「料理して食べるということ」、『cook』(坂口恭平 著)

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 各地を転々と旅しているとき、それぞれの場所での滞在期間はそれほど長くないし、現地の会社との取引もほとんどないデジタルノマドだったので、現地での人間関係はそれほど深められない、という自覚があった(個人的なコミュニケーション能力にも起因しているものではあるが)。それでなにか、まるで自分が、現地社会との明確な接点を持たない幽霊のような存在であるような感覚におちいることもある。

 そんな生活のなか、自分と滞在先の社会との結び付きを実感できるのは、買い物をしているときや食事をしているときだ。

 当たり前のように言葉を交わし意思を伝え、置いてある商品やオーダーした料理と向き合う。それらの構成要素のひとつひとつに、たとえば料理ならば、野菜や肉、米などの食材が、どこでどんなふうに作られて、どんなふうに運ばれてきて、どんなふうに取り引きされたのだろうかとか、それぞれの食材や料理にはどんな歴史があるのだろうとか、そんなことに思いを巡らしていた。

 ほぼ外食が中心だった私の食生活のなかで、お店での料理と出会いやそれを食することは、特別な時間となっていった。

 料理がすぐに消えてしまう砂曼荼羅のように見えてきたり、食事のたびに料理を写真におさめてみたり、いつのまにかグルメ系サイトでのライター仕事も増えたりもしていた。私にとって料理を食べることは、かろうじて私と現地社会をつないでいる紐帯のようなものであったのだ。社会的・歴史的な存在であり、それっきりの表現でもある料理を自分の体内に取り込む。そして、自分の一部にする。

 それは自分が現地社会と関係を結ぶ、具体的で自覚的な方法となっていたのだ。

 海外暮らしの、とくに一人暮らしの人にその傾向があるが、はじめのうちは外食で好きなものを食べていても、グルメな人であればあるほど、いつのまにか現地で自炊するようになっていく。けっきょく、自分が一番食べたいものは、自分で作ったほうが手っ取り早い、ということなのだろう。そして、未だに人の作った料理に頼っている私はまだまだだな、とも。しかし、まだ飽きないのだから、これを徹底してみようとも思っていた。

 そして現在、やはり自分のなかに料理をつくる欲求というのが、ゆっくりと立ち上がってきていることを感じることができる。そんな欲求に向き合うことが、最近では日課のようになっている。本書はそんな欲求の輪郭をはっきりと浮き上がらせてくれる。

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坂口 恭平
晶文社
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