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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

1. アドラーと自己啓発

本書は自己啓発の源流にあるアルフレッド・アドラーの個人心理学の全体像を、青年と哲人の対話という形式で描き出している。

もしかしたら、自己啓発という言葉を聞いて、ある一定の人たちは本書を敬遠してしまうかもしれない。なぜならば、この自己啓発という言葉は、一般的にあまり良い意味で使わないことも多いからだ。例えば、スピリチュアルとかマインドコントロールなどと同様に、客観性と分析的思考を重視しようとするタイプには敬遠されがちなワードなのではないだろうか。人を一種の陶酔状態にすることによって、ある特定の方向へと誘導するようなイメージがあるやうにも感じられる。

しかし、本書で描き出されている内容は、そのような自己陶酔や思考停止を誘発するようなイデオロギーではない。むしろ、他者との間に一定の距離を取り、自分自身の課題と他者の課題を分離することの必要性が説かれるところから始まる思想なのである。その点において、一般的に自己啓発に付きまとうネガティブイメージの持つ前提とは、異なるといえるのではないだろうか。

自分と他者の課題を区別するといっても「自己中心的であれ」と言っているわけではない。むしろ、他者から視線を過剰に気にかける生き方こそが、自己中心的なあり方なのだとアドラーは説くのだ。つまり、他者の視線を過剰に気にかけることは、自分を守るという目的において為されるものであり、自分のことしか考えていない態度であるということなのである。

2. 個人心理学と共同体

以上のように、アドラー心理学はまず「切断」を基本に置く。けれども、それは孤独になることを意味しているのではない。その根拠となるものが「共同体」というものに非常に価値をおいているところだ。

ここでいう「共同体」というのは、人間の集団に留まらない、というところも特徴的だろう。他の動植物や無生物にまで、その「共同体」意識は広がっていく。この特徴はアドラー心理学をスピリチュアルなものとして解釈させるかもしれない。けれども、それもまた個人心理学をシステム化する上で必然的な帰結であるのだ。

アドラーの個人心理学において、私たちが何かしらの困難に直面した時にまず考えるべきことは、「より大きな共同体の声を聴け」ということになる。そして、その広がりは人間社会に留まらないことによって、人間社会の外部を意識することができるようになる、ということなのだ。

そして、アドラーは、人は共同体にとって自分が有益だと思えた時、自らの価値を実感できるとし、「幸福とは、貢献感である」とまで言い切るのである。つまり、共同体へのコミットメントと幸福というものが分かち難く結びつき合っているのだ。

3. フロイトとアドラー

アドラーは、フロイトやユングと並ぶパーソナリティ理論や心理療法を確立した人物だ。けれども、日本においてそれほど知られてはいない。日本ではやはりフロイトの言説に親しみのある人たちが多いだろうが、そのフロイトの精神分析の理論とアドラーの理論は鋭く対立している。

その理論において、人の言動などを規定するものを、フロイトは過去の原因に目を向け現在を説明しようとするが、アドラーは現在の「目的」に目を向けることによって説明しようとするのである。前者は「原因論」、後者は「目的論」と現状分析をする手法が全く異なっているだ。

その違いが顕著に出るのがトラウマに対する議論だろう。アドラーにおいて、トラウマの存在は明確に否定されるのである。そして、フロイトの「原因論」はその帰結として運命決定論へと向かうとし、人を過剰に過去に縛り付けることによって、自由を奪っているとして批判する。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」(p.29-30)

「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」(p.44)

私たちは「いま、ここ」にしか生きることができず、過去にどんなことがあったかは「いま、ここ」になんの関係もなく、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではないとするのだ。このことによって、過去に囚われ身動きの取れなくなった人の持つポテンシャルを解放しようとするのである。

4. アドラーと現代哲学

アドラーの個人心理学は、いわゆる現代哲学というジャンルと重ね合わせながら語ることも可能かもしれない。

例えば、自らの属する「共同体」を認識するにあたって、無生物にまでその範囲を拡張するあり方は、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』のそれに近しいものがある。また、「いま、ここ」を最重要視することは、「強度」という概念とも関係がありそうだ。そういえば、ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』においては、精神分析の持つ物語を批判している。また、まず自己と他者の課題の分離を意識するところなどは、ポストポスト構造主義における「切断」とも関係しそうだ。過去の価値決定を宙吊りにしそこから無限の可能世界を紡ぎだすそのあり方は、ジャック・デリダの脱構築のそれに近しいものがあるかもしれない。

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もちろんその言説のスタイルは全く異なるように見えるが、機能として考えると実は近しい効果を持っている側面があるのではないだろうか。

ただ、それらと異なるところは「幸福」とは何かということに具体的に踏み込み、そこへ人を誘う方法論を検討したところだろう。その是非については、本書を読んで確認してみるといいかもしれない。

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(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com