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この記事の所要時間: 258

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)

ある作品について語る時、そこには語り手の好みや観点が少なからず露呈するものだ。たとえどんなにその「主観」を抑制しようとしても、自己という一点を全く消し去ることは、語りという行為の構造上、不可能なことである。

ゲーデルの不完全性定理を持ち出すまでもなく、まったくの「客観」にもとづく鑑賞というものは、意思を持って存在する限り不可能なことなのだ。例えば、ある液体の温度を測ろうとする時、温度計をその液体の中に差し入れることが必要となってくるわけだが、その結果、その液体の温度には温度計自体の温度が必ず影響を与えてしまう。それと同じように、鑑賞という行為には干渉という行為も同時に含まれている。

本書の著書である佐々木敦さんは、語る対象との距離の取り方において、独特の距離感覚を持っている語り手だ。多くの語り手たちは、「客観」というものをその不可能性のゆえに手放し断念する。けれども、著者の語りは、関わるのではなく眺めることに重点が置かれていて、距離を取りコロコロ転がしながら対象を眺め、その様子を語りとして生成していく。

私事ではあるが、何度かご一緒させていただいた飲みの席でハッとさせられたのは、面識があったり近しい場所にいる作家について語る時のその距離感覚だった。近さを前提にした語りをトーンと突き放して、作家に対して間合いを取るのである。まるでアウトボクサーのように、自分のリーチの長さを把握して間合いをつくる。近接性を自らのアドバンテージにすることがない。これは近年の作者と受容者の位置が近いことが作品の流通を活性化するという傾向とは、真逆の指向性でもあるだろう。

本書のテーマとなっているジョン・ケージの『4分33秒』という作品は、もう半世紀も前に発表されたものだ。けれども、この作品は古くなりようがない。なぜならば、4分33秒という時間自体が作品というものだからである。時間は古びようがない。変化するのはその内容なのだ。

『4分33秒』という作品にあるのは、純粋な時間の経過でありその枠組みである。この枠だけが存在するという純粋性について語ることに、著者は強い関心を持っている。そして、その有限な「時間」について語ることは、語り手が「生きる」ということをどのように把握しているのかということをクリアに浮かび上がらせる。そこでは、贅沢な時間を「生きる」ということがどのようなものかということが語られているのである。

枠だけしかないということは、その中に入るものがすべて作品となりえるということだ。そうであるとするならば、本書もまた、ジョン・ケージの作品の一部になっていると言うことができるのかもしれない。また、それは語り手と作品とがゼロ距離であることを意味するが、この点において「主観」と「客観」は、区別不能な状態になっている。この状態こそが、まさに「『4 分33 秒』を/から考える」ということなのだ。

「4分33秒」論 ──「音楽」とは何か (ele-king books)
佐々木敦
Pヴァイン
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(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:https://insiderivers.com

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