1.私たちの「自由」は今、どのような道をたどっているのか?
「自由の追求は形而上学的な力ではなく、自然法によって説明することはできない。それは個性化の過程と文化の成長の必然的結果である。権威主義的組織は、自由の追求を生み出す根本的条件をとり除くことはできない。またこれらの条件から生ずる自由の追求を、根絶させることもできない。」p.260
考えることや自分の権利を放棄することが、結局、自由を放棄することになる、という話。現在の日本の中で読み返してみると、なんだか特別な読後感が訪れてくるのではなだろうか?学生時代に基礎テクストとして読んでいた頃とは全く感覚が異なっていることに驚いた。
もちろん、それは私自身が変化しているということもある。しかし、それだけではないことは明白だ。つまり、本書で分析され警告された状況が、もうすでにここに訪れ始めているからだ。もうすでにその内部を生きている、とも言えるだろう。いや、この時はむしろ、ずっと前から準備されたものでもある。
2.「スピード」に支配される社会
現代という時代は、「スピード」というものが支配を可能にするために、とても重要な位置を占めていると言っていいだろう。「スピード」が支配権を得る文化、つまり「ファスト文化」は、政治の世界にだって大きな影響を与えている。例えば、10秒間で語れるようなキャッチャーな主張を繰り返すなどの方法は、現代が「スピード」によって支配されていることを、フルに活用している例だといえるのではないだろうか?
けれどもそこには、ただ直感的に心地が良いなどの判断基準くらいしか存在しない。つまりそれらは、熟考することに寄与するような方法ではないのだ。しかし、考えることの負荷と閉塞感や焦燥感が相まって、多くの人々は直感的にそれらのキャッチャーな主張に吸い込まれ同化していく。
3.そのような状況にどうアプローチが適切なのか?
「思想が強力なものとなりうるのは、それがある一定の社会的性格にいちじるしくみられる、ある特殊な人間的欲求に応える限りにおいてである。」p.310
そのような状況を危惧し変化させなければと考えるのなら、そのために何ができるだろうか?
私個人の関心事はメディアに寄っているのでその観点からいうと、内容の濃厚さに特化したメディアと、売れることや見られることに特化したメディアの良いところを昇華したようなメディアが必要なのではないか、と思うところがある。
つまり、届ける内容が重要なのはもちろんのことだが、それを広く届けるためのテクノロジーをもっと磨くことを意識する、ということだ。本書は、学問の場からの警鐘であるが、日本においては、それを大衆化し浸透するためのテクノロジーを磨くことを軽視してきたところがあるのではないだろうか?
それらの努力を軽蔑し、象牙の塔の中でコミュティを築き、その中で世を嘆いているような振る舞い。おそらくは、そのような振る舞いが「自由」を次々と手放している状況に加担すらしているのではないだろうか?何故ならそれらは、「ガス抜き」であり「免罪符」としか社会の中で機能していないように見えるからだ。
そのような振る舞いの蓄積が、現在の日本のような状況を作り上げてきたこと。そのことに、私たちはそろそろ気付かなくてはならないのかもしれない。
(了)
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
旅とWebとCultureと。もともとは現代思想やアンダーグラウンドカルチャーといった比較的抽象度の高いジャンルにいたり。関心領域は、Philosophy、Sociology、Media、Art、海外放浪、ソーシャルグッドなど。
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