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「Twitterとプシスファイラ~DJ・小説・オタク、繋がることの可能性を巡って~」(2/2)天野邊、藤田直哉、中川康雄

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プシスファイラ

中川:そのマニアックさの共同体意識みたいなものは結構薄い感じがすごくしますよね。そのマニアックさがかなり広くて、例えば「ニコニコ動画」とかひとつのアークテクチャの中で共同意識はあるかもしれないけれども、その中にたくさんの文化があるんだけれども、その中に優劣関係がないというか、それぞれの快楽に基づいてアレンジメントをしているように感じますね。

藤田:連帯意識とかはないと。「ストリートの思想」と「オタクの思想」とを比べるとしたら毛利さんのいう「ストリートの思想」というのは「だめ連」とか「素人の乱」とか「サウンドデモ」とかですよね。
 そういえばこの前ちょうど「サウンドデモ」に行ったんですよ。

中川:キャバクラユニオンのやつですよね。

藤田:実際、150人くらいしかいないわけですよ。コミケは3日で60万人来るわけですよね。数で負けてるますよね。それで尖って少数でいるのが「ストリートの思想」の方で。オタクの方は完全にマスカルチャーなわけですよ。コンテンツ業界で「萌え」はかなりマスを占めてきちゃってる、と。実はそうではない、という説もありますけどね。

天野:コミケに集まってきてる人たちはみんな連帯感を持っているわけではなくて、例えばBLの話をしますと、どういう作品が好きで同じカップリングが好きでも、受け攻めがひっくり返るだけで互いに毛虫みたいに嫌い合うというようなことがあるわけじゃないですか。

藤田:セクト闘争みたいなものが。

天野:完全にセクト闘争、宗派論争みたいになって。そういうことが60万人は決してひとつの連帯は持っていないと思うんですよ。

藤田:あれが明示的に何かの政治的主張しているわけではないですよね。まあ、消費社会肯定とか萌え肯定とかそういうメタメッセージはあるのかもしれないですけど、基本的にはネオリベラリズム撤廃とかうたってるわけではまったくないですよね。その辺に比べて「ストリートの思想」は弱いというか、政治性が無いほうが人が集まっちゃう、という。政治性がなくて、消費社会的で快楽主義的なものの方が集まるっていうことですよね。

中川:同じ祭りでも規模が違ってきている。

藤田:オタク的な人々がどういうふうに政治的な回路に結びつくのかというと例えば、最近のアニメとかもその辺模索してますけど、攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックスのセカンドシーズンとかハブ電脳とかネットで繋がってて政治行動に結びついたり、一方で情報操作をされたりするわけですよね。あと、「東のエデン」とか。あんまりどれも具体的に現実化しそうもないビジョンに留まってるなという印象でして、まあその辺は天野さんの作品を考えてみるとそういった実現可能性のあるようなオタクを政治の方向に向ける必要があるのかとかどうですか?

天野:民主主義政治というのは全部の民衆が建前として関わるべきだし、自分の生き死にに関わっている問題なのだから無関係だっていう人はいないんだと思うんです。だから関心を持つというのは現状ではいいことだと思いますね。

藤田:一方で僕、選挙に行かなくても政治に関心を持たなくてもいい状況というのは豊かだからで、その辺で仲間が死にそうになったりしていたら問題ですけれど、逆にそういった政治意識が無いということ自体実は幸福なのではないかと思うところもあるんですよ。
 一方で、政治意識がないせいで若者が割を食っているという説も説得力があると思います。

中川:今まではそれでよかったけど今後はちょっとあやしいぞってことも無きにしも非ずで。全体の富の総量自体が減ってくる、と。

天野:経済階層自体も固定化はこれからどんどん進んでいくと思うんですよね。例えば、教育自体にお金がかかるんであれば、教育によって階級の再生産が行われていってしまって、結局資本主義っていうものに名を借りた特権階級の人たちのために無数の労働者たちがそれを支え続けるという社会がもう生まれつつあるんじゃないかと。

藤田:そうだと思いますよ。政治家だって学者だって世襲ですし。しかも、また悔しいことに親とかが学者だと家に本がいっぱいあってそういう世界に触れてるから本当に優秀だったりするんですよ、本人も。世襲であるけれども能力もあるという嫉妬もしにくい構造になっているんですよね。中川さんはオタクの思想があるとすれば、それを政治行動に結びつけるといいと思ってるのですか?

中川:政治行動というよりは自分たちがいる場所が人為的に作られているという意識はある程度は持ったほうがいいのではないかと思いますね。で、それぞれに消費して動物化してもいいと思うんだけれども、何か例えば何らかの圧力や危険性を嗅ぎ取った時に、何らかのアクションをする回路みたいなものをやっぱり持ったほうがいいんじゃないか、と思いますね。それぞれの島宇宙における政治に対してアプローチする回路みたいなものを用意することが、島宇宙同士のコミュニケーションの前提にもなってくるんじゃないかと思うんですよね。

藤田:ちょっと島宇宙同士のコミュニケーションと政治的なアプローチの繋がりがよくわからなかったんですけれども。

中川:公共空間ということになるのかな。使い古された言い方をすると。それぞれ違う言語を使ってるんだけれども、僕たちはひとつの入れ物の中に入っていると考えるとすれば、その入れ物に対してアプローチする方法みたいなものは異なった島宇宙同士でも共通するところがあるのではないかと。そのことについて語り合う言語みたいなものは形成されうるんじゃないかと思ったりもします。いってみれば政治の感性というものが具体的な方法論として定着するという。枠組みを作ってる方にたいしてアプローチすることが可能になるようなコミュニケーションのあり方というのができないかなと思うんですよね。

藤田:その政治的な意識や感覚というのは何のために必要なんでしょう。

中川:うーん、自分たちが暮らしている空間を如何に保持するかとか心地の良いものにしていくかとか。完全に非対称なものが政治の場においては対称性をある程度持ちうるんじゃないかと思うんですよ。

天野:つまりオタクという人々がこれだけのマスとして機能し始めたのだから、それらが言論を行っていくということが必要だろ、ということですよね。

中川:社会的にムーブメントを起こすとか自分たちの居心地の良い空間を作り出すとか、わざわざ政治性というものを訴えかけなくても、できるものなんだという方向で一般化していくことが必要なのかなと考えています。

藤田:でもそれは単に祭りじゃないですか。お祭りの祝祭性だけを求めているのであればそれでもいいと思うんですが、もっと具体的に権利とか金とか色んなものを要求してい場合にそれじゃ弱いんじゃないのか思います。

中川:時代の空気として社会を変えていくこと自体が面白いとか、自分の居場所を作っていくこと自体が面白いだとか、そういうものが政治という言葉に置き換わっていけばなぁと思います。
 何か世の中をコントロールしている人たちが他者としているぞ、みたいなものが今回の「非存在青少年」の件ですごくわかりやすくでてきたなぁと思いますね。「えっ、世の中作ってる人たちってこんなに自分たちと乖離していたのか」みたいな。そういう感覚っていうか。

藤田:それは端的に言っちゃえば他者がいるっていうことですよね。それを分かれ、と。それはオタクに対してずっと80年代くらいから言われてきたことですけれども。消費社会的な傾向が他者を無視する傾向があるっていうことは柄谷行人さんとかは言ってきたことですよね。

天野:『プシスファイラ』の話なんですけど、とりあえず人殺しはやめようよという前提のもとで、しゃべるかぎりでは何をしゃべってもいいから、納得いくまでしゃべろうよというルールの作ってるんですけれど、そういう形で今度Twitterなんかで自民党が徴兵制をやるということを言い出して#akagamiというハッシュタグを作って、こんなこと言ってるおかしいぜっていうことをいうとその瞬間そのハッシュタグについてコメントがザーと殺到したわけですよ。冗談じゃない、と。散々言われまくって次の日に自民党があれは違うんですと言い訳を始めてっていう。あれが多分一番理想的なネットによる民主主義の胎動なんじゃないかと僕なんかは思うんですよね。「だめ」と国民がいったら話はどうあれだめなんだ、という。

藤田:ネットの言論を政治家がちゃんと聞くっていう回路が出来ていればいいんですよね。でも、聞かなくてもいいわけじゃないですか。

天野:けどそういうことになると支持されなくなるわけじゃないですか。支持されないと政治家ではいられないわけじゃないですか、その人たちは。だからこれはまずいんだってことをわかったらそれは軌道修正するし、そういうことが健全なネット民主主義のあり方だと思うんですよね。

藤田:そこはちょっとわかんないなーと思っていて総選挙の時に2ちゃんねるを見ていたら、民主党は旗色が悪いわけですよ。で、結果を見たら民主党が勝つわけですよ。あれこれはどうなっているんだ、と。ネットの世論と現実の世論が違うなと思っちゃったわけで。どの装置にするかとかどのサイトにするかとか色々な問題はあると思いますけれども、ネットの世論自体がいわゆる「一般意思」みたいなものを体現しているかというとそうではないのではないかと。それは前回の選挙の時に思いましたけれども。

中川:むしろ批判機能というかそういうものがネットが持っている特質と理解することも可能なんじゃないでしょうか。言ってみればプラスの部分に関してはあまり言わないけれど、ニュースなんかもそうですけれども、ネガティブなマイナスな部分をピックアップするわけじゃないですか。

藤田:多分そこは批評的に読まなくても国はシステム的にネットユーザーの政治意識がどんな感じかって係数的にもうある程度は認識してると思います。そういう指数自体はあるので。聞くか聞かないかという判断はあるわけですよ。だからもうちょっと政府に政策を考えるまでに行かせるにはどうすればいいのかということが重要なように思います。
 ネットの書き込みの数とかで威圧するっていうのも一つの方法だとは思うんですけれど、本当にそれが有効性があるのかということは考えたほうがいいように思います。

天野:デモもそうだと思うんですけれど、これだけ人数がいてその人たちが反対していますっていうそういうものを代替するものとしてネットが機能した瞬間を一例としてみたなーという思いはありますね。例えば、Twitterなんかは忙しい人でもどうにか関われるメディアだと思うんですよね。
 『プシスファイラ』に出てくるちょうどTwitterに似たシステムがあるんですけれども、非同期によってTL上でメッセージを交換していくという。そこに出てくるのはこう集中サーバに全部送ってそこからこう全部読み出してというのではなくて、いわゆる、ちょっと古いんですけれどもネットニュースっていうプロトコルがあったじゃないですか。一つのニュースサーバに対して投稿を行ってそれによってTLが発生して並んでいく、という。それを全部のノードがTLを独自に生成し、中継するサーバになれる、いうなればインターネットリレーチャット式のTwitterような、非集中型のコミュニケーションシステムが出来れば、そのような部分も多少ましになるのかなと思います。全体が全部を持っていなくて、必要、要求に応じてそれを取りに行くという。

藤田:でもグーグルとかが全部のサイトをガーッと機械的に吸収していって、機械的に全部検索っていうまあ思想傾向抽出とかバーンとやっちゃえばもう一瞬でそうなっちゃうわけじゃないですか。そういうことができるわけですよね、グーグルレベルだと。日本政府がそういう能力を持っているかどうかは知らないですけれども。それが少し怖いですね。

天野:民間企業ではあるのだけれども、それがアメリカによる国策で自分の国に対する侵略だと思ったから、中国はああゆう反応をしたんだと思います。

藤田:グーグル自体がある思想を反映したものですから、情報の自由とかアクセスの自由とかあるいは表現の自由とか。様々な自由の表現なので。中国からすればそれは認めにくいですよね。グーグルによる侵略だっていう話にもなってくると。
 全世界がグローバルで繋がったはいいけれど、でも均質化しちゃったから、逆に「地元」みたいなものが居場所がないと。

中川:グローバル化するからこそローカルなものが浮上すると。

藤田:それは反動で出来ているだけなんですけれどもね。ちょっと前に読んだ本の中に民族ついて書いてあるものがあって、その概念ってドイツでできたんですよ。結構最近出来たみたいで。フランスのアルザス地方の領土について、そこがフランスに属しているかドイツに属しているか喧嘩になったらしんですよ。フランス人はここの国民がどっちに属しているか自分で思うか次第といって自由意思派。ドイツは文化とか風習によってそれを決めようとした。そこが民族の起源で、ようするに土地の取り合いで民族主義かあるいは普遍的な理性による自由意志みたいなものによる決定という国家観のふたつがあったっていう話があって。だから、グローバル化したからその反動でローカリティにアイデンティティを見出さざるをえないようになってきていっているというのが正しいのではないかと思います。
 いわゆるファストフード化って言われるじゃないですか。そのように郊外が均質化した、と。だから均質化しているからこそ個性を求めるようになる、というのは一つのありがちなパターンじゃないですか。

中川:でもただ反動で生まれてきたというだけではなくて、例えば「素人の乱」なんかは実際生活に密着したレベルでオルタナを志向するわけじゃないですか。ローカリティというオルタナを。そういう流れも一つありなんじゃないかなと思いますね。だから「グローバル社会、暮らしにくい!」ってことで「ローカリティやってみたらこちらの方が居心地良かった」みたいな。

藤田:僕もローカリティを無くさない方がいいと思っていて、下北沢とか中央線沿線文化はあってもいいと思っています。東浩紀さんたちみたいに全部ジャスコ化すればいいとは思わないですよね。それに耐えられない人が下北沢などに引っ越す余地は残しておいた方がいいのではないかと思います。選べるようにした方がいいんじゃないかと。つまり両方あるようにする、と。グローバルに反対すること自体は基本的に無理だと思っているんですよ。

中川:個人とグローバル市場経済がまともにぶつかっちゃってると考えるときにその中間項としてコミュニティやローカリティというものを考えるのが緩和剤として機能する側面があるのではないかと思ったりします。

藤田:最近オタクがコミュニケーション志向になってきていると言われてますけれども、あれってマッチポンプだと思うんですよね。コミュニケーションがない社会を作ってコミュニケーションへの欲望を作り出していると。それを商品にしてる。それでTwitterのような自己監視社会に参加していくわけで。
 何でそもそもみんなコミュニケーションが欲しいんでしょうね。それがよくわかんないんですよ。『プシスファイラ』も人々が繋がっていく欲求がみたいなことでSFって結構みんなが繋がるみたいなヴィジョンを描く傾向があると思うんですけれども。

天野:例えば、やっぱり人間は一人でいたいんだよとか色々なテーマの葛藤とかを書いたりする作品がある中で、みんな寂しがりやだし繋がりたいんじゃないかと。例えば、無人島で自分ひとりしかいなくて、チラッと誰かの影をその島の中で見つけたとしたら、逃げるというよりはやっぱり追いかける生き物なんじゃないでしょうか、人間って生き物は。それはもう正直なものとして、人間というものは人間というものに基本的に引き付けられるものだと思うんですね。言葉が通じればしゃべりたくもなる。それによって結ばれた世界っていうものが恐らく、俺の頭の中では一番すばらしい世界なんだと。大体、その手の話ではそんな世界なんていらない、人間は一人でいたいしというふうにそういうことを否定することをしてきたわけじゃないですか。エヴァとか。最近観たマクロスFもそうですね。
 否定する作品ばっかり沢山観てきたからこそむしろ、それはすばらしいことじゃないかと主張したくなったんです。全ての個我がひとつに繋がれて、孤独は埋められました、めでたしめでたし。ではなく。じゃあ繋がった後、その生き物はどうなるんだと。それを宇宙の歴史の果てまで描いてみようということをやりたかったということはあるわけなんですよ。

(了)

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「Twitterとプシスファイラ~DJ・小説・オタク、繋がることの可能性を巡って~」(1/2)天野邊、藤田直哉、中川康雄

この記事の所要時間: 1047

プシスファイラ

天野邊(あまの・ほとり):DJ、作家
藤田直哉(ふじた・なおや):評論家

司会:中川康雄(未来回路)

※この対談は2010年5月23日に発行された『未来回路1.0』において発表されたものの再掲載です。

中川康雄(以下、中川):一般的には日本のネットカルチャーというものが、いわゆる政治性というものを脱色した形で発展してきたというイメージがあると思います。つまり、リアルとネットで文化圏が分かれてしまっているという感じがあったと。けれども、天野邊さんの感覚ではおそらくそういう感覚ってあまりないんじゃないかと思っています。ネットの社会の中でも政治性があり、その中でのやりとりが実際の社会の動きとして実際的な影響力を持ちえるだっていう風にネットに関しても持たれているような感覚が強くて、そこのところがすごく面白いなと。

天野邊(以下、天野):良くも悪くも20世紀の世界大戦の時代から、情報とか通信ってもう物理的な戦闘と同じくらいうウェイトが大きいものだったわけじゃないですか。例えば、相手の暗号を読み解いて作戦を前もって知っておこうとか、そういうようなことは、今、インターネットという、ほら、色んな国があってそれぞれが違うわけですよ。そうした思想も文化も違う、グループとしての利害も一致しない中であっても、敵対していようが戦争状態にあろうがとりあえず、人類全体でコミュニケーションを行える仕組みを築こうという、インターナショナルな合意が得られることで、ひとつのプロトコルによって繋がれるインターネットが現在こうして成立しているわけじゃないですか。
 それも最近、中国がDNSの独自管理を行おうという流れになっていくことで分離されていこうとしていますよね。このぶんでいくと、インターネットというもの自体も大きな2つのローカルネットワークに分離していってしまうんだと思うんです。ちょうどプシスファイラの物語世界のように。

藤田直哉(以下、藤田):サブジェクト派とオブジェクト派に分離、という形で描かれてましたね。

天野:最初にインターネットが流行りだした頃には、あらゆる面で情報を統制する仕組みが全くなく、発信もあまりに自由すぎる上、情報も何でも即座に手に入りすぎて、戦略上アメリカはこんなことして良いんだろうかと思うぐらい素晴らしいものだと感じたんですよね。こんなものを民衆に開放することは、各国の政府や支配者の立場としてそれは許容できることなんだろうかと思うぐらい。それでやっぱりまずいぞということで中国が今度検閲を始めて、今緩やかに分離しちゃっていこうという風にみえるんです。

藤田:まあ、そうですね。確かに今、おっしゃられたように戦争と情報テクノロジーというのは非常に密接に結びついていて、戦場を観察するための装置としての映画っていうのは非常に結びついていて上空から撮影するとかグーグルストリートビューとか。あれはもう完全に軍事戦略に結びついた形で作られているのと、あとインターネットというものは元々核攻撃をされた時に情報が分散されてあると一挙に消失しないために、アーパネットというのが開発したっていうのがひとつの流れであともうひとつ、カルフォルニアイデオロギーを持っているハッカー的な人々が民衆に使おうとした2種類の流れが混じっているものですよね。確かに戦争と結びついている。

天野:ホストが止まったり、検閲が行われたりということがあっても、自律的に再構成が行われ、接続が保たれ続けるっていうのがインターネットの一番の特徴だと思うんですけれども、その中でそこに参加するかしないかってことをユーザーはそれぞれに選べるのだけど、誰かが誰かの意思によって参加しない場合でも、それとは関係なくインターネットというものはあり続けますよ、というのが今のインターネットのあり方で。

藤田:中央がないっていうシステムを理念的にではなくて具体的な形として体現してしまったのがインターネットである、と言われていますよね。さらにまあ、グローバル・ヴィレッジ幻想といいますか、カルフォルニア・イデオロギーの人々がネットで繋がって、ヒッピー的なドラックとかも多分やっていたんでしょう。世界が繋がるってヴィジョンはあったし、SFではよく描かれてますよね。まあ、現実ではどうかっていうことも若干あるとして、そのあたりの可能性を天野さんはどうお考えですか?

天野:明らかにまあ、色んな情報の流れも、例えば音楽の情報もそうなんですけれど、地方とかにレコード屋さんがあったりしてレコードを掘ってたりして。「こんなすごいのあった」とか仲間内で「これやっばいよ」、とか言ってたりというようなことをやってたりして広まっていったわけじゃないですか。クラブ系のCDなんていうものは、一万枚売れれば大ヒットみたいな基本的にマニアックで販路もローカルで狭く、それゆえのこみいった深さを持った世界でして。それが今はインターネットで繋がれてしまうことで、ありとあらゆるヤバイものを全て検索して有償であれ無償であれ、アクセスできるわけじゃないですか。地球の裏側にいるアーティストが作った楽曲であろうとなんだろうと。今までは地域的なトポロジー、文化っていうものを持っていたんじゃないかと思うんですけれども。レコード屋であったりクラブであったり、地方FM局のDJの好みとかもあったでしょう。この地域ではこういうものが流行っていて、この地域ではこういうものがという風に。例えば、はっきり言うと俺の出身の茨城なんかだとハウサーとヒップホッパーが絶対的に多いようなんですよ。そういう人たちはそれしか聞かないし、そこにそういうシーンしかなかったらそれしか知らない。それしか選択肢がないからそこに属しているっていう状態なんだけれど、でもそれはあの、インターネットによって色んなものを何でも聴けるようになっちゃって、それぞれが勝手に好きなものを聴いて、昔みたいにこう、例えばハコ(クラブ)とかでも、その人があそこヤバイからっていうとお客さん集まったりしてっていうことがあったわけですけど、もうそれぞれの色々なまったく違ったジャンルが生まれて、それぞれ無数の島宇宙が存在している状態だと思うんです。
 今日の議題にもなっているオタクにおけるいわゆるジャンルもそうなんですけど、オタクでもアニメとか好きでゲーム方面があんまり詳しくなかったりとか、アニメファンという括りの中でさえ、作品や好む作品の傾向でわかれている。更に同作品のファンの間でさえ、推しのキャラで対立していたり、言ってしまえばそこにはそういう宗派、無数に分派したセクターみたいなものがあるわけじゃないですか。そういうような中で、それらがそれぞれ自分の好きなところにドンドン入り込んでいって、交流がなくなっていることに対してまあ、どうにかならないものかと。

藤田:確かに消費者として考えた場合は、色々な情報やコンテンツにアクセスしやすくなったということはとても便利なんですよね。けれども、当初思ったような全世界と繋がるようなことは、正直、言語的な壁とか趣味とかの壁があって、そんなに実際ネットに繋がったからといって、よく見るサイトとか実はそんなに多くなかったり、本気で調べようと外に行こうとしないとダラダラしてたりTwitterでも繋がる人を狭めていったりしていくと結局、島宇宙的にネットを使ったとしても生きることは可能であるし。

天野:でも音楽含めた大衆カルチャーだけはもはや全世界規模でいわゆる物理トポロジーによって日本はこうとかこの国はこうとかいう形に区切られているわけではなく、世界全域の中でバーチャルLAN的、仮想的なネットワークが幾つも折り重なって地球全体を繋いでる状態になっていて。例えばまあ、北関東のそういう場所でも俺が聞いていたり回していたりする音と、この東京で回している音は同じなわけじゃないですか。それはどっちも日本のアーティストのものじゃなかったり、それぞれが物理的な位置に関わりなく、無数の島宇宙を作り出していっている状態だと思うんです。
さっきお話したヒップホップを聴く人、自分でMCもする人なんですが彼は、シンセの音を聴くだけで吐き気がするなんていって、中にはそういう極端な人もいるわけです。サイケデリックトランスのパーティとかも行くには行くのですが、「やっぱり自分はこういうエレクトロ過ぎるのより、ヒップホップが好きだな」ということを敢えて言うわけです。 俺はもともとまあ、テクノや四つ打ち、ダブとかプレイしてるんですけれども、どちらかというと人間の息遣いのしない音が好きなんです。もっというとインストの方がどちらかというと好きだったりするんですよ。俺もかつてはむしろ、ヒップホップはリリックが粗野で貧乏くさくて嫌い、と感じるようなところもあって。けれど今や全然そういうこともなく、ヒップホップがどんなにヤバイかっていうことをその友達から教えてもらって、結局まあ、反目しあう理由もないだろう、どっちもヤバイじゃないかということを段々わかってきて。結局それを言わしめているのは、属する音やそれに付随する哲学を含めたスタイル、トライブ意識であるとか、そういうポリティカルなものであって。それと同じく、オタクというのも各ジャンルとも基本的に、必ずしも世に広く認知されたいわけではないのではないでしょうか。

藤田:そうなんですかね。

中川:その辺、微妙ですよね。何か認知された後にコミュニケーションの戯れとしてのオタクカルチャーみたいなものが残ったって感じで。

藤田:昔の秘境的なオタクとかはそうだったと思うんですけれども、密教みたいな。今のオタクはたぶんオタクであることを馬鹿にされたくないとか、むしろオタクの方がスラス6で多いので、マスとしても力を持っているというそういう状況らしいので、承認もされたいし、差別もされたくないってところはあるんだと思います。結構まあ、ネットができたっておかげで自分の人格自体と切り離してオタク文化を楽しんでる自分っていうのを出せるっていう風になって承認は求めているし、見られたがってると思いますけれども。

天野:Jポップとかをそこまで嫌うのは結局トライブ意識だと思うんです。俺らはこれであいつらとは違うということをあえて言うことで「俺ら」の連帯感とかを作っていくと。それによって仮想敵を設定すると。でも実際に変なこだわりなく聴いていけばポップスにも面白みのある楽曲はあるし、オタク・カルチャーだって好きだし、結局面白いものは何でも好きっていう無節操な方向にドンドンいっちゃってて。

藤田:それは正しいと思いますね。ドラマとかJpopとか大多数がみてるものに対してクソだって洋楽だっていったりして洋楽でも俺はメタルだ、プログレだ、そしたらまたテクノだ、みたいにドンドンとマニアック競争みたいになっていく傾向はありましたね。マニアックなものを聴いていると自分の方が偉いみたいな。他の奴らにはわからない裏返しのエリート意識みたいなものは持ってたこともあるし。持ってた人もいましたよ。

天野:例えば、サイケデリックトランスレイヴなんかが20世紀の終わりぐらいにすごいはやりだしたわけじゃないですか。知ってる人だけが集まって楽しくやってたのに『egg』という雑誌とかその辺のギャル雑誌みたいなのでみて来ちゃったまったく大人のコンセンサスをわきまえてない人たちが大挙して押し寄せてきて「うぜー」ということでパーティばなれしていく人も出てきて。だから必ずしも有名になければよいというわけじゃなくて、オーバーグラウンドに出てしまったところでさらにアンダーグラウンドにいたい人たちは逃げていくということをやり続けていて、たぶんオタクの世界もそうなんじゃないかと思うんですよね。

藤田:2ちゃんねるの初期とかの雰囲気がちょっと話題になって人が増えてぬるくなって別のところを求めてmixiにいったりTwitterにいったりとかそういうことってあると思うんですよ。アーリーアダプターのような人々の存在ですね。大衆化してつまんなくなっていくという。そういうことはあるかもしれません。

天野:その大衆化というところから果てしなく逃げ続けるという意味で、ストリートカルチャーを好きな人たちとオタクカルチャーに染まっている人たちは精神性が似てるから、お互い干渉しないまでも反目しあうことはないんじゃないかと。

藤田:ただ第四世代オタクに関してこれはクリシェで僕は実証的なデータはみていないんですけれども、やっぱりみんなの空気を読んでみんな一緒の文化を消費している、と。自分だけのこだわりというか尖った精神を持っていないとか説教している上の世代のクリエイターとかいるんですよ。今のオタクの人たちがそういう風にマニアックであることに誇りとかアイデンティティを持っているのかというと僕はわかんないんですね。

2/2へ続く