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日本が世界一「貧しい」国である件について

著者の谷本さんは、twitterでの個性的かつブレない発言によって、一躍、人気者となられたイギリス在住の方だ。最近では著作もぽこぽこ出されている。

彼女のこれまでの経歴は、「ITベンチャー、コンサルティングファーム、国連食糧農業機関(FAO)などを経て、現在はロンドンの金融機関で情報システムの品質管理とITガバナンスを担当」(著者プロフィールより)となっており、主に日本国外でキャリアを積んでいらっしゃる。

1975年生まれというと日本では「ロスジェネ世代」にあたるのだが、他のロスジェネ世代の論者にはない突破口を自ら開いてきた印象を受ける方だ。しかも、そんなにエリート層からの出身ではない。

本書は構造は以下のような形になっている。

1.問題提起
→「日本が本当は貧しい国である理由はなんなのか?」

2.原因究明
→「貧しい国である根本的な原因はなんなのか?」

3.問題解決への提案
→「どうしたら豊かな国になることができるのか?」

まず本書のタイトルにもなっている問題提起として、一般的には豊かだと思われているこの日本という国が実は貧しくもあるのだという事例を示し、次にそのような状況になっている原因を洗い出し、最後にその解決策を提案する、という流れになっている。

結論部ではこれからの日本に必要なものとして、

1.働き方を変える

2.自分のこととして考え行動する

3.多様性を受け入れる

の3つが挙げられている。

本書を読んで有益な情報を引き出せる読者としては、「日本が豊かな国だと思っている人」、「日本がこれからも豊かであり続けると考えている人」、「働き方について考えている人」、「日本において色々と生きるのが辛い人」、などが考えられるであろう。

さて唐突だが、本書でも触れられている谷本さんが有名になったトピックのひとつ、日本における「ノマドブーム」について僕の見解を本エントリに足しておきたいと思う。

現在、著者の「ノマド」への見解は、ジャック・アタリの『21世紀の歴史 – 未来の人類から見た世界』における定義と、リンダ・グラットンの『ワーク・シフト』で示されている未来像とそんなに変わらないとことで落ち着いているように見える。

ではどの部分を著者は批判しているのかというと、それは日本流の主に若者の受容のあり方についてなのだ。つまり、「会社に縛られない自由業で、おしゃれな新しい働き方」というイメージばかりが先行していることに対する批判なのである。この批判はとても妥当性のあるものだ。しかし、何故、日本においてこのような形での流行が起こるのであろうか。

こんにちの「ノマド」ブームは「自由に生きる」こととセットになっているが、僕には90年代初頭のあるムーブメントとイメージが重なってみえる。それはオルタナティブなライフスタイルとして提唱された「だめ連」である。当時は今以上に正規雇用でなければダメだという社会的通念が強かった。そこに日本の経済的な余裕も手伝って、その「ダメ」さをポジティブに捉えて必要最小限だけ働いて出来た時間は自由に過ごす、というライフスタイルが新しいものとして立ち現れてきたのだ。世に言う「フリーター」ブームの先駆けである。しかしその結果、望んだ自由と引き換えに様々な社会的問題に行き着くことにもなる。すなわち、「ワーキングプア」や「加齢問題」などがそれにあたる。

この「ダメ連」というムーブメントは、今でいうところのギークハウスのphaさんのような「ニート」であることを肯定的に捉える考え方ともかなり近接している。異なる点としては、前者はその最小限に抑えられた労働において、スキルの専門性をあまり重要視しておらずプライベートを充実させるスキルを磨いていったのに対して、後者は主にインターネットを用いて専門性と労働を重ね合わせることが意識されているという点だ。

ギークハウスなどでの「ニート文化」は、好きなことをしながら食べていくことが意識され、それを可能とするためにシェアハウスを始めるなどの必要経費や様々なコストを抑える生活のあり方が工夫されている。

既存のライフスタイル以外の選択肢がなく窮屈に感じているところから、オルタナティブなライフスタイルの模索が始まる。そのノウハウは現在も継続して蓄積されつつあるのだとも言える。つまり、何かを手放すと同時に得るものがあり、そちらを選んだということなのだ。もちろん、これからの課題もたくさんある。生涯を通してのライフモデルとしてはまだ完成しているとはとても言えないだろう。

ただ問題があるとするならば、時代の空気を作るメディアや広告代理店などが流布するイメージに踊らされてしまう若者たちであろう。本書の著者が批判するのは、そういった踊らされまくる人たちであり、特定のイメージを流布することによって若い消費者のあとあとの人生のことを考えず金稼ぎをしている大人たちなのである。それは倫理的な指摘でもあるだろう。

もちろん、そのようなイメージを流布する人たちにも大義はある。新しいライフスタイルの提唱は同時に新しい商品やサービスとセットになっているし、伸び代のある市場ならばそれを育てていくことはこの資本主義社会の中では当たり前のことだとも言える。また、アタリのいうことろの「超ノマド」の総数を日本において増やすために、その候補者を大量に生産するということも意図されているのかもしれない。量が質を保障する、というわけだ。それに個々人の競争が激化することにより、企業からすれば良質の労働力を都合の良い時だけ安く利用可能になるという状況ができるという側面もあるだろう。

しかし、口当たりの良い煽りの中で搾取されてしてしまう人というのは当然生まれてくる。それが商売であり自分には適性もないことに気付いた時には、すでに残された選択肢は少なくなっている。そんな可能性だってあるのだ。だからこそ、著者のような批判者がいることはとても重要なことなのである。

ただ、どうしてもそうなっていく人というのも一定数存在するのも事実である。流行であろうがそれが過ぎ去ろうがそうなってしまう人というのはいるだ。それは流浪の民であることが宿命的であるような人たち。そのような人たちが選択するライフスタイルのひとつとして「ノマドブーム」を捉えること。「漂流」という人類史の中でどちらかというとネガティブな印象を与えられてきた暮らし方に若干ポジティブな意味合いのレイヤーを付け加えること。

そのこと自体は本書の結論でもある3つの提案にも沿うものでもあるのではないだろうか。

(了)

 

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:https://insiderivers.com

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