「もしここが消費だけの世界なら」、『シャンデリア』(川上未映子 著)

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 「お金」を持つことによって、別の世界が見えてくるということがこの世の中にはある。いわゆる社会問題と政治の現場の噛み合わなさみたいなものも、そんなお金の有無によるリアリティの変化みたいなものが絡んでいることが多いし、そうでなくても、人が生きていく上での選択肢の幅というものが大きく変わってくることを否定することはなかなかできるものではないだろう。そのお金にしても、本人の努力とは別のところで、たとえば、生まれ落ちた場所や家庭、タイミングなどで、埋めがたい違いのようなものが、それぞれの人びとのなかにどうしようもない違いのようなものとしてそこに横たわっている。それはある種のフェアさを損なってしまうものだし、極端すぎる不公平は何らかの爆発を起こしてしまうというリスクもあるわけだし、また、同じ人間があまりに辛そうな状態におかれている姿を私たちは直視することが難しいとか、そういったこともあってそれぞれの持つ記号の「シミュラークル」のなかに閉じていってしまう。

 それはコミュニケーションのコストとかそういった負荷の少ないほうに流れていくことでもあり、それがゾーニングというものなのだけれども、ある2つの別のシミュラークルを移動したときに、それがひどく違和感のあるもののようにみえてしまうことです。この生活空間の移動のようなものが、ある種の「文学的」な表現というものを作り出していくエッセンスのひとつとなる。つまりなんというか、ある空間のなかで異なる言語、コードによって思考を綴り出すのだ。そういった移動が異郷の言葉として機能する。そしてそこには、さまざまな摩擦や感情が織りなされるのだ。それはときとして、涙にも変わるだろう。しかしそれも、異なるシミュラークルの間の移動のさいには昇華として機能する。そしてそこに立ち会われるのは、世界の多重性とそれをひとつ統合して現れる豊かな登場人物の世界なのである。それと同時に、そこにある世界すべてが新しく生まれ変わっているのだ。

 頭上に輝くシャンデリアは、もし落下してくれば人を致命的に傷つける存在でもある。私たちの多くは今、そのシャンデリアの下で踊っているのだし、それがいつ落ちてくるのかはわからない。そんなフラジャイルなあやうい美しさのなかで、私たちはそれを眺めているのだ。

(了)

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