「恐ろしい」のは、決して悪魔でない人間でも、いや「心の清らかな単純な人間」でも、つまり「厭ふべき人間に堕落しないでも厭ふべき行為」を、日常茶飯事と横並びに特別な「意味」もなく行なってしまうということなのだ。
(p.43)
批評家の小林秀雄には、敗戦以前から『ドストエフスキーの文学』という作品論集成の腹案があったという。けれどもそれは、小林の満足のいく形には成らずに終わった。それは何故なのか。本書は、その問いをめぐって書かれている。
小林は戦時中に従軍記者を経験しているのだが、それは押し付けられたものではなく、志願という形での参加である。そして、小林が『ドストエフスキーの文学』を書き切ることが出来なかったことと、その時の体験は深く関係していると著者は考える。
それはどういうことか。
それは、ドストエフスキーが『悪霊』以後に書いた1870年代の諸問題を、小林自身の「戦争の時」において、反復的に生きることになったからである。
その体験によって、『悪霊』以後を論じるという行為が、過去として1870年代を参照するという次元を超えてしまい、自分自身の実存的な歴史と重なって融合していったのである。つまり、それを書くことの困難さは、持続する「戦争の時」を終わらせることの困難さでもあったというわけなのである。
誰もが認めるであろう希代の批評家であった小林秀雄が、終わらせることの出来なかった「戦争の時」。それはどのような構造によって形作られているものなのか。本書は、その構造が誰にも無関係でいられないようなものであることを、精緻な言葉運びで露わにしていく。今の日本の状況の中において、より強い光を放つ論考であろう。
新潮社
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(了)
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ研究。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
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