詩人、水無田気流さんの社会学者としての著作です。
日本において、高度成長期に形作られた幸福感を実現することが困難な状態になっているのにも関わらず、時代の変化に伴い変わっていく構造に抵抗する形で「過去の成功」に依存する状況が日本にはあり、そしてその固執の結果、日本は社会の変革や可能性の追求といった「積極的選択」のコストが高い社会となっている、と分析しておられます。
そして、そこで割を食っているのはやはり若年層。
「本来、若者の特権とは、失うものの小ささと可能性の大きさである。だが、この国では、若年層ほど人生に高いリスクを負わされている。その根源にあるのは、硬直した雇用慣行と、社会保障の世代間格差である。(p.154)」
そのような中でどのような処方箋が必要となるか。ここではそれを、「昭和的幸福感」へと向かう情念を鎮めること、としている。この情念は理性的な分析によって起こるものではなく、大きな変化が起こった時に過去の成功体験に執着する形で生成してくるものだ、ということなのです。
そのことは以下のような言葉で表現されています。
「合理的判断というよりも怨念である以上、今日本社会に必要とされるのは「鎮魂」である。幸福感の刷新という命題は、まさにそのためにあるといっていい。」(p.180)
この辺りの感覚は、『希望難民ご一行様~ピースボートと「承認の共同体」幻想~』の古市憲寿さんの議論にも重ねてみることが可能かもしれませんね。ある種の諦念が必要である、ということなのではないでしょうか。まず、前時代的な幸福感への諦念と、時代状況に合致した発想を展開するということ。そのことを僕たちは考えていかなくてはならない、と。
そして、新たなる幸福感を形成する重要なファクターとして挙げられているのは、「つながり」なのです。著者は今後の社会の目指すべき方向性をこう記しておられます。
「2000年代がサバイバル基調の「殺し合い」社会であったとすれば、今後は助け合いを基調とする「活かし合い」の社会となっていくことが望ましいのではないか。そのためには、改めて自己利益のみに依らない新しい幸福感の定着を考えたい。」(p.207)
このあたりのこととか、評論家の宇野常寛さんの主張をソフトランディングさせたような感覚を受けます。パフォーマンスにおいてとても穏やかなのでそのように感じない人もいるかもしれませんが、同じ方向性を持った議論だと思いました。差があるとすれば、田中さんにはその昭和的幸福感に対する諦念が、宇野さんよりもさらに深いのではないか、というところです。宇野さんは、その打倒すべき対象を明確化し、2項対立に持ち込むということで、より強く攻撃対象に取り込まれているように思えてしまうことがあります。
おそらくは、2人の態度にはそれぞれの心性が現れているのではないでしょうか。田中さんはそれが存在するのを認めて、どのような力学で起こっているのかを見つめそれを治めようとします。宇野さんはそれを勝つべき「ゲーム」として見立てる側面があるように思われます。けれどもやはり、否定すればするほど対立すればするほど、その相手に絡め取られて似てくるということもあるのではないでしょうか。例え話として妥当性があるか分かりませんが、地元のヤンキー系の人などが反社会的行為に没頭するほど、それが保守に反転する、といったこともあるように思えるのです。
あと、国際社会の中での日本のガラパゴス化現象といわゆる国内で問題とされる「無縁社会」とをリンクさせ、それらが同根であるという考察には、「はっ」とさせられました。日本のガラパゴス化については、文化の特異性を希少価値に転化することも可能でもあり、グローバルな視点を持たない内向きの議論だけで終わらないポテンシャルもあったりします。けれども、この点において、個人に対しても同様のことがいえるのだろうか、ということを何となく考えてみました。つまり、ガラパゴス化現象が競争に対する弱さを表すのと共に、個人の才能の特異性を生み出す可能性があるのだろうか、ということです。
ちょっと空想めいた想像ですが、市場における強いプレーヤーとして振舞うことが出来ず孤立化した人間が、特異な持つ才能を開花させるという可能性。そんな感じの人たちが、佐々木敦さんが『ニッポンの思想』でおっしゃっていた「テン年代」の人たち、ということになるのでしょうか。
最後に、昭和的幸福感に対する態度の種類について。 おそらくは、昭和的幸福感を巡って、3つの態度が可能なのかもしれないと思いました。
1つ目は、その中で生き抜くこと。2つ目は、それがないように振舞うこと。3つ目は、それに惹かれているのに気付きながら、それを克服し現実の社会構造に向き合うこと。
おそらくこれから大切になる態度は、後ろの2つだろうと思います。
3つ目の態度を取る人たちの大きな勢力はおそらく30代、そして、2つ目の態度を取る大きな勢力となるのは20代前半くらいの人たちなのではないだろうかと感じています。
そして僕は最近、この2つ目の態度を取る大きな勢力、20代、特にその前半あたりの人々に何か突き抜けた感覚を受けることがあります。世間的には「ゆとり」とかネガティブな言葉で表現されるこの世代のポテンシャルを僕たちは正しく認識していないのではないか、とぼんやり考えています。
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
未来回路製作所主宰。
個人ブログ:https://insiderivers.com
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