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1.人間の脳とコンピュータの違い

 

この『バグる脳 脳はけっこう頭が悪い』という本は、2011年にアメリカで刊行された『Brain Bugs:How the Brain’s Flaws Shape Our Lives』の全訳である。著者のディーン・ブオノマーノさんは、神経ネットワーク内での計算や、学習と記憶の神経基盤、脳による時間の把握と処理などの研究者。

本書では、「バグ」というコンピューター用語を用いて、人間の脳における限界や欠点、弱点やバイアスを明らかにしていく。

ただ、便宜上「バグ」という言葉を用いて説明はしているが、人間の脳とコンピュータには、情報処理装置ということ以外にはほとんど共通点がない。両者では、得意とする種類の計算が全く異なるのだ。

脳は数値の処理という点ではコンピュータには圧倒的に勝てない。そのかわりに、脳が得意としているのはパターン認識である。

人間の脳は、まわりの世界についての事実知識を相互に結びつけて貯蔵する特性を持っている。この脳の連合アーキテクチャーによって、記憶と意味はしっかりと絡まり合っており、記憶であると同時に意味でもある状態にあるのだ。

なぜこのような仕組みになっているのか。それは人間が記憶することの最終的な目的が、情報を貯蔵することではなく、情報を整理して、身の回りの世界の出来事を理解したり予測したりするのに役立てることであるから。

 

2.何故、「バグ」がおこるのか

 

何故、人間の脳に「バグ」が生まれるのか。その理由のひとつを本書では、棲息環境の急激な変化によるものとしている。現在、人間は元々は棲息するようにプログラムされていないような環境の中に暮らしている。なのに、脳の構築の仕方について私たちのDNAに書き込まれた命令一式は、10万年前と変わらない、と。

ここでは生物と環境のズレによって起こる「バグ」をいくつか紹介されているが、その中のひとつにスカンクの例がある。

スカンクは身に迫る危険を察知すると、立ち止まり、身体の向きを変え、しっぽを上げて匂いの発する液体を敵対者に浴びせる。これはスカンクにとって、その進化の過程で理にかなった行動だったのだ。少なくとも、高速で走る自動車と出くわすような環境に棲息するようになるまでは。

 

3.脳の2つのシステム

 

私たちが視野の中でものを見つける時、使っているシステムが2つある。それは以下の2つだ。

1.自動システム(連合システム)
→私たちが直感と考えるものに関係し、無意識的ですばやく連合的で努力がいらない。コンテクストと感情にとても敏感で、結論に飛びつきたがり、多くのバイアスと先入観に基づく臆測を含んでいる。だが、周囲の人の話や意図を理解するのに必要。

2.熟慮システム(規則準拠システム)
→時間がかかり、努力と意識的な思考を必要とする。間違いに対して迅速な対応ができて、融通が利き、慎重。問題解決をしている時に使用。

私たちの認知バイアスの多くは、この前者、「自動システム」が源である。

 

4.脳の「バグ」と現代社会

 

人間の脳の特性によって影響を受ける例として、政治や経済における選択に関しても言及されている。

脳のバグは、私たちの生活のあらゆる面に影響を及ぼしているが、民主主義の過程ほど多くの脳のバグが集中している分野はほかにあまりない、と著者はいっている。私たちが誰に投票するかは、欠陥のある記憶回路や短期的思考、恐れ、宗教信仰、プロパガンダの影響の受けやすさなどの脳のバグが相まって大きく左右しているというのだ。

脳の連合アーキテクチャーやプライミング効果は素晴らしくはある。だが、この2つが合わさることによって、名前を間違えたり、関連する概念を混同したりする私たちの性向から、フレーミング効果やアンカリング効果、マーケティングの影響を受けやすくなったりする。つまり、そのバグを利用されて他者に自分の利益をコントロールされやすいという危険性もあるのだ。

 

5.脳を環境に合わせてアップデートしていく

 

そのような特性を前提として、そのような「バグ」にどのように向き合っていけばいいのか。それは、先ほど挙げた脳の思考システム、「自動システム」を「熟慮システム」によって更新していくことだ。

何らかの経済的、政治的な選択の必要性がある場合、いまだに思想やイデオロギーといった既存の思考パッケージが大きく影響を与えているようにも見える。

そこにはやはり、脳の「バグ」を利用した戦略も入っている。それはいかに大衆をある一定の方向に扇動するか、という意識とも全く無関係ではないのではないだろう。しかし、このような脳の研究の成果が一般的になることで、扇動されることなく、物事を決めることのできるような世の中にもなっていくのではないだろうか。もしかしたら、データジャーナリズムなどもそれを助けることになるかもしれない。

この民主主義というシステムが問題がありながらも、最善であるのであれば、その環境下で脳が発する「バグ」の修正が求められる。「バグ」を他人に利用され不利益を被ることのないように、その環境に合った形で脳と社会の両面からアップデートしていくべきなのではないだろうか。

本レビューを読んで「なんか抽象的で具体性がなくて物足りないな」と思われた方は、是非とも本書を手にとってみていただきたい。ここには豊富な具体例が用意されている。

【目次】

はじめに 脳は今日もバグってる

第1章 ニューロンがもつれる

第2章 記憶のアップデートについていけない

第3章 場合によってはクラッシュする

第4章 時間感覚が歪む

第5章 必要以上に恐れる

第6章 無意識に不合理な判断をする

第7章 広告にすっかりだまされる

第8章 超自然的なものを信じる

第9章 脳をデバッグするということ

以上。

 

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
時々、自宅ブックカフェやってます。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com