「『男性』の『弱さ』の先にあるもの」、『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か?』(杉田俊介 著)

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非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か (集英社新書)
杉田 俊介
集英社 (2016-10-14)
売り上げランキング: 8,263

1. 「弱さ」を晒せないという「弱さ」とは?

 「女性」の友人と話していて驚かされることのひとつは、彼女たちが自らのプライベートの詳細を、たとえば、お付き合いしている男性とのあれやこれやの出来事や悩み事などの情報を、親しい友人たちの間でかなり共有しているということだ。もちろんグラデーションがあることだが、少なくとも「男性」の私が、悩みなどを友人などに打ち明けないこととはとても対照的で、分かってはいてもなかなかの衝撃を受けてしまう。

 その違いは当然、歴史・社会的に構築されているものだけれども、「女性」の他者とのコミュニケーションのあり方のようなものが、「男性」の私とは異なることは、他人と築いている人間関係の生態系の違いからもみてとることができる。そして現在の日本社会のなかで、おそらく「生きやすい」のは、「女性」たちのコミュニケーションのありかたなのだろう。

 「男性」たちのなかは、急激な社会の変化に生物としてついていけない人が多くいるのかもしれない。それがアポトーシスへの欲動を引き起こしているような。「弱さ」を隠すべきものと考える「男性」、「弱さ」を通じて他人と繋がろうとする「女性」。新しい環境への順応への遅れが「男性」の生きづらさを形作っているが、その点において、世代的なグラデーションの問題も、そこには影を落としているように思われる。

2. いまだ語られていない言説、その可能性の片鱗

 杉田さんも当事者である「ロスジェネ世代」。コミュニケーションの問題や不遇感の問題など、「非モテ」について語るとき、それがもっとも切実に感じられる世代のひとつだ。バブル景気を目の当たりにしながらも、その恩恵は受けられなかった世代。その意味で、ロスジェネ世代が本書のテーマである「非モテ」の問題を語ることは理にかなっている。

 本書でも述べられているように、この世代の言葉は未だに(もう中年以上になっているのにも関わらず)、必要でありながら関わらず足りていない。それ自体も「不遇」の象徴的なものだろう。ロスジェネ論壇の代表的な論者のひとり、赤木智宏さんの名前が出てきたりもしているのも印象的だ。

 しかしここで大事なことは、この「男性」の「生きづらさ」の問題は、なにもロスジェネ世代に限定されるものではないということだ。だが、その「不遇さ」「満たされなさ」を色濃く受け継いでいる世代だからこそ、特定の世代だけでなく、多くの人に関する「普遍」的なものにまで抽象度をあげていくことも可能なのではないか。

 その可能性の片鱗のようなものが、本書のなかにきらめいている。

3. 「男性嫌悪」の背景に浮かび上がるもの

 また、コミュニケーション能力を磨くことを唱える論者として、社会学者の宮台真司さんも登場している。だが、杉田さんは能力を磨くことで「生きづらさ」を克服するという方向へは進んでいかない。その方向性の違いを規定しているのは、著者自身の体内に埋め込まれた実存にも寄っているし、障がい者の社会支援の仕事での実感のようなものもベースになっている。

 能力を磨くことで「男性」の自己嫌悪を克服していくこととは別の方法を探ること。なぜ別の方法のとる必要があるのか。それは能力による克服という道程は、「どんなに嫌でも他人や社会的な弱者を蹴落とさなければ生きていけないという、この現実への吐き気」とも繋がっているからだ。本書で述べられているように、「男性」のなかに潜む「男性嫌悪」は、資本主義と性分業と優性思想(能力主義)が絡まり合うポイントとして浮かび上がっている。

 それこそが、本書のクリティカル・ポイントということができるだろう。そして重要なのは、それらを指し示していくなかで、著者自身が決して安全圏にいないということだ。自らの実存を、その痛みや弱さを、言葉のなかで晒すことで語りを紡いでいく。このようなアティチュードこそ、今、多くの言葉を失った、巨大な時代の波風にさらされている人びとにとって、必要なもののように思われた。

4. ゼロ年代に止まった時間が再び動きだす

 しかしその可能性の追求こそ、ゼロ年代の「非モテ論壇」の登場とリンクしていた。異なるのはおそらくコミュニケーション指向型であるかどうかという点と、もはや実存の問題を「ネタ」としてではなく「ベタ」でしか扱えなくなってしまったという点なのだろう。さらにはここに、「非モテ論壇」と「ロスジェネ論壇」の当時の交わらなさも横たわっているのかもしれない。

 もし「批評」というものが再生する可能性があるとすれば、この世に存在するすべての言説を味わい尽くして、その先にあるものなのではないだろうか。食い食われることによって、世界を回していくこと、豊かにしていくこと。しかしそこにも、否定していたはずの残酷さが伴われている。その残酷さのビジョンは、杉田さんの著作に繰り返し現れるものだ。なぜ世界はこうなっているのか?どこに救いは存在するのか?人の営みをはるかに超越してしまっている因果、そこに祈りが生まれる。

 違うことによる分断ではなく、新しい課題を設定することによる統合。ゼロ年代に止まってしまった時計が、今、ゆっくりと動き始めている。その胎動のようなものを、本書から感じ取れる人もいるのではないだろうか。まだ杉田さんの思想の総体はうっすらと描き出されているにすぎない。本書は続編を予定しているそうだが、その登場を心待ちにしたいと思う。

 ちなみに余談だが私は現在、グアテマラのサンペドロ・ラ・ラグーナという中米にある小さな田舎町にいる。それでも、新刊がKindle版で読めるのはとても嬉しかった。さすがにアンリミテッドにするのは難しいかもしれないけれど、書籍へのアスセスの容易さは確実に次世代を育てていく糧になるゆえ、どんどん電子化してほしい。現状、電子化されている書籍の傾向はそうとう偏りがあるので(それしかアクセスできないからわかる)、いわゆる「リベラル派」のひとたちは、経済状況が許すのであれば積極的に電子化(アンリミテッド化)をしていったほうがいいです。

 現状は一般的に思われているよりもずっと深刻。もし現状のままなら、おそらく20、30年くらいは負け続けますよ。まぁ、それでもいたくもかゆくもないのが現在の日本の「リベラル」層でもあるという問題もあるのですが。。

(了)

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