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BOLLARD vol.1

梅田径(うめだけい):同人文芸サークル「左隣のラスプーチン」の代表/主宰/主幹。和歌文学の研究者見習い。
blog:「左隣のインターフェース」
twitter:akuragitatata

聞き手:中川康雄(未来回路)

 

—— もともと文学フリマに関わるようになったきっかけは何でしたか?

 僕が大学の学部4年生の時に、『グラミネ』っていう早稲田大学第二文学部の表現・芸術系専修の人たちが作った雑誌があったんですね。そこが雑誌の企画で「グラミネ文学賞」という賞を作ってたんですよ。で、僕もなんとなく小説を投稿したんです。早大の客員教授で作家の先生とかが見てくれるって触れ込みもあったし、短編を見てくれるところってあんまりなかったし。そしたらなんの偶然か、努力賞か何かをいただけたんです。その時にそこの受賞者の方々と知りあえて、みんなの作品面白いし、続きが読みたくなったんです。
 それまでも雑誌を作りたかったんですけど、読むに耐えるコンテンツの書き手が知り合いにいなかったし、雑誌を作る技術を持っている人もいなかった。そこで、伊藤巧くんっていう今は同人音楽のプロデュースなんかをやってるクリエイターの友人を頼ったわけです。彼が漫画やイラストを描ける人たちと繋がりがあったんですね。それで、仙台を中心に活躍する絵や漫画が描ける人たちと繋がりができました。そこに僕の友達を一人二人呼んで『左隣のラスプーチン』というサークルを立ち上げた、というのが初期の経緯です。

—— その時は表現・芸術系専修の学生だったのですか?

 いえ、僕は教育学部で国語国文学科でした。たまたま『グラミネ』の編集スタッフに知り合いがいて「作品を応募してもらえませんか?」と言われただけです。でも、ドライな言い方をしてしまうと『ひだらす』(『左隣のラスプーチン』の略)っていうのは早稲田系の同人誌ということができるのかもしれません。ともあれ、表紙もDTPもイラストもできて、本の形になって、それをどこに出すかって考えた時に、一番最初に選択肢に上がったのが文学フリマだったんですね。そこに深い意味はなかったのだけれど、文章の同人誌=文フリだ! と僕が思い込んでいた程度には当時から注目度のあるイベントだったと思います(笑)

—— 最初に文学フリマに参加されたのは第何回からなのですか?

 観客としては第二回からいってました。初回見逃したのは今でも悔やまれますね(笑)。参加したのは2008年頃、確か、講談社BOX主催の「ゼロアカ道場」の前あたりでしたかね。会場が秋葉原の頃です。今みたいに同人誌のデザインがとやかくいわれてはいなかったけれど、そのころから、文学のイベントというよりも面白い文章を探す人たちが集まるイベントになってきた感じがしましたね。なんかやけに敷居が低いのもよかったんですよ。そのころ特にちょうどゼロ年代批評が注目を集め始めていて、表紙やイラストに微妙にラノベやポップカルチャーなんかの影響があるものを求める人たちが集まってきてたりしてました。同時にハードコア文学ファンも一緒に来ているのが面白かったのですが、それで非常に文学フリマが混沌としはじめてきたなあぁって感じがしていましたね。オタクたちとハードな文学ファン、同人文芸、コミティア、ぶんぶん・WORDS組、あとは批評やファンジンなんかの人たちが、なんとなく面白そうだって感じで文フリに集まってきていた時期でした。

—— 今で言うライトノベルなどのポップカルチャーの文脈みたいなものを意識されながら雑誌を作っていたのですか?

 僕の雑誌に関してはけっこう意識していました。ただ、それはあくまでもデザイン的には、ってところもあって、なかなか中身はハードコアだったと思います。僕個人としては80年代ぐらいの総合文芸誌を作りたかったんだけど、まだA4版だったころの『ドラゴンマガジン』とかのデザインに憧れたりしてたので(笑)、その影響が色濃く残っています。
 ラノベの雑誌やムックには、作品ごとにページのバックグランドデザインが、ものすごく作りこまれてるんですよね。挿絵があったりロゴの透かしがあったりして、ひとつひとつのコンテンツの強さと独立性をデザインでも見せようとしてた。『新潮』なんかは字の組み方で作品ごとの特徴を見せようとしているけれど、正直読みづらいんです(笑)。
 僕はラノベ雑誌的なデザインを取り入れたかったし、同時にでも「自分たちは同人文芸をやっているんだ」という思いもありました。僕自身のこだわりを、他のメンバーやゲスト投稿者たちがよりよい方向に生かしてくれたと思っています。

—— 現在の『ひだらす』メンバーはどのような構成になっているのですか?

  そうですね。誰得ですが、これを機にひだらすの全体を振り返ってみましょうか。
『ひだらす』の第一期は「グラミネ」で知り合った人たちが中心です。コンテンツを提供してくれたのは、小説の三本恭子さん、今は【ジエン社】という劇団で活躍する作者本介さんがグラミネで知り合った人たちですね。今は大学職員をやってる金井くん、短歌をYukkyさん、意外と好評だった国語教育論を書いてもらったミスター高橋さんの三人は僕のリアル友人です。
 で、当時はまったく組版ができなかったので、牧さんという方にIndesignを使ってもらっていました。そしてデザインをやってくれた伊藤君、イラストの旦虎君、表紙をTATUWOさん、漫画家の芥河圭一さんがいます。このメンバーで『S.E.VOL1』という雑誌を作りました。宮沢章夫先生にインタビューをお願いして、作者さんと対談してもらいました。この本はもう売り切れでなくなっちゃいました。
 表紙のデザインは伊藤くんがやってくれて、この時は印刷と編集の地獄を見ました(笑)。で、少し評論をしっかりやろうと思って、『S.E.VOL2』の時にはもうちょいメンバーが増えました。僕が誘ったんですが、まず、かつとんたろう君っていう謎の才英がいます。最近『ユリイカ 詩と批評』に寄稿してたりしてますます謎の才英っぷりに磨きがかかってきました(笑)。自称とんかつ研究家ですが、SFと野球とラグビーとプロレスと近代美術と哲学と仏教に詳しいよくわからんやつです。彼と小峰っていう現在私学中高の先生をやっているーーこれも怪物的な学力と知識量をもつ男なんですが、その二人から同人誌に誘われたことがあったんです。『オオガラス』っていうデュシャン由来のタイトルのSF雑誌を作ろうといってまして。でも、それは結局作り切る段階までいかなかった。「オオガラス」にデザイナーの大島さんって方が参加されていて、表紙のデザインはその方にお任せしたんです。他に、今もレギュラーでエッセイを書いてもらっている鈴木未知可さんをお誘いしました。彼女もグラミネの受賞者だったのですが、この時から参加してくだるようになったんです。
 とまれ、それから早稲田文学の編集長の市川真人先生、早稲田大学国語国文学科の教授である石原千秋先生にインタビューをいただいて『S.E.VOL2』ができたんです。この時に組版のテンプレートを大島さんが作ってくださって、それが今でもひだらすの作る雑誌のベースになっています。
 だから、「グラミネ組」と「仙台組」と「大ガラス組」の人たちの協力で、今の『ひだらす』は出来ているってことになりますね。ただ、この頃からもう同人全員参加の雑誌にするのは無理だろうと思うようになりました。ページ数、厚さ、印刷費、コンテンツの特集なんか、いろんな要素を勘案しながら編集しなければならなくなった。『S.E.VOL3』はそういうことを意識した本です。田島真知という哲学畑の友人にゲーム論を書いてもらったりしています。そういう意味でエディション的に一番センシティブだったのは『S.E.VOL3』だったかなと思います。裏テーマが全部「ゲーム」になっていて、通してよむと「ゲーム」にたいするいろんな見解が見えてくるという作りになってるんですよね。組版をグラミネで編集をしていた西條さんという方にやってもらいました。いろいろ不手際があってご迷惑をおかけしてしまいましたけどね。
 そして今のひだらすの最高水準にあると思うのが『S.I.』です。ゲストで書いてくれた人たち。奈良女子大で歴史学を教えている田中希生さんや、同人音楽を研究していて『同人音楽とその周辺』って本を出された音楽社会学者の井手口彰典先生、劇団【Mrs.fictions】の今村さん、それに美術家で漫画家でイラストレーターの山本美希さん、それから短歌を寄せてくれた三人の吉田(笑)は、短歌の世界ではとても注目されている若手たちです。小説家の高山羽根子さんも寄稿してくれていて、有名人のインタビューとかはないけれど優れた同人誌になったと思います。このときは組版は僕自身がやったんですよ。ここでも地獄をみましたが(笑)。それから「ぽたぽた焼き」っていうサークルをやっていて文学フリマでもよくおみかけするio_oiことメガネさん。東方SSの書き手としてトップエンドの一人だと思います。みんな素晴らしい書き手です。このとき表紙をやってくれたのは、柚智さんという同人音楽や演劇の音響なんかで活躍されている方で大切な友人です。井手口先生や柚智さんが手伝ってくれたことで同人音楽関係の人たちが来てくれたりしたのが嬉しかったなぁ。
 その後、僕が演劇にのめり込むようになって、【カトリ企画】で一緒に『BOLLARD』っていう本をだした劇評家のカトリヒデトシさんとの繋がりもあります。『BOLLARD』は表紙をRECODEとかでも活躍している大楠孝太朗さんがやっていてアブストラクトな感じと冒険的で爽快感のあるデザインが融合していて、自分でいうのもなんですが、すごくいいデザインだと思います。中身も面白いですよ。みんな演劇の世界で、一流の作り手として通用する人たちです。
 こんな具合で出稿者たちのバックグランドが全然違います。それらを一つにして雑誌にするのが僕の仕事ですね。同人といっても例えば劇団とか創作集団とかとは違う。もっと緩やかなつながりです。同人サークルというのは飢えたる物にこそあると思うし、むかしマジレス! の羽田さんがいってたけれど「花見の場所取り」みたいな側面はありますよね。どこに花が咲いていて、どこに場所をとったら一番綺麗に見えるのか。どんなお酒や料理をもっていけば喜ばれるのか。そういう切り盛りです。
 こうして雑誌を作った時に、結果論ですが、同人イベントと僕らの傾向の親和性が高かった。だから僕たちはいわゆるミニコミ寄りよりも同人寄りだし、サブカル寄っているけれど文学にも寄っている。演劇にだって遠くはない。越境しているわけではないけれど、普通には交わらない文化間に股をかけている感じがあります。つまり「境にいる」わけです。中から外にでているというより、いくつもの「中」にいる。でもこれが、自分たちのサークルのアイデンティティじゃないかなと思っていますし、その楽しさをわかってくれているファンの人たちもたくさんいるんじゃないかな。いつも本を買ってくれる人とか、仲間とか、あるいはTwitterやブログで応援してくれる人たちはほんとにありがたい。
 サークルの編集方針としては、ちょっと背伸びしたい高校生が読めるもの、というのを目指しています。やや難しい、って言われますけれどローコンテクストな難しさだと思っています。研究書とは違う。哲学とも違う。なんていうんでしょうね、つまりカッコよさですかね。ぜひ買ってみてください(笑)。

—— 大学で専攻されているのが国文学ということなんですけれども、専攻と同人誌を作るっていう行為の間には何か連続性を意識していますか?

 そこは切り離している意識があります。ありますが、同人をやって教えられたことが沢山あります。そのひとつは、たくさんのロワーなプレイヤーたち、つまり裾野の人たちが、ひとつの文化圏の維持にどれだけ活躍しているのか、です。
 以前、コミケに来ている人たちは聴き専、読み専なのか、消費専門なのかそれとも自分でも作ったことがあるのかという調査をされた方がいるんですけれども、その時に7割の人がいままでに一度は作品を作ったことがある、という結果が出たんです。誰にも読ませなかったり、一人でこっそり作ってみたりする人たちが多いのでしょうが、それは素敵なことだと思いませんか?
 同人っていうのは、作り手が読み手であり、読み手が作り手であるっていう文化なんですね。僕の研究対象は和歌と歌学なんですが、中学高校の教科書では勅撰集を中心に記述されます。でも実際の資料で見るとやはりロワーなプレイヤーこそ沢山いるんです。
 いや、むしろロワーなプレイヤーたちの多さこそが日本の伝統文化を支えてきたのです。文学史的には、スーパープレイヤーの作品ばかりが「優れているから」残っているように見えますし、強い影響力をもった人たちが文化のシーンを動かしてきたようにも見えます。でも、日本にあるすべての古典籍って100万部(『国書総目録』編纂開始時の収集カード数)あって、さらに寺社仏閣には80万部(もっとたくさんかもしれない)存在していると言われています。さらに古文書類や古筆切、短冊などを含まれば1000万点以上あるかもしれません。文字のあるものだけですよ?
 しかも平安から江戸時代くらいまでほとんどすべての時代・政権を問わず現物、写本がここまで大量に残っている国\文化圏なんて、イスラム圏を除けばほとんど考えられない。何故そういうことが起こったかというと、やはり多数のテキストが、弱いプレイヤーたちによって支えられてきたからだと思うんです。つまり、ファン、愛好者たちの存在です。これは決して日本人の特性とか古いものを大事にしてきた精神とかの問題ではありません。どれほどの熱意が保存や参加にささげられてきたのかということです。
 これをどう拾い上げるかっていうのが僕の研究テーマにもなっているところもあります。
 それと、かつては研究者が同人誌を作るって当たり前のことだったんですね。『クリルタイ』さんのところでも金井景子先生とのインタビューでちょっと話があったと思うんですけれども、金井先生も『VIKING』という研究同人誌を作ってましたし、小森陽一さんも『異徒』っていう同人誌を制作していました。今でも田中希生さんも小林敦子さんたちと一緒に『人文学の正午』という研究会の雑誌を作っています。本当にすばらしい雑誌ですよ。
 僕らの領域では『研究と資料』や『古典同人』なんかがありました。今の60代、70代くらいの人たちにお聞きしたら大抵の人は一度は作ったことがあるのではないでしょうか。ISSNを取得して継続している雑誌はいまでもたくさんありますが、今はむしろ、研究者の評価システムが強固になって「同人誌なんかやっている奴は非効率的でバカ」っていう空気がありますよね。たしかに非効率なんです。読んでもらえないし、製作コストも高いし、業績としても低い評価しか与えられない。同人誌をやるならば——人文学が本来そうであるように——自分のため「だけに」やることになる。
 やっぱり僕も研究同人誌を作りたいっていう気持ちがあるし『国文学 解釈と鑑賞』という誰も読んでなかったくせに休刊になったとたんにみんなに惜しまれる謎の専門誌とかじゃなくて、ユニークで面白い専門誌を作りたい気持ちもあります。でも、今のさまざまな力関係や環境がそれを許さないっていうところはありますし、僕自身にこの環境を変える力はありません。お金が足りない、仲間がいない。それに僕自身が同人誌に大量に原稿をだせるタフさをもっていない。正直にいって悔しいです。

—— 例えば、大正時代で同人をやっていたといえば、それは1つのステータスにもなり得るけれど、時代が下っていくと次第に同人と商業と明確に分かれていくようになってきて、前者はヒエラルキーの下に置かれるようになってきた、と。

 一概にはいえない、というかちょっと答えにくい問いですけれど、それこそ昔は文藝同人誌を文学誌の編集者たちも読んでたわけですよね。同人やっていれば『芥川賞』も取れたかもしれなかった。いまの編集者は同人文芸誌なんて絶対読んでないと思いますし、作家として食べていくなら文芸誌の新人賞を取るのが最低条件になりつつあります。ラノベやミステリーにはまだいろんなチャンネルで新人を発掘する余力がありますが、制度的な意味でも純文学にはその余裕はほとんどないでしょう。
 あるいは、同人と商業のヒエラルキーというよりも、コンテンツの生成プロセスに視点を転じることができるかもしれません。
コンテンツの生成プロセスとか産業プロセスの変化について研究されている、相模女子大の樺島栄一郎先生という方が「コンテンツ産業の三段階発展論」を唱えています。まず、第一期として新しい技術が生まれて、他のジャンルから既存のコンテンツが輸入されるんです。そしたら、今度は技術にフィックスしたコンテンツがうまれ、メジャーレーベルっていうのが出来て、レーベルの中で製作・流通を全部手掛けて巨大資本が席巻する。これが第二期です。黄金時代のCD業界を想像してください。
 第三期はインフラと製作とレーベルが完全に分業化してしまう。そしてインフラが総勝ちする。で、コンテンツの製作は細分化する。今のネットレーベルの音楽なんかがそうですよね。
 僕は紙の媒体に関しては第二期が終わりつつある状況にいると思うんです。つまり現在の作家たちには電子書籍やメールマガジンで細分化したクリエイション環境も用意されていて製作が細分化し始めているけれど、大規模なレーベルの前には到底太刀打ちできない。でもレーベルの力はどんどん弱くなってきて、出版社は売れる新しいレーベルを乱発している。ラノベやエロが典型的にそうですよね。このままだと総崩れになりかねないと思います。その中でデジタル環境やDTPを中心とする入稿やデータ管理の創作環境によって同人誌レベルでも商業誌とほとんど遜色ないものが作るようになってはいます。
 難しい、といったのは、じゃあそれで商業を同人が食えるか。といえばそうはならないだろうということです。同人の社会的ステータスや認知に関しては、僕はかなり悲観的なんです。
 でも、同人の強みは社会に関する関係の仕方や利益を出すビジネスモデルじゃなくて、創作をし続けることができるしつこさなんじゃないかな、と思います。コミケがなくなったとしても好きな人は二次創作をするでしょうし、そもそもコミケの前から「同人イベント」っていうのはあったわけです。
 作る、ということです。作ることに対する欲です。それが二次創作か、オリジナルかはまったく関係ありません。パロディだって歴史は深いし、和歌なんて使える言葉が限定されるから、ほぼ全てパクリの歴史なわけですよ(笑)。小説でも、例えば夏目漱石の『明暗』とかも水村美苗さんが『続・明暗』を勝手に作っているわけです。『源氏物語』の続編が『山路の露』って作品になったり、『伊勢物語』のパロディが江戸時代に『似非物語』っていって作られたり、もとの『伊勢物語』自体が何かのパロディなのではないかとすら言われているわけですよ。オリジナルとコピーとの間に価値論的な差異なんかないんです。僕らの営みは、その祖先を必ず設定できるし、たぶん祖先がいるんです。かっこつけていえば、誰もが誰かの父なんですよね。だから僕はいわゆる環境論者や社会学者に比べると、神秘主義者なのですね。持続していくものの力みたいなもの、その同一性を強く信じています。

(2/2)へ続く

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