喜びや楽しさを感じることと思索することを如何にして結び付けるのか。それは今の日本社会において、重要なテーマのひとつなのではないでしょうか。
なぜならば、思索することを面倒くさいと考える風潮が、「自由からの逃走」へと至る道を準備しているようにも感じられるからです。それはとても、もったいないことなのではないでしょうか。
そのテーマに意識的に取り組んでいるひとつの例として挙げられるのは、作家であり思想家でもある東浩紀さんが経営している株式会社ゲンロンでしょう。
ゲンロンの企業理念には、「いままで象牙の塔に囲い込まれてきた人文知を、市場に開き、社会改革の足がかりにし、新しい価値を実現する」ことが掲げられています。
(参照:https://genron.co.jp/corporate_philosophy)
ここでいう「知を市場に開く」ということは、消費社会において「知」を楽しいものとして流通させる、ということですね。
この「知を市場に開く」という方法は、現在の日本の社会的状況を考えた上での戦略でもありますが、経営者の思想をそのまま継承しているものでもあります。その思想的な時代把握を確認することができる東さんの著作は、やはり『動物化するポストモダン』です。
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ゲンロンの活動は、特に3.11以後、オタク的言説とは離れたところで展開されている印象を受けるかもしれません。けれども、基本的にはこの著作で書き表された時代把握は、今もなお継承され有効に機能していると考えられます。
つまり、「知を市場に開く」という戦略と「人間が動物化した時代」との間には、密接な関係があるということですね。
しかしここで、ひとつの疑問が浮かびます。それは現在の日本において、喜びを感じることと思索することを結び付ける方法は、市場の中に「知」を消費財として流通させることだけしかないのか、という疑問です。
そのことを考える上で、現代演劇は強力なツールとなりえるのではないでしょうか。
演劇(theatre)の語源となったギリシャ語の「テアトロン」は、もともと「観客席」を意味していた言葉です。つまり、演劇とは、どのような形態の観客席が可能かということを考えることでもあります。
それは「公」の形式を距離化して眺める機能を持つということです。さらに、演劇という表現手法を媒介することによって、思索すること、そして、他者とのコミュニケーションを取ることをスムーズに行うことができる。
本書は、現代演劇のエッジに位置するドキュメントと呼べるものでしょう。そこには消費文化による快楽とは別の、思索による快楽の回路の可能性が読み取れます。
「知」はその流通の仕方によって、変質するものなのではないでしょうか。もし、「知」がその伝達の形式によって変質するのであれば、その形式は多様であることが望ましいのではないか、と思うのです。
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(了)
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:https://insiderivers.com