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アドルフに告ぐ 1
アドルフに告ぐ 1

posted with amazlet at 17.02.14
手塚プロダクション (2014-04-25)

 自分や家族、仲間が安全に暮らせる社会に住みたいという思いは、ほとんどに人間が持っている欲求だろう。その欲求を脅かすものとして、たとえば、戦争や差別、貧困などがあげられる。だが、ある集団、例えば国家のなかで、有限な富を配分する場合、フェアな配分がされない人びとというものが人間の世界には存在している。たとえば、本作品『アドルフに告ぐ』では、ナチス・ドイツにおけるユダヤ人がそれにあたる。

 その国家というシステムのなかで理不尽な目にあう人びとは、自分たちが安心して暮らせる場所を切実に希求する。それは現在のところ「国家」というものに求められるものだ。なぜならば、ただのコミュティというだけでは、現代の国家が持つ法律とそれを下支えする暴力に抗うことができないからだ。その結果、その集団の主体性を体現することができないことがあるからだ。そのため、ある集団が運営している国家というものが、自分たちが安心して生活をすることができる基盤となってくる。

 しかしその国家は、新たなる排除の対象を作り出していく。境界線をきめて内と外を確定する力が、国家というシステムのなかには埋め込まれているからだ。つまり、排除され差別したものが国家を作り出すとき、その暴力を再び、今度はされたほうが繰り返してしまうという構造がそこに生まれてくるのだ。その悲しみが堂々めぐりしていくこと。本作品で描かれているもののひとつは、そのような人間の有様だということができるだろう。

 けれども、不思議とこの作品には、悲壮感のようなものが漂っていないことに読者は気がつくだろう。手塚の眼差しは、そこにある情念をしっかりと捉えながらも、それに絡め取られてはいない。私たちがこの作品を読みながら寄り添うのは、そのような視線なのだ。それは人間の、どうしようもない営みを見つめ続ける愛でもあるが、それと同時に強い痛みもそこに確かに存在している。

 すべてを起きてしまった出来事を肯定しながらも、その痛みを持ち続けること。そのことが、かろうじて私たちの不確定な可能性を活かすことにもなるのではなかろうか。

(了)

アドルフに告ぐ 1
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手塚プロダクション (2014-04-25)