小説家・平野啓一郎さんの「私」論である。
本書の目的は、人間の基本単位である「私」を考え直すことにある。具体的には、「個人」から「分人」へと人間の基本単位の概念の更新を志向すること、となる。
現代英語で「個人」を意味するのは「individual」という言葉だが、これは「in」と「divide」から構成されており、日本語にすると、「不可分」、「(もうこれ以上)分けられない」と翻訳される。
この語源からすると「私」はただひとつの分けることの出来ない人格となる。けれども実際には、1人の人間は複数のリンクやネットワークの総体であり、そこには「本当の自分」という中心は実在しない。「私」という存在は、対人関係ごとのいくつかの「分人」によって構成され、その人らしさというものは、その複数の「分人」の構成比率よって決定される、というのだ。
私たちは生きていく上で、継続性のあるコミュニケーションの反復を行っている。人格とは、その反復を通じて形成される一種のパターンとして表象されるもの。誰とどう付き合っているかで分人の構成比率は変化し、その総体が個性となる。個性とは生まれつきや生涯不変のものではなく、もしそこに悪循環があるのなら、「分人」の構成比率を変えることで、そこから抜け出すことも可能だとする。
もしかしたら「分人主義」は「個人主義」よりもコミュニケーションが複雑化するかに見えるかもしれない。つまり、高度な対人能力が必要になるのではないかと。しかし実際には、「個人」という概念の大雑把さ故に、コミュニケーションはかえって細かな配慮を要求され、複雑になっている現実があるという。「分人」的なコミュニケーションは、むしろシンプルで分かりやすいものとなるはずだ、と。
この「私」の概念としての「分人主義」は現代人の実状に合わせる形で構築されているが、その効果を見て取れるのは、やはりこれまでの「個人主義」の結果として起きてきた問題と向き合う時だろう。
例えば、自殺についても述べられている。不幸な「分人」を抱え込んでいる時には、ある種のリセット願望が人の心には芽生えてくるが、しかし、そんな時にこそ私たちは慎重に、そうしたいのは複数ある「分人」の中の一つなのだと、意識することが大切だ、というふうに。
この「私」の概念を扱う上で重要なのは、常に自分の分人全体のバランスを見ていることだ。
思想なのであるから当然のことではあるが、やはり若干、観念的な印象を受けるところもあった。しかし、全体としては実感を伴うことのできる思想の方向性でもあった。本書は、作者にとってのポストモダニズムを自らの生活の中で咀嚼した結果でもあるだろう。そしてまた、現状に適う思想を一から作っていくべき時だと考えている著者の提示する現状への処方箋でもあるともいえるのではないだろうか。
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
Twitter:insiderivers
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