けれども、日本の現代社会では老成や死のイメージが希薄であり、メディアでは死の痕跡すら抹消される。そのような社会環境やメディア環境によって形作られる日常のなかでは、終わりなき日常を錯視してしまうのは当然であると、著者はいうのだ。宗教がロールモデルを提示しない社会環境では、マスメディアがその役割を果たすはずだったのだが、実際にそこにあったのは、ひたすら「若さの延長」の喧伝だったのである。

この生物学的加齢・社会的加齢のバランスが崩れやすい世の中をどのように変化させていけばよいのか。本書ではその方法についても語られている。その方法は、とてもシンプルなものだ。

「年の取り方がわからないなら、上下の世代と学び合おう」

これが著者の「若作りうつ」に対する処方箋の提案ということになる。世代間コミュニケーションにこそ、年を取っていくための希望や可能性があるのではないか、というのだ。

そのようなコミュニケーションを可能にするインフラなどをどのように構築するのか。それが本書を呼び水としたこれからの課題のひとつと言っていいだろう。そして、それはおそらくコミュニティの形成と無関係ではない。この問題は、個人の抱えた問題でもあるが、私たちが構成する社会の問題でもあるからだ。

本書では時代を映す鏡として、サブカルチャーについても語られている。日本のサブカルチャーは、その機能として脱階層化という特徴を持つという議論があるが、そのような文化が可能になったのもこのような上手く年を取っていけないという社会的背景と無関係ではないだろう。

しかし、老いや死の問題をこの社会が如何にしてライフサイクルにインボルブしていくかは、サステイナブルな社会が構築できるかどうかということと同義でもある。具体的には、親や子ども、そして、後進の育成など、役割のシフトをライフサイクルの中には組み込んでいく必要があるのだ。そのような社会的老成とインターネットやサブカルチャーがどのように関係を結んでいくのか。その未来予想図を、私たちはまだ上手く描けていない。

そのような中で、いわゆる都市部のこじれ系インテリ層における「ヤンキー」と呼ばれる層へのあこがれと拒否というアンビバレントな感情も存在しているのではないだろうか。なぜならば、そこでは生物学的加齢と社会的加齢との一致を見て取ることができるからだ。おそらくその直観は、大事にして良いものだと思われる。

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)
熊代 亨
講談社
売り上げランキング: 781

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

Share on Facebook
LINEで送る
Pocket