「かみさまは冷たくも優しくもない」、『神様 2011』(川上弘美 著) 評者:北原しずく

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神様 2011

 不安に晒されながら、それを当たり前のように覚悟し、いつか死ぬことを忘れて、素足に当たる太陽の暖かさ、通りすがる人の無神経さ、どこまでも変わっていってしまえる風景と、それに混じり溶け込みながら、置いていかれる感覚を拭い去れず、何があろうと日々が続くことに対して疑いを捨て切れない。目の前のものたちは、ちゃんと目の前にあるのに。

 ああじゃない、こうじゃない、でも、と、否定語で接続させていく毎日を、粗雑に生きることは、希望の証だと思う。

 一瞬一瞬を、いいこともわるいことも、誠実に受け入れる生き方は、終わりの匂いがする。ある出来事に対して、これ以上も、これ以下の意味もないと諦めているようで、それは、たおやかに深く、救いようがない。

 くまはとことん受け入れる。幸せを感じながら、辛さを知りながら、That’s ALL. と、柔らかく、絶望する。

 世界には二通りの傍観者がいて、一方には血の通うくまが与えられた。まだ捨て鉢になるのは早いよと、無関心な器に熱を注ぐようにして抱きしめる。もう一方には、血の通わないくまが与えられた。不安のはけ口。八つ当たりの的。羊飼いが叫んだ、地面の穴。

 くまはかみさまではなかった。くまは私たちと同じ土に足を着けた生物だった。私たちより少しだけ本能が自然に近い分、土の終わりを知っていた。それだけだ。

 かみさまは冷たくも優しくもない。黙って、じっと見つめていて、気まぐれに、或いは我慢がきかなくなったとき(私は、かみさまが一感情をもった生臭い存在であって欲しくないので、是非とも前案を推したいところ)に、ちょうど「王様の耳は~」と鳴る芦を生やしたように、気付きの一石を投じるのかもしれない。

 その一石が、世界を滅ぼす天のいかづちなのか、ひと一人を打ちのめすまでの破壊力なのかは、神のみぞ知るところ。

***

 川上弘美著「神様」に、東日本大震災による福島原子炉事故を受け、自身により修正、加筆したもの。

 少し過剰か不自然かと思える専門用語がセリフや地文に説明的に挿入されているため、「神様」と比べ、川上独特の突き放した暖かさは文章より若干削り取られているものの、不穏さを軽く語る腕は流石のもので、違和感はあるが読み飛ばすことなく読めた。

 また、登場人物に固有名詞がないのが良い。誰にでもある日常、という設定が説明なしで良くわかるし、登場人物を、よみ手の身近な人間に沿わせやすい。個人的には、川上の、カタカナで名前を出す表現はあまり好きではないので、それに出会わなかったのが嬉しい。

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 娘が母親に勧めてみて欲しい本だなあ、と思ったので、今度の帰省の際は、心配性の母に、おみやげに持っていこうと思います。

 

【北原しずく(きたはら・しずく)】(@cuww)
東京女子大学現代文化学部卒。20代独身メス負けそう組。広告会社を皮切りに、ころころ職を変え続け、現在は毛糸業界に身を潜める一方で、金の稼げない物書き業を営む。

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