【プロフィール】
藤枝 奈己絵(ふじえだ・なみえ)
漫画家。1999年ヤンマガにてデビュー。
約2年間の居候生活の後、シングルマザーたちの共同生活のためのシェアハウス「沈没ハウス」にて暮す。その後、結婚・出産。
只今アックスにて「混乱日記」を連載中。単著は『変わってるから困ってる』『夢色お兄ちゃん』。
ーー 藤枝さんは大阪のご出身でしたよね。東京へはいつ頃どのような経緯で来られたのですか?
藤枝奈己絵(以下、藤枝):最初に東京に来たのは1999年あたり。私が23、4歳の時ですね。それまではずっと実家で暮らしていました。きっかけは図書館で読んだ雑誌『SPA!』に、だめ連の人たちが集まっている「あかね」という場所が載っていたんですね。「そこにはダメな人たちが集っている」と書いてあって。私もまったく仕事をやる気がなかったし。自信もなかったんですが、友達は欲しかったんですね。それで「あかね」だったら、交流できて友達もできるかなって。とても垣根が低そうに見えたんです。
ーー それで東京へ。最初はどのように生活をしていたんですか?
藤枝:まず東京に来た時に、手持ちのお金が10万円くらいしかなかったんですね。荷物もほとんどないから、夜は「あかね」で昼間は図書館とかで過ごして。
あと、大阪にいた時に漫画の原稿を東京の出版社に送っていたりもしていたので、直接持ち込みとかもしてみたんです。それで出版社に行ってみたら、送っていた漫画が賞に入っていたんです。それで15万円くらいもらえて。それでもうちょっとお金も出来たから、そのお金が尽きる前に居候先などをなんとか探そうと。そしたら「居候していいよ」っていう人に偶然出会って。そこから居候生活が始まりました。
ーー 住居環境が落ち着いたのはいつ頃ですか?
藤枝:最初の2、3年は居候として転々としていましたね。生活は偶然にも賞金がちょっとずつ入ってそれで何とかやっていました。
ーー 結構、居候生活が長かったんですね。その当時、生活上のストレスはなかったですか?
藤枝:私の方はなかったんですけれども、私が住んだことによって住まわせてくれた人たちに迷惑が掛かったっていうことはありましたね。私自身は共同生活が好きだから、全然苦ではなかったです。
ーー 定住したのはいつの頃から?
藤枝:沈没ハウスに空きができてそこに入ってからですね。偶然、「入らない?」って言われて。それが2001年とか2002年とかですね。
ーー その当時の面白エピソードとかありますか?
藤枝:そうですねぇ。沈没ハウスの創始者である加納穂子さんが居た頃は彼女の人脈がすごくって、いつも知らない人が一階の共有スペースにいて楽しかったですね。あんまり私自身は遊びに行かないで、ずっと漫画を描いているから。家に居ながら色んな人に会えるのは良かったです。四国から歩いて来たという人もいたりとか変わった人も多かったですね。
ーー その後、関西に戻ったのは何故なのですか?
藤枝:死にたくなったんですね。漫画を描いていても全然面白くないし、段々描けなくなってきて。そしたら眠れなくなってきて、悪夢を見るようになったんです。それで、日中死にたくなったりして。もともと東京に来た理由もそれだったんですけれども。鬱病ではないんですが、精神バランスがおかしくなってきて。それで「これは環境を変えなくちゃいけない」って。
あと、ずっと子どもを育てたいって思っていたんだけれども、当時は産んだ子が自分に似るのが嫌で。だったらどうしたらいいんだろうと。何だかもう分からなくなってきていて。それで当時付き合ってた今の旦那と一度別れて。
ずっと昔から里親というのをやりたかったんですね。でも自分に似るのが嫌だから里親をやりたいっていう理由だと、人としてダメなんだろうとは思っていました。それで里親も出来ないとなると、もうよくわからなくなってしまって。もっと頭を違うことにシフトチェンジできないかなって。あとはそれをどうにか解決するかとか。はじめは外国に行こうかなとかも考えていましたね。
ーー そして、なんやかんやあって再び関西に。
藤枝:はじめは京都に少し居て、その後、大阪の天王寺に行って。それから西成ですね。そこにあるゲストハウスで長期滞在していました。
ーー そこでの日々を漫画にしたのが、『西成日記』ですよね。
藤枝:そうですね。あれは結構、売れましたね。
ーー 西成での生活は楽しかったんですか?
藤枝:実は今の旦那と一時的に別れてから、何だかずっと調子良かったんですよ。それでもう死にたくなくなっていたんです。でも、やっぱり漫画は描けなくて。それで野宿者支援を軸にして西成でやっていこうかな、と考えていました。とにかくやる気が全然でなくて。色々と模索していました。
ーー そして、東京にカムバックするわけですよね。そうなるのにどのような経緯があったのですか?
藤枝:西成とかに居たときに、一生懸命にセルフカウンセリングみたく「子どもが欲しい」とか「里親をやりたい」とかという問題を考えていたんですね。その中で、自分に似るから子どもを産みたくないっていうわけじゃないことがわかってきたんです。それだったら「里親できるなぁ」って。それで旦那にお願いして、「里親をやりたいんだけれども、結婚してもらえないか」と頼んだんですね。そしたら旦那が、里親の経験を聞く会とかを探して行って色々調べてくれて。それで「やってもいいかなぁ」ということになって。それで結婚することになったんです。
ーー 里親をやりたい理由ってどのあたりに落ち着いたんですか?
藤枝:自分の中で困ってる人がいたら緩く皆で助け合って、私自身も助けてもらいたいっていうことですね。それがホームレス支援にも繋がっていたんだけれども。路上で寝てる人が居たら気になって仕方がなかったんですね。食べるものはいっぱいあるのに、なんでゴミを取らなければならないのかな、とか。そういうのが気になる人なんだなっていうのがわかって。もし子どもを育てられないという人がいるんだったら、私が育ててもいいかなって。
ーー 今は自分の産んだ子どもをお一人育て中ですよね。何か心境の変化などありますか?
藤枝:産んでからの変化はあまりないですね。今は共同生活じゃないから、自分が子どもから目が離せないというのはちょっと大変かなぁ。一時期は沈没ハウスに戻りたいって泣いてたりしました(笑)。
ーー 地元のお母さんコミュニティとかの繋がりはないんですか?
藤枝:うーん。私が昔から外に出て遊ぶのがあまり好きじゃなくって。ずっと家で漫画を描いているからね。前から仲が良かった人には会ったりはしてたけど。
ーー じゃあ、子育てに関して主な相談相手はご両親とか旦那さんとか?
藤枝:困ったりしたら、Twitterとかブログの日記に書いたりするんですね。それで返事をもらって助かったことが何度かありました。(子育てブログ「赤子よ日記」https://blog.livedoor.jp/gogoaverage/)
ーー 里親についてはこれからどのような予定ですか?
藤枝:今の子どもが3歳くらいになったら考えようかと。実子が上の方が里子にストレスが少ないって聞いたので。だから、子どもが3歳くらいになったら、0歳児の預かれるかなって考えています。
(了)
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