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1.多様な価値観を持つ人々とナチュラルに会話をするために

 

谷 竜一(以下、谷):今回、F/T12(http://festival-tokyo.jp/)の公募プログラムとして上演する作品(「不変の価値」http://www.festival-tokyo.jp/program/12/permanentvalue/)を形にしていくにあたって、取材を沢山しようと思ったんです。

 去年、上演したバージョンは、前半後半でざっくり分かれていたんですね。前半は割と観客参加型というか、そういう言い方はあまり好きではないんですけれども、インタラクティブなそんな感じで(笑)。そして、後半は僕は結構書いてたんです、台本を。それに何か限界を感じたというか。 僕が書き手として、もっと想像して書ければいいんだけれども、どうしても今回は「お金」がテーマっていうこともあって。「お金」の観念みたいなものが、なかなか自分の持っている価値判断から離れられないんですね。

 僕が想像して書いているものは、「やっぱこれ想像して書いているよね」って分かっちゃうんです。ちょっとこれはまずいなと。もっとメッチャお金持ちの人にも話を聴きたいし、僕より遥かに貧乏な人にも話を聴きたいし。少なくとも生身で生きている人が、どういうものを欲しがっているだとか、どういうふうに考えているのか、みたいなもの知りたいと思っています。
 だから、聴き取りの手法としてはダイレクトにお金持ちの人に話を聴きにいくっていうよりかは、取材してる間に会った人に素直に聴くっていう形がいいかなって。

 見過ごされがちなところとか、特に光が当たらないところに光を当てる、というか。そういうところを自分と如何に同じかとか如何に違うかということについて、考えたいなぁと。だから、積極的に「この人!」っていう形より、そこでたまたま会うって形にしたいなぁと思ったんです。
 たまたま会ったくらいの人だったら、お金に対する「場」の持っている強さみたいなものがずれてても、舞台の上では繋げることが出来るかなっていう。別にオフィシャルな話が聴きたいわけではないし。

 

2.山口の街角に出現した「聞き屋」

 

谷:山口の街角に去年あたりから「聞き屋」っていうのが出現しているんです。商店街の路肩に座ってて、段ボールに「聞き屋」って書いてあって。「人の話を聴く」、と。そういうボランティアをしてるんですね。最初、「なんだこれ、気持ち悪っ!」と思いました。けれども、行って話をしてきたら、すごくいい人で。バックの思想としては、キリスト教系の人たちが中心になってやっているみたいです。

—— 思想や宗教関連の集団ってなかなか近付き難いですよね。

谷:その「聞き屋」っていう場を作っていることが彼らにとって利になっているんでしょうね。週一で夕方の2時間くらいやっているようです。
 震災以降、色々なところに出現しているらしく。山口に来るアーティストの人たちからチラチラ聴くと、被災地の人たちでやっぱり話をしたいけれども話せないって人たちがいて、ただ話をじっくり聴くだけでもすごく喜ばれるとか、そういう話は数人から聞いていますね。
 「それはそうかー」と思っていたんですけれども、何故それが山口に出現するのかっていう。

 女子高生の溜まり場と化しているんですよ。障碍者の人とオセロを打っていたり。「なんだこれは!」って感じです。
 それで、増えるんですね、人数が。メンバーの中心になっているのは、20代半ばくらいの若い牧師さんで。知り合いの保育士の人と2人で最初始めたらしいです。
 そこから、彼のお父さんと教会に通っている女子高生とかその友達とか休みの間の大学生とか、そういう人たちがちょっとずつ増えていって輪が広がっているんですね。

 

3、戯曲に寄らない演劇の可能性

 

—— 溜まり場みたいになっている。

谷:意外とピースフルな空間になってます。ただ、傍目から見ているとすごく怪しい。とても増えてて。ちょっとあれは戦慄しましたね。僕はバイトの行き帰りとかで通るんですけれども。ちょっとこの出来事については深めたいなーと思っています。

 あと、なんで看板を立てないと人の話が聞けないのか、という問題。そして、もうひとつは、その前に感じていた「怪しさ」の正体はいったい何なんだろうってことですね。それはなかったことにしてはいけないと思います。その「怖さ」みたいなものをなるべく手を入れないようにして、舞台上に表現しないと取材した価値はないかなと。
 今回の舞台と直接関わってくるのはそのあたりだと思います。まあ、別にテーマを気にしすぎて作品が縮こまるようなことはしたくないですけれどね。「悪いこと」をしている自分っていうのがきっちり舞台に上がってくるようにしたいですね。

 さっき、書くことに限界を感じたっていう話をしたんですけれども、僕は結構、自分が良いと思ったことは書けちゃうんです。でもそれは、自分にとって良いものしかあがってこなくって。綺麗なものを並べるっていうのは重要だしそれはそれで価値があるけれども、今回はそれをやめてみようっていう感じです。自分の作品ではあるんだけれども、作品の個性というか人格を担保しているものが、自分のテクストではないってところまで行きたいな、と。

 作品の人格ってことに関しては今回すごく意識しています。最終的には全部交換可能にしたいんですよ。僕がテクストを書かなくても演出をしなくてもいいし、この俳優が出てなくちゃだめってことでもなく、でも「不変の価値」っていうものに全部なっている、というような。
 一昔前までの演劇はそれを担保するのが戯曲だったと思うんですね。それを戯曲に寄らない形にしてみたい。例えば、ルールとかで作品のフレームを作る、とか。

 

4、劇場という「場」をどのように捉えるか

 

—— 今の話を聴いていると、portBのツアーパフォーマンスが想起されます。

谷:僕はportBは、山口で1本観ただけなので、あまりはっきりしたことは言えないんですけれども、今回は僕は劇場にこだわろうと。劇場でなくてもいいんですけれども、ハコものにこだわろうと思って。
 劇場空間って無前提っていう前提があると思うんです。けれども、portBの高山さんがされていることって、色々な風景がある中で作品のフレームを形作っていくんですね。そこは無前提ではない。
 無前提からルールだけを頼りにしていくっているスタイルを取りたいと思うんですね。だから、既存の風景を援用して作品のフレームを作るっていうことはしないと思いますね。人が無前提の中で作るところに魅力を感じます。

—— 劇場という「場」をどう捉えるのかっていうのは演劇にとって重要なことですよね。

谷:ツアー型の作品とかサイトスペシフィックな作品とかいいとは思うのですけれども、「あれっ、みんな劇場嫌いなのかな?」って思うところもあります。
 一時期、みんなが黙って座っているのが気持ち悪く感じていた時もあるんですけれども、それが段々すごく愛おしく思えるようになってきて。「一生懸命、何かをもらおうとしているこの人たちかわいいな」って思い出して。作品に集中できる環境としても劇場っていうのはいいかな、と。
 もう一つはやっぱり劇場の外に出る瞬間が良いんですよね。最初からツアー型だったりするとそういう感覚が薄いですよね。切り替えの線みたいなものが掴みにくい。そこはちょっと断絶させておく方が僕の好みです。

—— ツアー型だとかの場合、観客の「無意識」を意識してる部分が大きいと思うんですけれども、谷さんは意識的に関わるってことに価値を見出しているってところが面白いです。そこには、もしかしたらコミュニティ意識というものもあるのかもしれない。

谷:コミュニティ意識っていうのはありますね。舞台芸術の特徴って、目の前の人がいるってことだと思うので。その人とどう付き合っていくのかっていう問題は大事だと思うし。

(了)

【谷 竜一】(たに・りゅういち)
山口を中心に活動する舞台芸術ユニット、「集団:歩行訓練」主宰。
http://walkintrainin.net/