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東京スカイツリー論 (光文社新書)

 日本最大の都市・東京は、多くの地方からの寄せ集めで成立しているとよくいわれる。私自身、東京は自分の地元ではないこともあり、その寄せ集めの中にいるという意識は、この都市の前提として無意識的に思考していることも多い。
 もちろん、東京にだって下町や地域コミュニティなども含め、様々な土地固有の歴史の連なりが存在する。けれど、その上に多様な人たちや日本の近代化の流れが乗っかっていく中で、それらが見えにくくなっているという側面もあるだろう。

 東京以外の地方などから来たての人がよくいう感想の一つとして「東京の人は冷たい」というのがあるが、その理由の一つとして東京という都市が多様なバックグラウンドを持つ人々の寄せ集めで出来ているために、共通のコミュニケーションの前提を築くことが難しいからということもあるだろう。つまり、それは「他者性」が「メイン」となった地域だからこその最適化の結果なのだと。
 また、その冷たく思われている当人たちにそのことを話すと、「むしろ、おびえているのは自分たちの方だ」、という意見が聞かれたりする。何かだまされるのではないかという警戒感からそうしてしまうのだと。もちろん、単純に忙しいということもあるだろうけれども、何らかの近代以降の最適化が機能しているところもあると想像される。

 さて、特に意味のない前置きはこれくらいにして内容に入っていきたい。本書は震災直後の東京におけるインフラの停止が、街道の往来という江戸の日常の光景を浮かび上がらせたのではないか、という話から始まる。その始まり方が象徴しているように、東京の地元民として、「当事者」としての視点で書かれた「スカイツリー論」となっている。

 本書は5つの章によって構成されており、それぞれの観点から「スカイツリー」が論じられている。各章で狙われている課題を簡潔にいうと以下の通りになるだろう。

第1章「インフラ編」
 そもそもなぜ東京スカイツリーというテレビ電波塔が建てられてたのか、計画の基本的な背景と具体的な経緯を解説し、そこから、放送と通信の在り方をめぐる我が国のメディアインフラ行政の問題点を浮き彫りにする。

第2章「タワー編」
 エッフェル塔や東京タワーをはじめとする歴代の超高層タワーを追う中で、スカイツリーが何を象徴するのかを建築史的な観点から明らかにする。

第3章「タウン編」
 江戸から東京に至る都市開発計画の歴史的文脈の中で「Rising East プロジェクト」と名付けられたスカイツリー周辺施設の開発計画がいかなるポテンシャルを抱いているのかを都市論的な視点から探る。

第4章「コミュニケーション編」
 新タワー計画の誘致時点からの住民運動や、スカイツリー建設開始後の祝祭的なファン活動のネットワークなど、事業者以外の主体が推し進めた地域ムーブメントの推移を詳述。

第5章「ビジョン編」
 ここまでの現状分析や問題提起を元に、東京スカイツリーの理念性をさらに掘り下げ、日本の未来像をいかに構想すべきかの思想的模索を行う。

 著者は「スカイツリー」の可能性を巡る物語を「微細な生態系の回復への道」、本書でいうところの「〈拡張現実〉の時代への道筋」としてまとめていく。「〈拡張現実〉の時代」とは、モダニズムによってやせ細った生態系との調和と人間の精神世界を再生していく時代のことをいう。そして、日本の文脈の中で起こりつつあるこの傾向を〈拡張近代〉と呼び、西洋近代化した日本が、失われた江戸期以前の叡智をルネサンスすることで切り開かれんとするユニバーサルな文明原理としていく。つまり、世界史においてキリスト教化した西欧が、失われたギリシャ・ローマの古典古代の知を復興することでグローバルな「近代」の文明原理を築き上げた「ルネサンス」という運動。それに匹敵するほどの世界史的課題を、この日本において「スカイツリー」は形象している、というのだ。

 どちらかというとインテリ層に関心を持たれにくい「スカイツリー」だが、そんな人たちでも本書を読み解く中で、その中にあるポテンシャルを発見することが出来るだろう。その意味で、「スカイツリー」に関心を持たない人こそ、本書を読むことに価値が生まれるのかもしれない。

 

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
未来回路製作所主宰。
個人ブログ:http://insiderivers.com