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この記事の所要時間: 79

高橋文樹(たかはし・ふみき):1979年生 千葉県出身 小説家。
blog:TakahashiFumiki.com
twitter:@takahashifumiki

 

聞き手:中川康雄(未来回路)

 

—— まずは『破滅派』っていう同人誌を作り始めたきっかけをお聞きしたいです。そしてその同人を現在、会社にされているということ、そして破滅村というコミュニティを作ることを考えるに至った一連の流れのようなものをお伺いできればと思います。

 『破滅派』を作ったのは2007年です。僕が大学生の時の2001年に幻冬舎の学生文学賞を獲って、単行本を出して作家デビューとなったのですが、その後、大体5年くらいずっとボツをくらっていて。それであまりにも出ないので、ちょっと自分たちで出せる媒体を作ろうと。ウェブだったらお金掛からないんでいいじゃないかっていうことで、僕以外にウェブに詳しくてHTMLをかける人がいたので、それで始めたのが最初です。たまたま『破滅派』を始めた頃が、新潮社の人に新潮新人賞に作品を出せって言われていて、ちょうどその時『破滅派』もやっていて同時平行で書ていて。それで新潮新人賞を獲ったっていう感じですね。で、まあ、その後は文学フリマとかを知ってこういう場所があるのなら同人誌を作ろうということになり、紙の雑誌を作って出すっていうのをやってみました。なので元々はウェブで作品を発表していくっていうのが始まりなんです。

—— 『破滅派』のコンテンツを集めたりする時に、何かコンセプトみたいなものってありますか?

 僕の意識だと僕自身が純文学の世界で書いているので。純文学って別にそれ単体では儲かってなくて、言ってみればどっか別のところで週刊新潮とかマガジンとかジャンプとかが稼いだお金を文化的に価値があるという名目でやっているというのが純文学かなぁ、と。僕は売れるものがいいものとは別に思っていないし、そういうものを出版社が機能として持っているっていうのは、「そういうものだな」とぐらいの認識なんですよ。ただ、他の人が稼いできたお金をいわば無駄遣いして成立する文化っていうものの席に僕は入れてもらえないので。だったら自分でやるしかないな、と。結局、何で出ないのかというと、当時は全然わかんなくて。今もあんまり分からないんだけど。かといって『途中下車』は3000部ほど刷ったんですけれども、それぐらいでも出してもらえる人たちもいるわけですよね。何か出版するに足るだけのものを持っている人がどうやら出してもらえるらしい、というのが当時の認識で。僕はそれをやってもらえる人がいないから自分でやろうというのが、一番最初のモチベーションですね。

—— 世に受け入れられるような文脈を自分自身で作っていくメディアとして破滅派を考えた、ということでしょうか。

 そうですね。そういう作品が実は世の中にはいっぱいあって、それが集まるんじゃないかなと。読者の側もそれを見つけてくれるんじゃないかっていう感じで始めました。今はだいぶ変わりましたけれども。

—— 今、その破滅派っていうグループを会社化されているわけですよね。そこに至る道みたいなもの、例えばどういう動機で会社、株式会社という形態をとられたのか、とか。

 これは僕の個人的な話になってしまうのですけれども、僕の生活の大半を占めているのは文学的活動をするっていうのと、ウェブを使って文学を研究するための何かをするっていう主に2個に分けているんですね。それ以外に生活していくっていうのがあって仕事をしていかなきゃならないので、はじめは会社勤めをしたんですけれども、もう何か学ぶことはないな、と。別にこのまま会社にいてウェブの技術が上達していってもしょうがないなと。それだったらまずフリーになった方がいいだろうと、それがまず一つあって。もう一つは、『破滅派』で活動をするにあたって、出版をしたりとか、後はウェブ上で僕らはずっと無料で出し続けるっていうのが信念なわけではないので、ウェブ上で小説を発表してお金がもらえたらそれはいいな、と。僕もかなり早い段階で電子書籍で出版してたりとかしてたんですけれども、結局何をするにしても個人だと出来ないことが結構あるので、法人格っていうのを持っておいた方が便利なことがあるんです。

—— 会社化っていう流れと破滅村というコミュニティの2つっていうのは高橋さんの中でどこか接続点がおありなのでしょうか?

 ちょっと話が大きくなるのですが、僕は日本の将来に関してすごく悲観的で、もう大半の人はこれまでの生活を維持できないし、今までの様には幸せになることが難しくなるだろうと考えています。なので、コミューンの一番原点は何かというと生活をダウングレイドするとかダウンサイズするとかいうことが実は密かなコンセプトなんです。なので、それでも暮らしていけるっていう。それと同時に自給自足でマクロビみたいなことをやって生きて行くっていうのは、もう金持ちの遊びみたいなものです。農業とかもちょっと、「新しき村」を観に行って農業はちょっと無理だなって感じたところなので。大変だなって。労働が大変なのと、農業に耐えれるのであれば都市型の生活にも耐えれるんじゃないか、とか。あと、都会の喧噪に疲れて土いじりしたいって時期が人生にあると思うんですれども、それも結局、鬱病になる寸前まで働いて移るとかだったらいいと思うんですれども、それって結局、あんまりサスティナブルではないというか。

—— それで思うのはそれだけ売れているミニコミがちょこちょこ出ているのに、例えば、販路を開拓する時にそれぞれのグループが別々の販路を開拓するじゃないですか。インディーズの販路みたいなものがもうちょい業界全体として開発されるような方向には行かないのかなぁと。

 僕が「ミニコme!」をやろうと思ったのも元々はそれで、別にみんなISBNとか欲しいのかなっていう。ほとんどの人は別に本を作りたいわけであって、会議とかしたくないし、大体ミニコミ作るような人はそういうのに長けていない人が多いと思うんですよね。だからそういうのはまあ、一元しちゃった方がいいな、と。結局、就職活動で、業界地図とかみるとわかるんだけれども、出版業界で一番大きいのって、結構、取次ぎが大きいかったりするんですよね。流通網を持っているっていうのが強い。結局今、ミニコミ誌で勝ってるところって、流通網っていうものを引っ張ってくるところなのかなぁと。結局、鍵はそこかなぁ、という感じですね。

—— それぞれが1から積み重ねていると、全体としての積み重ねが形成されないっていう。

 『破滅派』を始めてからウェブサイトの構築とか破滅派自体のDTPをやったりとか、そういうようなことをやることに時間を取られて、結局自分のものがほとんど発表できていないっていう状況になっていて。そういうのを早くなくしたいなぁと。

—— また話は脱線してしまうのだけれども、高橋さんにとっての純文学の定義ってどういうものですか?

 僕自身は純文学じゃなくても全然よくて、海外のガルシア・マルケスとか大江健三郎が結構好きで入ったところがあるから、80、90年代くらいの世界各国の作家の作品を読むことが好きで。共通項みたいな歴史のウネリみたいなのもあるのだと思うのだけれども、何かそういうのを書けたらいいなと漠然と思っています。今では日本の文学って結局私小説なわけじゃないですか。その私小説を自分なりに消化していった人たちが良いものを書いているんだな、と。それが僕なりの結論なので。そういう私小説を上手く昇華させたようなものを書きたいな、と思います。それが僕なりの純文学なんですね。けれども、今は純文学=文学賞みたいなところがあるので、そういう意味では全然純文学じゃなくてもいいです。

—— それではそろそろ最後になりますが、今やられている『破滅派』の最終的なモデルというか、どういう形になるのが理想かなーと考えていますか?

 究極の姿としては、『破滅派』のコミューンの方に住環境というか生活空間を用意して、株式会社破滅派の理想型としてはそこに労働を提供するっていうのが理想の循環ですね。その労働の種類が何なのかっていうのは別の話ですけれども。それが物書きの仕事をいっぱい供給できるとか、ウェブ系のシステム開発なのか、それともまったく別のものなのかわかんないですけれども。それが一番いいかなと思います。

(了)

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