1. 資本主義最大の、おそらく最後の開拓地「個人の身体」へ
いったい今、私たちの住むこの国に何が起きはじめているのだろうか。
いつのころからか、この日本において「個人の身体」が消費活動の場になっていることに気が付いた。以前は見た目に関わる一般的な消費活動は、衣類やアクセサリーなどであって、身体それ自体は髪型や化粧、ダイエットや美肌と、ドラスティックに顔かたちを変えるまでに至っていなかった。それが今、顔を中心とした整形文化が日本でもかなり一般的になってきている。巷には美容外科の情報が溢れているし、整形を公言するYouTuberもカリスマ的な人気を集めて、その文化圏は今も裾野を広げつつあるようにみえる。
もちろん日本においても、昔からカジュアルに整形する人たちがいなかったわけではない。けれども、整形することがひとつのスティグマとして機能する側面があるくらいには、一般的な感覚(マジョリティ意識)を重視する人たちから少し距離のあるところで展開された文化だった。それが現在、衣類やアクセサリーを身に着けることの延長線上、もしくは同列的なオプションとして、身体の整形が消費活動の場としてそれほど特殊なことではなくなっている。
本書でも引用されている「今日の社会において、個人の身体は資本主義最大の、そしておそらく最後の開拓地なのである」という社会学者・田中東子さんの指摘はおそらくは正しい。そして、本書の著者・佐々木チワワさんは、この「個人の身体」に加えて「個人の言動」すらも資本主義の消費対象になっていると指摘する。この指摘から著者と私が過ごした時代のズレのようなものが感じられて興味深かった。なぜならそこから、消費対象が「個人の身体」から「個人の言動」へと拡張しているイメージが感じられたからだ。そのイメージは本書を読む前に私が持っていたものとは逆向きになっている。
このレビューではそのズレの認識をきっかけに展開した思考を記述しておこうと思う。本書の内容説明にはほとんどなっていないのでその点はご注意を。
2. コミュニケーション消費の果てにみえる風景
マーケティング・アナリストの三浦展さんは著書『第四の消費』の中で、日本の消費社会は、国家重視から家族重視、そして個人重視から社会重視へと変遷していると述べている。現在は社会重視の消費時代と位置付けられ、この「社会重視の消費」というのが、コミュニケーション消費、価値のある体験にお金を支払う消費活動にあたる。ちょっと雑なカテゴライズかもしれないが「個人の言動」をめぐる消費活動もこの中に含まれるだろう。
私の体感的に、日本において「個人の言動」が消費活動になっていく傾向がとくにSNS上で目立ちだしたのは、「個人の身体」が一般的な消費活動の場になってくるより少し前のことだ。どんなに流行の最先端をいくハイブランドに身にまとい、存分に自己表現していても何かもの足りなさを感じていても、どこか最後の聖域のように感じられて手を加えることができなかった「個人の身体」。その反射的で無意識的とも言える抵抗感が次第に薄れてきて今に至る、というイメージを私は持っていた。
このイメージの違い、「身体→言動」「言動→身体」という二つの拡張の順番は、おそらく同じ大きな流れのなかで相互に影響しあいながら同時進行で起こっている変化なのだろう。
社会重視、コミュニケーション重視の消費はもともとその内側に「個人の身体」を消費活動の場にすることを含んでいたのだ。なぜなら、他人とコミュニケーションする上でまず接点となるのが外見であるのだから。見た目それ自体がメッセージでありコミュニケーションツールであり、連帯意識を醸成するハブでもあり、コミュニティ意識の表明でもある。それは例えばオンラインゲームにおけるアバターのスキンを自分の好きにカスタマイズすることに近い感覚であり、その感覚がゲーム内だけでなく日常生活でも育ってきているということなのではないか。
以前、ネットや2次元がリアルに影響を与えはじめたことが指摘されていた時代があったが、それは今でもさらに深化を続けているのだ。
つまり、こういう風にいうこともできるかもしれない。これまで生得的で書き換えることができないと思われていた部分を書き換え可能なものとして更新していく想像力が育っている、と。最近は「親ガチャ」だとか運によって決まる個人間の不公平さが社会的な話題となっているが、生まれながらにして更新することができないと思われていた領域が狭まったために、いまだ更新できない部分としての「親」や「家族」というものが注目を集めやすくなっているという側面もあるのではないか。
3. このぴえんな現状を全身全霊で受け止める
これらの文化状況が日本において特に剥き出しの状態で現れているのが、著者がフィールドワークの場としてる新宿歌舞伎町界隈だ。もっと具体的な業界でいえば水商売界隈であり、ここでは日本社会の現状やその環境下にある人びとの欲求が見た目や数字に形を変えて日夜展開されている。この文化圏には日本の現状と未来が濃厚に織り込まれていて、その意味で本書はとても重要なレポートであり、決して小さなコミュニティだけ、Z世代の一部のカルチャーにはとどまらないものであると考えられる。
また、この界隈ではジェンダー感覚にも変化が見られてそこも興味深い。その変化は男女ともに起こっていることで、本書でも登場するホストやレンタル彼氏、女風など、以前であれば男性が消費の主体だったジャンルにも女性が消費者として参入しはじめている。男性用の美容や化粧品の市場が伸びているのもその一部だろう。資本主義のロジックからいえば、ステレオタイプなジェンダー観から生み出される商品やサービスの消費活動が頭打ちになるとその括りが足かせにもなるので、その括りを外すことによって新たな市場を作り出すという運動がここにも展開しているとも言えよう。
もちろん非対称性はいまだ存在しているが、以前の状況からすれば大きく変化しているのは確かなことで、そこには自由に自分の身体を構成する要素を選択して更新していく文化も育っている。少子高齢化の止まらない日本のなかでも、数的にはマイノリティともいえるZ世代の間で育っているカルチャーは確かに存在していて、それはとても切実なものだ。このぴえんな現実世界を文字通り全身全霊で受け止めていかにエモく生きていくのか。たくさんの人びとの意識的、無意識的な試行錯誤の結実のひとつがここにある。そしてそれはまだまだ現在進行形だ。残酷にも優しくもみえる世界がここに展開している。
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Yasuo Nakagawa
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