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ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

1、「新しい自然」の中での狩猟採集生活

 

 本書での「ニート」の定義は結構ゆるい。

 必要最小限しか働かない、しかも働くにしても自分の嫌なことはしないというライフスタイルの人、くらいな感じで使われている。そこには、特に上昇志向もなく周囲に急き立てられるように生きることもなく、漠然とした将来への不安はありながらも、それなりに楽しく暮らす生活がある。

 現在、大体の土地は誰かのものだし、ただ生きるだけでもお金を稼ぐ必要がある。それゆえただ生きるために働き、まるで生きることが働くこと自体のようにもなってしまうこともあるだろう。もちろんそれも一つのライフスタイルとしてありだ。しかし、やはりそのライフスタイルと根本的に身体に合わない人たちも存在する。

 近代化以前であれば自然が豊富な場所に住んで、山や海などで食べられるものを探して生きてくことも容易だったかもしれない(知らんけど)。けれども、日々の生活を現代の都市で営む私たちにとっては、そういった「海の幸」や「山の幸」をあてにして生活することは難しい。だから、日々の仕事でお金を稼ぎそれを使用してもモノを買い生活する。

 ここで思い出されるのは坂口恭平さんの都市型狩猟採集生活だろう。坂口さんは「海の幸」「山の幸」と並んで「都市の幸」という概念を提唱している。都市という人工の生態系の中で生産・排出される様々なプロダクト(その多くは最終的にゴミとして処理される)を組み合わせて生活を成り立たせる。拾いアレンジし、それによって生活を成り立たせる。

 このように「都市の幸」を利用して狩猟採集生活をすることはそれなりに可能ではあるが、一般的にそれは難易度が高いことなのではないかと思われる。なぜなら、やはり路上においても結構なサバイバルが展開されているし、対人関係やコミュニケーション能力の有無がその生活を成立されるための重要なファクターになるから。

 それに対してphaさんが狩猟採集の場としているのはインターネットという「新しい自然」の中である。その新しい情報の生態系に分け入って、まるで森の中で果実を拾ってきたり罠を仕掛けたり狩りをしたりするように生活の糧を手に入れる。言うなれば、それは「ネットの幸」で生きる、ともいえるだろう。本書では、コンテンツやウェブサービスに広告を張ったり、古本等の転売したりなど具体的な糧の得方を紹介している。

 

2、孤立化しやすい人たちこそ集まる意義がある

 

 そのような「ネットの幸」で生活を成立させやすくしたのは、ソーシャルメディアの登場だった。これによってマッチングの問題が飛躍的に解決される。

 例えば、自分が欲しいものをどこかの誰かが必要なくて捨ててしまうことは世の中にありふれている。欲しい人はお金を出して購入し、いらない人は捨てる。このような状況は、欲しい人にとっても捨てたい人にとっても合理的なことではないのではないだろうか。

 もし、この需要と供給が出会って情報を共有するのなら、前者は必要なものを購入することなく手に入れることができ、後者はゴミを排出しなくてもいい。さらにそこには新たな人間関係やコミュニケーションという楽しみさえ発生する。そのようなことがソーシャルメディアの登場にとって容易な状況となっている。

 それは、単なる単線的な需要と供給の関係だけに留まらない。その新しい「場」では、自分と趣味思考の近しい人たちと物理的な距離を越えて繋がることができ、そこにコミュニティすら生成するのだ。

 そして、その場で趣味の合う人たちに出会い、一緒に住むまでに至ったりしている。いわゆるコンセプト型のシェアハウスは大体がそのような流れの中で生まれている。結局、物理的にも近い方が何かと便利だし、生活必需品を共有することができるなど様々なメリットが生まれるのだ。

 こういうことをいうと、これらが可能になるのはコミュニケーション能力の高い人たちだけであると思う人もいるだろう。けれども、いわゆるニート属性の強い人たちは、基本的に人間関係が苦手だ。一般的に、対人スキルは低いといえるだろう。

 けれども、だからこそ集まる、ということのメリットも生まれる。コミュニケーション能力の低い人はそれだけで孤立化する可能性が高いからだ。集まること、ただ群れること。これは対人能力の低い人たちの生活の知恵でもある。

 

3、全体の中の部分としての「ニート」の居場所

 

 本書では、昆虫のアリの社会の中でもよく働くアリと働かないアリがいて、実はそのことはアリの社会の中では必要で合理的なことなのだという例が挙げられている。みんながみんな同じ価値観のもと、競争に駆り立てられる社会はとても息苦しいものだ。本書の中で「ニート」と「猫」の相性の良さの話が出てくるが、これは人間が猫のように生きるための方法論でもあるだろう。

 これはたぶん、まだ始まりにしか過ぎない。このようなライフスタイルはこれから様々なバージョンが登場し発展し、社会の造形を少しずつ変化させていくだろう。それでそれは歓待すべきことだ。それぞれの特性によって生き方を選び、不本意な無理を強いられることなく、生き方を自由に選べるような社会が到来すること。たぶん、豊かさの実現でもあるのではないだろうか。

 本書は「はじめに」の部分で、一時期ネットで流行ったメキシコの漁師とアメリカ人旅行者のやり取りのコピペを引用している。

 少し長くなるが、最後に引用しておきたい。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、
日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんと昼寝して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、
ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

 このメキシコの漁師のように生きること。
 そう考えれば、全く考え方が違う人にとっても、本書を容易に理解することができるのではないだろうか。

 

【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
個人ブログ:https://insiderivers.com

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