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Wax Warhol

1、ウォーホルとデュシャン

自らの個性を無化して、外在的な要因に作品制作の根拠をゆだねること。それがアンディ・ウォーホルにとって、作品制作における基本姿勢でした。「機械になりたい」。その言葉には、自分の内面を無化したいという希求が現れていると言ってよいでしょう。だからこそ、ウォ—ホルの作品は観る者自身を映す鏡にもなるのです。そのことを前提としながら、このレビューを書き綴っていきたいと思います。

ウォーホルの印象的な作品として、キャンベルスープの缶詰のように既製品のデザインをほぼそのまま使用するというものがあります。そのような作品制作の先駆者といえるのは、マルセル・デュシャンでしょう。デュシャンは、近代の作家が最重要視した個人の感性ではなく、考える自由、精神の自由を芸術表現において最も重要なものとしました。いわゆる「レディ・メイド」と呼ばれる作品は、機能を追求する科学・技術と、美を求める芸術の両方を批判の対象とすることを目的としたものです。デュシャンは作品にふれる鑑賞者の立場を重視し、鑑賞者のものの見方の世界が広がることを創作行為の目的としたのでした。

ウォーホルの場合、デュシャンのように鑑賞者のものの見方に干渉しようとする意志は表明されていません。少なくとも、自らの作品に対してそのような説明はないのです。その意味で、デュシャンの芸術における作家の感性主義批判は、ウォーホルにおいてその批判精神自体も消失することになった、ともいえるのではないでしょうか。また、そのことが聖と俗を同時に表すことを可能にした要因でもあるでしょう。

2、4つのモチーフとひとつの構造体

今回の展示は、最初に晩年の作品である自画像があり、以降は各年代ごとに作品がまとめられるという構成になっています。それぞれの年代の作品がそれぞれのコンセプトによってまとめられていて、時系列によってその変遷を辿ることが可能になっている。そして、この展示を観たあと、私の頭の中にある構造体が出来上がりました。それはウォーホルの「個性」とも言えるものです。

それはとてもシンプルなものです。その構造体は、以下の4つのモチーフによって構築されています。

1.〈大量生産・大量消費のモチーフ〉
2.〈現代の死のモチーフ〉
3.〈有名人のモチーフ〉
4.〈宗教のモチーフ〉

同一のものを大量生産することが可能になることで、富めるものもそうでないものも同じものを食べるようになるという工業化・システム化が進んだ社会。ウォーホル自身がキャンベルスープを愛飲していたことからも、そのような世界観を歓待していたことを想像することができます。これは工業化された社会の「光」の部分と言えるかもしれまん。

それに対して「死」をモチーフとした作品もウォーホルは制作しています。それらの作品は彼の他の作品に比べてあまり売れなかったらしいのですが、明確にウォーホル自身がその作品を作りたいという意志を示したモチーフでもあります。これは高度に発達した工業化社会における「影」の部分と言えるかもしれません。

この〈大量生産・大量消費〉と〈現代の死〉という二つのモチーフは、高度に工業化された時代の「光」と「影」という「対」になっているということができるのではないでしょうか。もちろん、ウォーホルは自分の価値判断というものをできる限り作品に反映しようとしない作家であるわけなので、そこに「光」や「影」という意味合いを込めていたわけではないというとは、確認する必要があるかもしれません。商業主義的に喧伝される商品だけでなく、その結果起こる悲劇的な現象も描いていくことは、とても公平な視点からその社会の姿を眺めていたことを感じさせます。

この〈大量生産・大量消費〉と〈現代の死〉の二つのモチーフのちょうど中間に位置するのが、〈有名人のモチーフ〉です。このモチーフでは、当時のスターたちだけでなく、犯罪者や権力者も扱いました。その当時発展していたマスコミや権力が散布するイメージを作品化していく取り組みです。

この〈有名人のモチーフ〉においても、その内部でふたつに分けられるように思います。ひとつはメディアにおけるイメージ、そしてもうひとつは、権力におけるイメージです。前者は〈大量生産・大量生産〉、後者は〈現在の死〉にそれぞれ相似しているように見えました。つまり、この〈有名人のモチーフ〉の中で先に挙げた二つのモチーフが混在していると見てとることができるのではないでしょうか。その意味でも二つのモチーフの間に位置するモチーフということができるかもしれません。

そして、4つのモチーフのうちの最後は〈宗教のモチーフ〉です。これは主に晩年に現れてくるモチーフなのですが、ウォーホル自身、敬虔なカトリック信徒だったことと関連しています。彼の死後に寝室が一般公開されたのですが、その部屋の様子からも熱心な信徒であったことを見てとることができます。美術史家の宮下規久朗さんはその著書『ウォーホルの芸術』の中で、ウォーホルの個人否定や自己の無化を「まるでキリスト教の隠修士のようだ」、と言っています。

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そしてここで、今回の展示の一番最初の自画像に戻ってくることになります。あの作品は「宗教のモチーフ」を使用して制作された「イコン」なのです。この作品によって、ウォーホルの作品群はひとつの構造としてパッケージングすることが可能になっています。つまり、ウォーホル「個人」に帰属する作品群として。

3、ウォーホルと汎神論

そのウォーホルの作品が作り上げている構造体を思想的・哲学的にみてみると、もしかしたらスピノザに近しいものがあるといえるかもしれません。スピノザの汎神論は唯物論的な一元論でもあったからです。今回の展示を観終わったあと会場である森美術館のある森ビルから東京の夜景を眺めた時に、目の前に広がっている風景がいつもと違って見えました。街自体が作品に見えたのです。それはウォーホルの汎神論的な感覚にチューニングされた状態で、東京の街を眺めたからなのかもしれません。

4、継承者としてのグルスキー

現在、ウォーホルの作品を芸術史のコンテクストで継承しているのは、誰なのでしょうか。その一人は写真家のアンドレアス・グルスキーのように思います。グルスキーも高度に発達した工業化、産業化、そして、その先のグローバル化をテーマとしている。巨大なシステムを象徴するような作品が目立ちますが、ウォーホルにおける〈現代の死のモチーフ〉にあたる作品もあります。

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ウォーホルの死のイメージに当たるのは、グルスキーの連作である「バンコク」という作品群であるかもしれません。ウォーホルにおける死のイメージは、商業化、工業化、グローバル化しシステムが巨大化していく中で、そのシステムを維持するため「陰」で起きている現象に焦点を当てるような作品に見える。システムの生み出した残余のようなものを、汚れた河やそこに浮かぶゴミや油は表象しているように見えます。そのイメージはウォーホルにおける〈現代の死のモチーフ〉の作品群との相似を感じさせます。

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今回のウォーホル展では〈現代の死のモチーフ〉の作品は少なめだったようです。その理由はウォーホルの作品紹介という側面が強かったから。日本側は作品の選択に関してほぼノータッチだったそうです。あと、ウォーホルの作品は著作権が厳しいことでも有名。そのあたりのことも考察すると面白いのですが、元々煩雑な文章の上、さらに煩雑になるし長くもなるので、このレビューはここで終わろうと思います。

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森美術館10周年記念展
「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」

会期: 2014年2月1日(土)-5月6日(火・休)
会場: 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
企画: 近藤健一(森美術館キュレーター)、ニコラス・チェンバース(アンディ・ウォーホル美術館ミルトン・ファイン・キュレーター)

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(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com