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福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

本書の根底には、「人間は忘れやすい動物であり、また驚くほど軽薄な存在である」という人間観が流れている。このことは巻頭言で責任編集の東浩紀氏が明言しているが、本書で提示されている観光地化プロジェクトがネット上などで多くの人たちに拒否反応を引き起こしている理由のひとつは、おそらくこの人間観にあるのだろう。

しかしここで重要なのは、この人間観が東氏個人の人生訓のようなものではないということだ。人間は忘れる。そして、自分とは関係のないとみなした他人を景色のように見ている。いや、多くの場合、景色にすらならない。多くの人々にとって世界というものは、関心よりも無関心に溢れている。

そのような現状を前提にして強い批評的機能を発揮するためには、人びとが暮らす環境の設計に介入することが必要になってくる。ビッグデータの活用など技術的背景が整っていく中で、これからも環境管理型の社会設計はさらに強力に機能するようになっていくことが予想されるからだ。

本書はその内容において、特定のエネルギー政策を支持するものではない。事故の教訓を未来に残すこと。本書に関わった人々の間で共有されているのは、その風化への抵抗の意志なのだ。忘れるということは、人間の防衛規制のひとつともいえる。むしろ、忘れないことのほうが人間の生を困難なものにするだろう。だからこそ、忘れることを前提として風化させていかないために何が必要なのかを考える必要があるのだ。本書にはそのための様々な想像力が多層的に折り重なっている。

本書を読んでいくにあたって私が想像を巡らせたのは、地方と都市の関係性の再構築についてだ。もう少し具体的にいうと、福島と東京の関係性をこれから地方と都市の関係性のモデルとして考えてみたらどうなるのかということである。単純な強弱や主従の関係ではなく、互いがその差異を上手く活用し有機的な「交通」の生態系を築くこと。原発や災害という問題だけではなく、地方と都市の関係として一般化して考えていくことが、もしかしたら今回の震災における応答可能性のひとつになるのではないかと思うことができた。

私たちは今まで、自らの生活の根幹を規定する事柄の多くを人任せにしてきた。それは近代化に伴う専門性の細分化の結果でもありそのことによって豊かさも手に入れることが出来たわけだが、現在、ただ専門家を手放しで信頼できる状況ではなくなってきている。ならばどうすれば良いのか。本書で示された様々な復興案はもちろん重要だが、それにも増して重要だと思われるのは、民間においてそれぞれの仕方で、主体的に自らの所属する社会の根幹部分を作り上げていこうとする態度自体なのではないだろうか。

確かにまだ被災者たちにとっては、震災のトラウマと向き合うことが困難な時期ではあるのかもしれない。そんな時に実際の被災者ではない都市部の人間たちがこのような観光地化計画を画策することを不謹慎だと思うのは当然だろう。けれども、その被災者たちがそのトラウマと向き合い、再びその地から生を紡ぎ出し始めた時、そこがただ打ち捨てられただけの場所で良いのだろうか。いつか来る日のための準備として、この計画の意志を考えることもできるのではないだろうか。

トラウマの地から撤退したからといって、問題は解決するわけではない。空白にはそのうち必ず何者かが入り、いつの間にか当事者はその空白に縛られることになるだろう。民間からの復興計画のDIY。その意味でも本書の重要性はあるといえるのではないか。例えば、法律を読み込んだり作成する知識や技術を持つ一般の人びとは少ないだろうが、そこにある課題に向き合い解決方法を探ることは、今この時代のこの事態を共有しているという条件だけでも可能なのだ。ここに民主主義を如何にアップデートするかという試みのひとつを見て取ることができる、というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも私はそのように読むことが出来た。

想像力と民主主義。このふたつのポテンシャルを活性化することが、本書の社会的な機能といえるだろう。そしてそれは紛れもなく、文学と哲学の仕事だったのである。

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:https://insiderivers.com

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