自らの生い立ちや体験に、言葉というかたちを与えることは難しい。それがトラウマと密接に関係していれば尚更で、それゆえ、日常生活でそんな言葉たちに出会うことはそう多くない。この困難さは、向き合うこと自体に痛みを伴うというだけでなく、カミングアウトした時に生じる痛みの予期にも起因している。ネットに溢れる本書のレビューに目を通すだけでも、そのことは容易に想像できるだろう。
語ることが困難な生い立ちや体験を、言葉によってかたちを与えようとすると、私たちが日常的に他人とコミュニケーションするために使っているものとは異なった言語の様相を呈してくる。見慣れているはずの言語で書かれているにも関わらず、まるで外国語で綴られたかのような文章になるのだ。とくに文体にその特徴が顕著に現れてくる。私たちにとって未知のものとは、そのようにすぐには理解できないものとして目の前に現れてくるものなのだ。
だが、本書はとても平易な言葉や文体で構成されているのが特徴だ。このわかりやすさは本書の魅力のひとつであるが、多くの人たちの中にすんなりと入っていく言葉たちが、登場人物と読み手のあいだに横たわる壁のようにもなっている。この言葉たちが登場人物を物語世界に囲い込んで、読者をまるで檻の外からその人びとを眺めているような感覚にさせるのだ。このことが、一部の人にとって本書が不幸のエンタメとも感じられる要因のひとつでもあるだろう。
わかりやすいということは、必ずしも登場人物の内面世界を正確を理解することの助けにはならない。だからこそ他人への敬意も生まれえるわけで、自らの経験で他人の経験を推し量れると考えること自体がすでに加害のようなものになることもあるのだ。しかし、分かりやすくパッケージしないと広く多くの人に読まれないということもまた事実であり、作家はその両極のなかで最適解を探しだす。
この小説のなかの出来事は現実をそれほど濃縮したものではない。ひとつひとつのエピソードは、この現代日本に生きていればそれほど珍しいものではなく、その一部分を切り取った、と表現したほうが正確だろう。その物語たちは遠く離れた場所ではなく身近なところにあふれているけれど、52ヘルツでうたうクジラのように見逃され続けている。ここに記述されている喪失と希望の痕跡は、みつけられることを今もじっと待っている。この物語は届かなかったはずの声と再会するためのレッスンなのだ。
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Yasuo Nakagawa
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