「That’s 過剰姉妹!イリュージョン化するフェミニズム~2次元と3次元のはざまで~」(1/2) 栗田隆子

この記事の所要時間: 1014

※このインタビューは2010年5月23日に発行された『未来回路1.0』において発表されたものの再掲載です。

 

フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集栗田隆子(くりた・りゅうこ):有限責任事業組合フリーターズフリー組合員。女性と貧困ネットワーク呼びかけ人。

聞き手:中川康雄

 

 

 

1、過剰姉妹、誕生の秘話

 

 過剰姉妹は、「栗田隆子」に良く似ているけれど、栗田隆子ではないイマノキヨコがやってるものなんです。で、もう一人、いちむらみさこさんによく似てるけど関係のないバババさんという女性と二人で過剰姉妹というユニットを作っています。詳しくは『インパクション』という雑誌の171号の特集「つながる? つながれない? フェミニズム」に『SCOOP!!!!!過剰姉妹』という過剰姉妹自らが記した報告が掲載されています。それを読んでもらえるのが一番いいのではないかって思います。過剰姉妹って「説明する」ものではなく「やる」もので、栗田隆子だから説明していますが、過剰姉妹というのは叫ぶし、歌うし、ギターも弾くし。

—— 女性ってヴィジュアル的で意識されるという面で社会的に非常に大きな部分を持っていると思うんですけれども、見られる対象としての女性って未だに強いですよね。男性はそういう部分ついてはあまり関心をはらわなくてもいいような風潮もあるし。そんな状況の中でネガティブに観られる対象としての価値を自分自身で貶めるようなことをやることによって、女性が自分自身の投影じゃないけれども、「やめてくれ」となるいうのもわかります。でも、そのような活動をやることになったきっかけとかはなんなんですか?

過剰姉妹」誕生のきっかけですか…。

—— きっかけですね。誕生の秘話。

 誕生の秘話…。

—— パートナーがいちむらみさこさんというのが結構、僕としてはツボに入っている感じがするんですけれども。

 日本の三大寄せ場(東京の山谷、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町)と呼ばれる場所のひとつである寿町に「寿支援者交流会」というボランティア団体があるのですが、その団体が不定期に学習会を開いているですね。それで、昨年6月にその学習会で女性の貧困について取り上げたいという話があったんです。
 そして寿支援者交流会は、最初いちむらみさこさんに声をかけたんです。いちむらさんは、現在公園に住んでるし、そのような立場から「女性の貧困」について話をしてもらえないかということなんだと思うんだけど。そのときは栗田隆子が呼ばれるという話は全然なかった。でも私は、昔は不定期にボランティアで寿に行ったことがあるし、「女性と貧困」というテーマということもあって、いちむらさんが私に声をかけたんですね。
 そのときの私の最初の感想は、「えー。寿って、そんなふうに女性の貧困に対してニュートラルな場所なの!?そんなふうに女性と貧困を『学習』するなんていうことをやっていいの?」と思った。だって寿にはセクハラが日常的にあったし。

—— そうですね。そこにもやっぱりヒエラルキーが。

 うん、それは支援者の男性からのセクハラや、路上生活や日雇いをしている男性からのセクハラのどちらもあった。支援者の男性からセクハラをされると「社会を変えていこうと考えている人がどうしてセクハラなんてするの!?」ってかんじで男性や、その場所に対する不信感が芽生えるし。日雇いや路上生活者の人からセクハラを受けると、今度はどうしたらいいのかわからなくなる。自分は「ボランティア」として来ているから、その人達に対して「何かをしなければいけない」立場なのに「バカヤロウ!」って怒鳴るわけにはいかないと思っちゃうでしょう。まあ、結論としては、逆にそれこそが差別的な発想なわけで、「バカヤロウ」って、怒鳴る必要はないんだけど「いやなものはいや」と伝えることが、ほんとうに対等な相手を見るということだと、段々私自身も分かってくるわけなんだけど。
 とはいえこの問題はなかなか表面化されにくかった、というより何度も問題にはなっているけど解決されてないっていったほうがいいのかな。フリーターズフリーで一緒に活動している生田武志さんが書いた「ルポ最底辺」にも90年代の釜ヶ崎で沖縄差別と女性差別の問題が起きたということが書かれている。
それで釜ヶ崎の活動家達がその事態を巡って総括会議を開いても、結局段々その会議そのものが尻つぼみになっていくということを『フリーター論争2.0』で話してくれた。生田さん自身もどうしたらいいかわからなくて、釜ヶ崎の活動から5年間遠ざかっていたっていうんだよね。「フリーター論争2.0」で、この複合差別的な寄せ場での性の問題についてフリーターズフリーのメンバーや山谷に関わっている人や学生さんも交えて対談している。
 でも女の人がそういう目にあったときに、いちいち声を上げるのはほんとうに労力のいることだからね。わたしもそうだったけど、やはりボランティアに行きづらくなって、自然と行かなくなるという人がほとんどだと思う。そしてよくよく考えるとこの「ボランティア」っていうありようが曲者なところがあってね。結局寄せ場はかなりはっきりとした形で現れるけど、この社会で女の人が求められるのは、「セックスボランティア」じゃないかしら。気遣いとか気配りというのも女性性だし、実際にセックスを求められることもあるわけだし(爆)。「あらゆる面で女性性を求められている空間だよね」、という話になりまして。だからそこに居辛いし、気が付けば女性達が来なくなる。そのような場所で女性の貧困をニュートラルに聞くなんてことがあっていいものかと思いましたね。まずその場の力学がまさに女性の問題を生み出しちゃってるっていう。

—— そちらが保守層になっている。だから覆い隠したいみたいな。

 問うべきは自らであって、「かわいそうな女性を助けましょう」という姿勢じゃあ、社会構造を問うなんておかしい。社会構造を問う中で自分が問われなきゃならないでしょうという。

—— 「足元お留守」問題。ありますよね、それは。

 男性・女性と二分できないけれども、自分のことは置いといて、女性の貧困を聞くなんて、それはちょっとないよね、ということになったあたりから過剰姉妹がムクムクっとユニットとして誕生しました。例えがヘンかもしれませんが、合コンで美人の女性を誘って、合コンの枠に収まる、男性も脅かされることのない穏当な会にするつもりが、美人の友人のとんでもないブスまでどういうわけか一緒についてきて、そしてその肝心の美人の女性まで思いがけない方向のトークをかっ飛ばしていくみたいな(笑)。
 そしてくどいようですが、栗田とは直接関係ないイマノキヨコさんは忌野清志郎が亡くなったショックから生まれたという定説があります。清志郎というよりタイマーズのゼリーというべきか。つまりヘルメットを被ってですね、「セックスボランティア」って赤い字でヘルメットに書きまして。まさに「緋文字」ですね。さらに格好をどうしようかと考えたんですよ。「過剰姉妹」はロリータと母を撲滅しようという話にだんだんなっていくんですけれども。

 

2、「少女性」と「母性」を殲滅?

 

—— ロリータと母を撲滅かー。

 やっぱりどっちも求められるんですよ。

—— 女性性、ですよね。

 寄せ場に限らず、ロリータを言い換えれば「少女性」とそして「母性」をものすごく求められるんですよ。

—— 美少女ゲームとかもう…。

 ロリータ、母性、殲滅(笑)。そして、運動するなら「運動着」だろうってことで上は白いTシャツで、下はブルマー着用。あのいやらしい視点でしかもはや見られないブルマーをこういうふうにリサイクルしてみる(笑)。四十に近づきつつあるイマノさんの、誰も見たくはないだろう太ももには思いっきり「ブス」とか「デブ」とか「自責」とかマジックで書きまくられてて。あといわゆる「上履き」も白いのを用意したんだけど、それはぐちゃぐちゃに踏みつけられていてやっぱりバカとか悪口が描かれてある。「イジメ上履き」状態ね。そのヘルメット被ってサングラス付けて。36歳にもなった人間が(笑)。足も剥きだしなんでなんだったら脱毛もせず、すね毛も見せてやろうという勢いで。

—— 鼻毛とかも。

 顔をハートマークのピンクの手ぬぐいで覆っちゃってるんで、鼻毛は見えないんですけれども。あといちむらさん似のバババさんは、渋谷の「ヤマンバ」をリスペクトするということで、「ヤマンバもそんなに黒くはないだろうよ」というくらい顔を真っ黒に塗りたくって。で、二人で会場に乱入するわけです。バババさんはほうきを持って床を掃いたりしながら、イマノさんはギター持って、「過剰姉妹」の歌をうたったんです。ちなみにそれは「タイマーズのテーマ」(「タイマーズのテーマ」自身も「モンキーズのテーマ」の替え歌である)の替え歌で、♪Hey Hey We’re the Sisters! 過剰に怒っている~。いつでもどんなときも~過剰に怒ってる~♪って歌いながら入るとみんな呆然としているという・・・。

—— うーん…なるほど…。

 あー、でもこうやって口で説明しちゃうと、ほんっとつまんない(笑)。こういうトークよりもそれを実際に観ることが多分大事でなのですが。ただ、「過剰姉妹」は招かれたことろには来ないんです。

—— むしろ、招かざるところに現れると。

 だからちょっと今日、こうやって語るのはルール違反になるんですけど(笑)。でも、これが誰に読まれるかにもよるかな。フェミニズムが嫌とかいう人だったら、いいのだけれど。ちなみに、その後、その噂を聞いてですね、「過剰姉妹ウェルカム!」という声が実は、いくつか、あったんですけれどもそのお誘いにはバババさんとイマノさんはのらないみたいで。

—— そこに違和感を発生させることが目的であるからと。

 如何に違和感を発生させるかってことを考えたいっていう。ほんとはこのトークをしているただ中で違和感を生み出していかなきゃいけないのだけど、どうかな。過剰姉妹のポイントはやはり見た目の部分も大きいから。人間見た目じゃないよっていいますけど、やっぱり見た目の問題って大きくて。

—— コードを乱すじゃないけれども、その場の支配するコードみたいなものを。

 過剰姉妹を観てしまった人たちがそれだけでも問われてしまうっていうか。無視するか、大笑いするか、拍手するか、怒るかって・・・それはその人が持っている何かが表れるわけだから。「過剰姉妹」を見た人のなかで、その感想をブログに書いてくれた人がいたんですけれども、その人は「呆気にとられて笑うしかないってこういうことなのか」と書いてくれてた。たとえばアフリカ系アメリカ人の「黒人差別」の問題というのは、肌の色を抜きに話ができないわけでしょう。もちろん「なんでそんな肌の色に拘るのか」という問題提起も含めてだし、産業や国家の利益に「肌の色」を理由付けにしたということも含めて。だから女性問題というのも、当然「女性の体を持っている」とみなされることから生じるわけで、女性の問題はどこまでも見た目の問題、身体の問題と言う側面がある。その見た目は、ただありのままに見るということはまずなくて、そこからロリータ的な物語とか母性と少女性という物語を作り出すし、またその物語が見た目に影響を与えるということも当然ある。それは男の人だけでなく女の人も率先して母性と少女性を演じてしまうからね。自分を守るために。

—— 社会的に承認されるための重要な要素。

 うん。あたしも「過剰姉妹」を語ると気持ちが過剰になってくるなあ。この話を聞いてる人や読んでいる人は皆さんには、少女性や母性を求めるって何なんだろうと、己に問いかけることなしにこのトークが消費されるのはすごく嫌。少女性や母性を求める気持ちをすぐになくせるとか、そんな甘いものじゃないとしても、そういうをスルーして知的な好奇心だけで聞かれるのはすごく嫌っていうのはある。

 
2/2へ続く

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