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フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

当たり前のことであるが、「故郷」(ふるさと)という言葉は「生まれ育った土地」のことを指す。けれども、本書では「フルサト」とカタカナ表示にすることで、その「故郷」の中にある機能を指す言葉として使用しているのだ。

つまり、「フルサト」は必ずしも「生まれ育った土地」である必要はないということなのだ。その機能こそが「フルサト」なのである。それはどのような機能なのか。それは本書を読み進むことで確認することができるだろう。

近年、田舎暮らしと都会暮らしを組み合わせるライフスタイルの流れは徐々に強まっている。それはどのような潮流として位置付けることが可能だろうか。その位置付けをここでは2つの観点から行ってみよう。

1つは、歴史的な観点。

近代化は、田舎から都市に、ヒト・モノ・カネが移動させつつ、一つの国家システムを構築するに至る。言ってみれば、役割が分担されたわけだ。そして、ここに「田舎<都市」という図式が成り立つ。つまり、単純な優劣が構築されたのである。

けれども、この「フルサト」という言葉には、この単純な優劣の意味合いを含んでいない。人類の発明品である「都市」を使いこなすための「田舎」でもあり、また、閉鎖することで起こりやすい硬直化を緩和し、変化を続けるための「田舎」なのである。

つまり、この「都市」と「田舎」を優劣としてではなく、別の価値を持つ場所として有機的に再構築するという歴史的な流れの中でこの「フルサト」作りを捉えることが可能なのではないだろうか。

もう1つは、セーフティネットという観点。

同じく近代化以降、いわゆるセーフティネットの場所は大きく変化している。例えば、日本が経済的にだった頃は、「田舎」から「都市」へと流入した人々のセーフティネットは会社であった。

「年功序列」や「終身雇用」、充実した福利厚生など、セーフティネットとしての機能を会社が果たしていた。けれども、経済成長が緩やかになりグローバルな競争も激化してくると、会社はセーフティネットとしての役割を果たすことが難しくなってくる。

そのため、セーフティネットは行政における制度に重点が移ることになるわけだが、どうもその制度も現在は万全な体制とは言える状態にはない。社会状況の変化に合わせた制度のようにも見えないし、財政難と言われる中で、その分野が充実していくことも困難なことのようにも思われる。

けれども、人間にはその生涯設計においてセイフティネットは必要だろう。そして、残るセイフティネットは現在、日本社会の中では「家族」となっているわけだ。これがあるのとないのとでは生涯設計の安全性に大きく違いが現れる。

しかし、この「家族」は全ての人々に平等に備わっているものではない。そこには本人ではどうしようもない偶然が支配する世界もある。つまり、この「家族」はセイフティネットとして有効ではあるが、全ての人を包括することができるものではないということなのだ。

そのコンテクストの中に「シェアハウス」の流行を配置することも可能だろう。血縁関係の「家族」に恵まれていないのならば、「家族」を作ればいい、という発想だ。

さらにその延長線上に「フルサト」をつくるということを配置することもできるのではないか。後天的に「家族」をつくり、さらに「フルサト」もつくってしまおう、ということなのである。

以上のように、歴史とセイフティネットの変化の中で、本書の「フルサト」を意味付けることが可能なのではないだろうか。

私的なことであるが「フルサト」と聴くと、ネパールのカトマンドゥにある日本料理屋「ふる里」を思い出す。そこは、日本人の駐在員や年金暮らしの老人、旅人などが日本料理を懐かしく思い集まる場所だった。もしかしたら、「田舎」に「都市」を懐かしく思う「フルサト」ができる日も来るのかもしれない。そんな気もしている。

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伊藤 洋志 pha
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(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com