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この記事の所要時間: 627

1、バックパッカーの誕生

 

日本における海外旅行は、1964年の海外渡航制限緩和措置、いわゆる海外旅行の自由化から始まり、その後、パッケージ・ツアーという形態が「発明」され、新たなレジャーとして定着していった。

しかし、こうした観光形態は大きな問題に直面することになる。

一律的かつ一方的に現地の文化や環境を蕩尽してしまう大量生産、大量消費型のツーリズムは、ホスト(現地)とゲスト(ツーリスト)の不平等な関係性が土台になっているとして、植民地主義の新しい形態に他ならないという論調が強まったのである。

そして、1970年代から1980年代にかけてマス・ツーリズムに対する批判が高まるにつれて、それに代わる新たな観光形態(オルタナティブ・ツーリズム)を模索する動きが活発化していく。そのような社会的風潮のなかで「発見」されてのが、バックパッキングなのだ。

あらかじめ旅のルートやスケジュールを決めることなく、行き当たりばったりで現地の交通機関を使って現地の文化に浸りながら進んでいく放浪型の旅行スタイル。それが、現地社会の環境や文化に過大な負担を掛けず、現地の人びとと対等な関係性を構築できる観光形態として脚光を浴びたのである。

 

2、バックパッカーの4つのタイプ

 

本書では、その旅のスタイルによってバックパッカーを4つのタイプに分類し、そのひとつひとつを考察している。

1.「移動型」
→可能な限り多くの国や町に行くことに喜びや価値を見出す。

2.「沈潜型」
→移動にはそれほどこだわらずに、気に入った町に長期間滞在して、その町に「溶け込む」ことに喜びを見出す。

3.「移住型」
→ほとんどの日本人バックパッカーは、旅を終えると日本社会へと回帰していくが、なかには現地社会が気に入って移住した者もいる。

4.「生活型」
→多くの旅人が持っている「旅を終えたら日本に帰って社会復帰する」という考えもなければ、移住型のように特定の社会に定住する気も毛頭ない。

著者の大野さんは、この中で「生活型」を高く評価している。その理由は、バックパッキングが創造的で創発的な旅として誕生したその経緯に則しているからだ。

カウンターカルチャーとしての思想を含んだものとして誕生したバックパッキングは、社会の制度と構造から逸脱していることに価値があったのであり、元来はこの一点にこそバックパッキングの存在意義はあった。

けれども、「移動型」や「沈潜型」が大半を占める現在のバックパッキングは、その根幹の部分を骨抜きにされている。しかも「移動型」や「沈潜型」は、反体制というよりもむしろ体制に迎合している側面すらあるのだ。

 

3、バックパッカーとグローバリゼーション

 

現代におけるバックパッカーは、直接的には1960年代のアメリカにおける反ベトナム戦争を契機として誕生したヒッピー・ムーブメントから派生。「反体制」を標榜し、「自由」を掲げて各地を放浪するヒッピーたちは、たしかに社会的には「逸脱的」な側面も持っていた。

しかし、彼らの実践を旅という観点からみてみると、マス・ツーリズムに対するオルタナティブな観光形態としての可能性を秘めていたのと同時に、国境を越えて人びとの移動を促すグローバリゼーションという時代を先取りしたものでもあったのである。

現在、バックパッキングはグローバル化の進行と、バックパッカー人口の増加に伴って、その内実を劇的に変化させている。バックパッカーを受け入れる現地社会が実に巧妙な観光システムを構築しているのだ。まず、バックパッカーの欲望があり、それに対応する形で現地社会の観光産業が整備されていったのだ。そこに、マス・ツーリズムへの対抗文化として「発見」されたバックパッキングが、その拒否したはずのマス・ツーリズムの一形態へと姿を変えていく過程を読み取ることができる。

 

4、経験の真正性を担保する場所

 

そのように安全な冒険としての商品へと変貌を遂げつつある現代型バックパッキングにおいて、バックパッカーはどのような解釈の回路を構築し、経験の真正性を実感しているのだろうか。

この問いに対して、イスラエルの哲学者カイム・ノイは、各人が旅で経験する真正性を「自己にとっての真正性」に読み替えることで「経験の真正性」を確保していると応答している。「自己にとっての真正性」に依拠するバックパッカーたちの姿は、まるで巨大な生簀に放流されて、「自由に」泳ぎ回る養殖魚のようでさえある。著者はこのインフラの整ったバックパッキングの現状に対して、そのような印象を述べている。

 

5、日本人バックパッカーの再生産サイクル

 

このようにインフラが整っていて出来合いの冒険に過ぎなくなってしまったバックパッキングは、この日本においてほぼ完全に社会システムの中に組み込まれている。そこにおいて出来上がっているバックパッカーの再生産サイクルは以下のようなものだ。

1.「やりたいこと」に固執し、自分らしさを求めてバックパッカーになる。

2.旅で冒険的な経験を蓄積することによって、自己成長を実感する。

3.自分らしい生き方を見つけて、資源化した経験を利用しつつ日本社会への再参入を果たす。

4.この成功物語がバックパッカー予備軍を旅への誘引する。

これを延々とループしていく。こうしたサイクルが成立する一因は、冒険的な旅の経験によって刷新された「個性豊かでタフ」という自己が、「強い者が勝ち、弱い者が負ける」という資本主義のルールに親和的だからという側面がある。見方を変えれば、バックパッカーは、グローバリゼーションという世界システムの変化を利用して前進主義的価値観と共犯関係を結びながら、日本の社会構造の再生産に加担しているということもできるのだ。

すなわち、現代日本社会において、バックパッキングは人びとに日本的価値観を再確認させ、それに追従させるひとつの装置として機能している、といえる。

 

6、この本の書かれた目的

 

以上のような分析の結果は、冒険が陳腐化したとか社会的意味がなくなったことを意味しない、と著者はいう。個人の情熱だけに純粋化された現代の冒険には、現代なりの社会的意味と意義があるはずだ、と。

日本社会への愛憎、前進主義的価値観の拒否と需要、「やりたいこと」への執着など、個人的な思いが凝縮したバックパッキングという「日常に偏在する冒険」を社会的な実践として考え分析しその可能性を抽出すること。それがこの本が書かれた目的なのだ。

たしかに目に見える形でのデータの量も少ないし、ただ「現代のバックパッカーはそんなにかっこいいものじゃないよ」といっているようにも見える。

私自身も結論の着陸地点に関しては曖昧さを感じた。けれども、バックパッカーの発生と多様化の歴史、社会システムとの関係を大まかに描くことには成功しているのではないだろうか。

バックパッカーに興味があり、かつ社会的な考察にも関心のある人に、両者の接点を思考することの入門としてお勧めしたい本、ということができるだろう。

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:http://insiderivers.com

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