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1.

『8ーエイトー』。この戯曲はアメリカ・カルフォルニア州で実際に起きた同性間の婚姻の合憲性を問う裁判を題材にしている。とあるゲイの政治家の生涯を描いた映画『ミルク』の脚本を担当したダスティン・ランス・ブラックによって書かれたものだ。ブラック自身もまた、同性愛の当事者でもある。

当初、演出家の西尾佳織さんはこの原作に基づいた形で上演する予定だったという。けれども実際には、この戯曲を「モチーフ」としながらも、新たに書き下ろす形となった。

その理由は、この『8 -エイト-』という戯曲を元に演劇をおこしていく中で、演出家が根本的な違和感を抱いたからだ。

2.

この『8』は「同性婚を法律上で認めさせる」というはっきりとした目的を持って生み出された作品だ。つまりそれは、芸術というものを、人や社会を動かすためのツールとして使用することが明確に意識されていることを意味している。その感覚を上手く「善意」に結び付けることができなかったと、演出家は述べいる。

新たに戯曲を書き下ろすにあたり、舞台もカルフォルニアから日本へと移された。また、モチーフとして同性婚を扱いながらもワンイシューな焦点を絞るのではなく、淡々と日常生活やそこに起こる綻びを描いていく形が中心となっている。

3.

確かにそこに存在している。けれど日々の暮らしの中で、見えにくくなっているもの。ゆっくりと進行している情勢の変化。自分からは死角になってみえない人びとの日常。

それらの話を「非当事者」の人たちに如何に届けていくのかということ。それは日本では特に難しいことなのではないだろうか。なぜなら、個人の多様性を前提とした社会設計と、自らの住む社会を自分たちで作っていくという意識。その2つが日本において、リアリティを帯びて形ではあまり感じることができないからだ。

そのような状況の中で、芸術はどのようなスタンスで人びとに作品を届けていけばいいのか。そのひとつの問いが、本公演を形作っている。

立ち止まる時間を作ったり、様々な人と人との関係を露わにしたり、「わかりあえなさ」に立ち会う場所を用意したりすること。それが本公演の中で、この問いへの暫定的な解答として提示されていた。

4.

ただひとつ、1人の観客として受け取ったのは、その解答が境界線の内側にあったように感じられたことだ。もう一歩、踏み込むことも可能だったのではないかという思いもある。

それはたぶん、作家自身が今いる場所を示しているようにも思える。そして、葛藤の痕跡が公演の中では、ほとんど消えているようにも見えたのだ。何も壊さないこと。それが徹底されている。

境界線のこちら側にいること、そして、境界線のあちら側にいる存在。それはマイノリティを考える、もっと言えば「他者」を考える上で、とても重要なことのように思えるのだ。

また、映像の使用や既存のイメージの借用による空間の異化、突然のSF設定など、演劇としての遊びごころも随所に散りばめられていて、さまざまな刺激を用いることによってシリアス路線からのカタルシスへの没入という流れの予防線も引かれていて、心地良かった。

この日本という場所における科学と法律の変化速度の違いとか、個々人の日常を超えるスケールへと想像力を広げていくシーンもあって、演劇という場に身を置くことの快楽を味わうことが出来たことも、また確かなことである。

(了)

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
表象・メディア論、及びコミュニティ観察。インディーズメディア「未来回路」。
Twitter:insiderivers
個人ブログ:https://insiderivers.com

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