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地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会 (朝日新書)

かつての「つまらない地方/刺激的な大都会」という構図は現在、「つまらない地方(田舎)/ほどほどに楽しい地方都市/刺激的な大都会」という構図に変わりつつある。

この二項対立の間に挟まれた形で存在している現在の「ほどほどに楽しい地方都市」。そこはイオンモールが象徴しているような「ほどほどパラダイス」であると表現されている。この「ちょうど良い感じ」が地方都市における独自の魅力なのだ。

本書ではこの30、40年間における日本の社会と文化の変遷を描きながら、これから地方都市で「新しい公共」が育っていく可能性があるのではないかという試論を展開している。

本書の中で社会のあり方と重ね合わせながら語られる文化はJポップという音楽ジャンルだ。社会構造の変化とその時々に台頭するJポップが示している世界観の変遷を重ね合わせることによって、若者が持つ世界観のトレンドの変化を説明している。

Jポップの歴史については、80年代は「反発の時代(BOOWY)」、90年代は「努力の時代(B’z)」、ゼロ年代は「関係性の時代(ミスチル)」を経て「地元の時代(キック・ザ ・カン・クルー)」へと変化してきたとする。そして2010年代、「ポスト地元の時代(ワンオク、ラッド)」へと入りつつあるというのだ。

この「ポスト地元の時代」のアーティストたちに共通する世界観として著者が重要なものとして指摘しているのは、「他人のことは分からない」という前提。「他人のことは分からない」という前提をもちながらも「他人とぶつかり合いながら自分たちを高めていく」という世界観をこのアーティストたちは持っているというのだ。

そして著者はこの世界観は「新しい公共」を作り上げていく上で重要な役割を果たすのではないかという。既存の社会の安定性が崩壊したことは画一的な生き方の押し付けからの解放でもあったが、同時に公共性の喪失をも意味していた。そして今後は「新しい公共」の構築するために、人々が多様であることを前提として「統合」に向かわなくてはならない。

そのための準備ができていないのは「こもってないで外に出ろ」という社会の多様性に鈍感でいまだ「同化」の段階にいる「大人」たちの方なのではないか、と本書は問いかけている。

現在「こもっている」若者は「同化」ではなく「分離」の段階にあることは確かだが、それは社会の多様性を認識した上で「こもる」ことを選択しているということでもある。それは「統合」に向けた準備ができているということでもある。つまり、社会に生きる人々の多様性を認識するまで至ってないのなら「こもる」状態にすら達していない、ということなのだ。

本書は著者のこれまでの研究成果と現場感覚に基づいて展開されている試論である。試論であるから、論拠に関してはあまり具体的には示されていない。今後の研究の展開に期待したい。

しかし、日本の地方の政治・経済システムはいまだに「中央」依存の体質だ。僕の地元の話でいえば、市議会議員の主な議席は土建屋の社長さんたちに占めていて、市長はその議員たちの利益になるような人が選出されるような仕組みになっている。何故、土建屋の社長が議員になろうとするかというと、世の中を良くしたいとかではなく、主に自分たちの会社に公共事業の仕事などを引っ張ってくるためだ。もちろん、そのことによって社員などの生活を安定化するということもあるが、このことは日本の地方はいまだに「中央」からの税収依存の体質から抜け出ていないことを象徴している。現・安倍政権は公共事業費を10年間で200兆円にするという計画を立てたが、これによって地方の「中央」依存型の政治・経済システムは再び強化されるだろう。そのシステムの世界観は多様性の受容とは性質を異にするものだ。

多様性を認めそれを「新しい公共」へと繋げていくこと。それが地方における経済・政治的システムを更新するまでになるには、あとどのくらいの歳月が必要になるのだろうか。

以上。

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。コンテンツメーカー。表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:https://insiderivers.com

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