「中南米を旅する日本人で、知らない人はほとんどいない」、『グアテマラの弟』(片桐はいり 著)

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グアテマラの弟 (幻冬舎文庫)
片桐 はいり
幻冬舎 (2011-02-09)
売り上げランキング: 6,697

 他人と場所の記憶を共有すると、急にその相手との距離が近くなった気がする。人は意思疎通をする場合、お互いの共通項に基づいてコミュニケーションをするわけだが、その共通項が多いければ多いほど、それが感情移入されたものであればあるほど、その親しみの感情は増幅されていく。そしてそれはある種のコミュニティ意識のように、継続していくものだ。

 本書の著者である俳優の片桐はいりさん、その弟は、グアテマラのアンティグアで、現在もスペイン語学校を営んでいる。そのことを知ったのはそんなにも昔ではなかったが、私がこのアンティグアという街に訪れてから、著者の存在がとても身近のように感じられるようになった。もちろん面識はないのだが、日本からアンティグアに来たという経験の共有が、眼前にみえる風景を著者も見たのであろうという想像が、その共感体験を作り出すわけだ。

 もともと言葉による伝達には、そのような機能がある。つまり言葉とは、それを使用する共同体のなかで共有されるものだが、それと同時に別々の体験を結びつける役割もあるのだ。その文章の舞台が、自分自身が身を置いた場所であるならば、そのシンパシーは大きなものとなる。

 本作品は、家族との関係やその間のやりとりがその内容の中心でありながら、まるで旅行エッセイのようなテイストも強くでている。そのためもあるのだろう。この作品は、中南米を訪れる旅人の間でかなり有名で、知らない人がいないくらいの定番のネタのようなものにもなっているのだ。きっと、この作品をきっかけにして、アンティグアにある弟さんのスペイン語学校に通うことになった人も多いことだろう。

 グアテマラはスペイン語学習のメッカのようなところだ。その理由は、まず授業料が格安だということ、また、中米からはいり南米を抜けていく旅人なら、スペイン語がわかるかどうかということは大きな問題でもあるから。なぜならこの地域は、多くの日本人が第2言語としてる英語という言語を話すことができる人びとが、ほかのアジアやアフリカなどに比べてかなり少ないからだ。つまりスペイン語を学ばなければ、満足に旅もできないエリア、それが中南米というところなのだ。だから、多くの旅人は物価の安いグアテマラでスペイン語を習っていく。とくにアンティグアは街自体が世界遺産に登録されているほど趣深い街なので、はまる人はハマってしまう。なかには著者の弟さんのように定住する人も現れてくる。

 そのようなこともあり、片桐はいりさんのグアテマラを訪問した日本人たちの間での知名度は、ずば抜けている。まるで、海外に定住を決めた日本人の家族を持つものの代表的な存在となっている。生まれ育った日本とは違う場所で生きていくことを選択した人たち、その家族としての眼差しが本書にはまるで古典のような普遍的な様相を湛えながら満ち満ちている。戸惑いから歓待、そして理解へと関係は形を変えながらつながっていく。時は流れ、すべては変わっていくものだけれども、だからこそ、家族たちの結びつきがここで際立ってくるのである。国をまたいでいるからこそ浮き上がる普遍性のようなものを感じずにはいられない。読んでみて驚くほどの名作エッセイだ。

(了)

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