世の中に溢れている人工知能(AI)をめぐる情報は、正確に把握されたものではないからこそ、根拠のはっきりとしない期待や不安に満ちている。隠されたものが隠されているが故に、無限の創造力をかきたてるがごとく、時に「人類の最後の発明」のように扱われたり、時にはまるで悪魔でも召還するかのような話にもなってくる。
けれども、現場の研究者たちから直接的に伝えられるその実態を知ってみると、それは案外あっさりとしたものだったりする。むしろ、その実態に基づいて話が展開するのではなく、ファンタジーに基づいたイメージが世の中に溢れるようになるのは、そこが人びとの欲望の依り代になっているようにすら、感じられる。
ならばその欲望とはなんだろうか。まずそこには、フィクションの持つ想像力の快楽が入り込んでいるのは確かなことだろう。具体的な内容が分かってしまうと、それをどのようにツールとして使いこなすかという現実的で日常的な話になる。そうなると、ファンタジーの快楽がその時点で減少してしまう。つまり人間は、現在自分がいる地点との切断や飛躍というものを想像する時に、快楽を感じる生き物なのかもしれない。
これは未来を予測し先読みしたりすることによって、生き残ってきた結果なのもしれない。できるだけ未来を想像し、予測し、対処すること。その想像の先との距離が現状からとおければ遠いほど、けれども確かに現状の変化から考えると演繹的に導かれるような未来像に強い関心を抱くのだ。もしかしたら、人間にとって生殖行為と快楽が分離可能になったのと同じように、未来予測能力の持つ機能と快楽が分離したというこもなのかもしれない。
AIを研究していると、認知するために身体という存在が重要になってくることが分かってくるという。人間の認知はすべて身体に基づいて構築されているからだ。そのため、本書でも述べられているように、AIもまた他のジャンル、例えば生命科学などと合流することによって、はじめて到達しうる点を探ることが可能になる。AI研究は人間の認知に総合的に近づくことが目指されているが、その人間の認知というものが極めて種の進化の過程とシンクロしていて、そこに難点も存在している。
しかし、そのような人間の認知に近い自立したAIを作りあげることは、現状ではまだ全く糸口すら見つかっていないらしい。本書は、人類のAI研究の歴史と現状がとても分かりやすくまとめられていて、読後、読者の中にあるAIへの過剰なファンタジーは後景化するだろう。けれどもその代わりに立ち上がってくるのは、例えバグだらけであっても機能している、私たちの脳の奥深さだ。もしその総体をAIで作りあげることができるようになったら、それは新しい生命をつくることと同義といっていい。つまり最終的に人工知能は、知的な人工生命を作り出すことが目指されているように見える。それは確かに、人間のDNAを継承し、より進化した「上位」になるのかもしれない。そこにはやはり「賭け」も存在している。
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