1.
坂口恭平さんの本からは、新しいのに古典の香りがする。古典とは、その著者が生きた時代に限定されずに輝きを放つものだ。坂口さんが触れようとしているのは、そのようなものなのではないだろうか。
けれども、だからといって、抽象的な話を延々と続けるといったようなものではなく、一般的に日本で「哲学的」と思われているイメージとは異なり、とても平易な日常言語をもってして、思考が見える化され、パッケージ化されている。
本書のタイトルになっている「現実脱出」。そのために必要となるのは、 「ここではないどこか」へと物理的に移動することではない。そうではなくて、必要なのは「現実」を「他者」化することなのだ。「現実」というものを定義し直して、自分との関係を結び直すこと。それが、ここでいうところの「脱出」の方法論となってくる。
本書では、「現実」の再定義も行われているが、必然的に、自分という存在、つまり、「個人」の再定義も行われている。ここで「個人」とは、思考によって個別の「巣」を作っている存在であり、そういう意味で、人間はみな本来的に、「巣作り職人」であり、「建築家」であるのではないか、と展開されていくのだ。
2.
「思考が建築物を作る」、というと、ドイツの哲学者ハイデガーの「言語は存在の家である」という命題が思い出される。これを坂口さん流に言い換えると、「思考は存在の巣である」となるかもしれない。
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そして、ここには大きな違いがある。その違いの1つは、坂口さんは「個人」が住まう空間を形作るのは、「言語」ではなく「思考」である、と考えるというところだ。
つまり、〈存在-思考-言語〉という三者関係が構築されるわけだけれども、人間は「思考」によって作り上げた「巣」に住んでいるが、それは必ずしも言語化されているとは限らないということなのだ。むしろ、「言語」化、つまり、表現されて「現実」に接続されていることの方が、圧倒的に少ない。
だからといって、その「巣」の中だけで完結することはできず、人間が暮らしていくためには、「現実」が必要になってくる。本書において、「現実」を「集団にとってのみ実体のある空間である」であり、「個人にとっては仮想空間に過ぎない」と定義し眺めることによって、「巣」を壊すことなく、「現実」に取り組むための思索を可能にしている。
3.
「現実の他者化」とともに大事だと思われるのは、この「思考の巣」が、当事者本人にしか分からない、ということだ。他の人からは、それを直接的にみることができない。それはどんなに親しくてもそうなのである。
ここでフランスの哲学者レヴィナスの思想のことを思い出す。レヴィナスはその他者論において、他者は、その痕跡でしか、確認をすることができない存在であるという。つまり、私たちは他者をみていると思っていても、他者の痕跡しかみることができないのだ。
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つまり、人間は「思考の巣」に住みながら、その「巣」は他の誰にもみることはできない。それは、言葉などの表象によってはじめて、その存在を確認をすることができるのである。
4.
先ほど、「現実」とは集団の中だけで立ち現れるものだと書いたが、集団の中で立ち現れるものとして、頭に浮かぶのは「公共」という言葉である。この「公共」と「現実」はどのような関係にあるのだろうか。
まず思い浮かぶのは、「公共」とは西洋文明の中で培われてきた概念であるということだ。だとするならば、「現実」とは、日本的にしっくりくる言い方をすると、「世間」ということになるのかもしれない。
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ここでちょっと整理してみよう。
〈言葉-思考〉
〈家-巣〉
〈公共-現実〉
西洋の伝統的な概念と坂口さんが本書で展開した概念を、このように対置することができるのかもしれない。
5.
本書では、「個人」と「現実」のふたつの空間を言語化し再定義しているが、そのふたつの間に生まれる別の空間も、最後の方で、触れられているのではないだろうか。それが「ダンダール(精霊)」だ。
この「個人」でもなく「現実」でもない空間に住まうもの。これがもしかしたら、人が「現実」を作り上げてきた力の源であるのかもしれない。
シンプルに、そして高い解像度を保ちながら、日常を思考することによって、「個人」と「現実」との間に生まれている新たな空間を発見する。
「現実さん、こんにちわ。」
ここで、本書のはじめに書かれた一文に立ち戻るのである。
(了)
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
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