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この記事の所要時間: 258

これからの日本のために 「シェア」の話をしよう

 「シェア」の話をする時に、ときどき思い出すエピソードがある。

 確かパキスタン国内を列車で移動している時だったと思うが、私が座っていた席の向かいに中年のシーク教徒の人が座っていた。もうかなり前のことなので、そこでの会話の内容の全てを覚えているわけではないけれど、その中で今でもはっきりと覚えているやり取りがある。

 それは、私が「シーク教とはどんな宗教なのか?」と聞いた時のことだ。その問いかけに関して彼は「我々の宗教はシェアをする宗教だ」と答えた。

 列車での長い移動だったと思う。

 彼は何か食べる時、必ず勧めてくれた。外国人だから気にかけてくれていることもあっただろう。けれど、彼のその答えによって、それまで主にインドでみてきたシーク教徒たちの行動の原理みたいなものが分かった気がしたのだ。

 例えばインドで満員列車に乗った時に、とある駅でターバンを巻いた恰幅の良い男性数人が乗り込んできたことがあった。その割り込み方には目を見張るところがあり、飄々と人を押しのけ自分の居場所を確保する。その姿には他のインド人にはないためらいのなさが感じられた。その時にはシーク教徒には押しの強い人が多いのだろうかなんて思ったりもしたが、その「シェア」の話を聞いた時、その意味が分かった気がした。

 つまり、「シェア」するとは分け与えるだけではなく、自分の権利をも主張することでもあるのだと。

 

 さて、本書は現代日本における「シェア」についてのあれこれが描かれている。

 「シェア」に関するイメージというのは、いまだに消費や経済を縮小する方向に影響を与えるものとして扱われることも多いが、ここでは新しい方向に消費や経済を拡大する可能性を秘めているものとして扱われている。確かにこれからの日本では、お金をたくさん稼ぎ蓄えることが難しくなっていくかもしれない。けれども、お金が沢山あっても循環しない社会よりは、少なくても循環する社会の方がずっといい。そのために、「シェア」によって新しい価値の創造を創造することが目指される。その価値とは基本的にコミュニケーションやコミュニティによる付加価値がメインとなるという。

 「シェア」による価値の創造が成される中で特に重要なトレンドの1つは、「公」というものが「民」によって形成されていくようになる、ということだろう。

 日本では戦後以降、「官」によって「公」が担われてきたところがある。今までは「公=官」というイメージすら形成せれている。けれども、これらの「官」による「公」の運営は機能不全に陥っており、さらには行政の資金不足の問題も大きくなっている。その機能不全と資金不足の両方への対象としても、民間が「公」を作ることは有効に機能しそうだ。

 それはつまり、新しい血の通った「パブリック」の創造でもある。「民」のシェア的発想に基づいて「公」を構成し直す、ということ。このことがこれから重要なポイントになっていくのではないだろうか。この日本には、まだ使用されていないポテンシャルが幾つも潜んでいる。その中にある未使用のストックに「シェア」の視点を導入し活用することで、これからの新しい「パブリック」が見えてくるのかもしれない。

 

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
個人ブログ:https://insiderivers.com

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