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この記事の所要時間: 817

東日本大震災でわたしも考えた事物起源探究2011松永英明(まつながひであき):文士、事物起源探求家、ゲニウス・ロキ探索家。サイト「絵文録ことのは」は https://www.kotono8.com/ 、ツイッターは@kotono8。文学フリマには過去5回出店し、冊子『事物起源探求』や『三菱東京UFJ銀行に合流した全銀行の系統図年表』などを発表するだけでなく、某書店風POPによるディスプレイやスタンプラリー主催など文章以外の表現方法にもこだわっている。

聞き手:中川康雄(未来回路)

 

—— 松永さんにとって、文学フリマとはどのような場所ですか?

 商業ベースでやれないようなものを形にできる場所ということは大きいですね。自分はどちらかというと評論系で、いわゆる「文学」っていうものにはあまりタッチしていないので、「文学フリマ」は「〈文字〉表現によるミニコミの即売会」くらいの意味合いでとらえています。あと文章を書くってことだけでなく、レイアウトも含めデザインやポップに凝ってみたり、そういった部分も含めての「表現」の場ですね。〈文字〉を主体にした表現全般を自分でやってみたいっていう。
 出版社からの仕事でライターとして書くといったときには、基本的に依頼された条件に沿った原稿を書くわけです。けれども、それだと自分自身でプロデュースするって形にはならない。だからそれをやるために、金になるかどうかは別のところで、やりたいことをやっていくっていう感じです。そういう場所ですね。

—— 書籍を作って販売していく過程を全て自分自身でやってみたい、ということでしょうか?

 編集者っていうのはプロデューサーみたいなものだけれども、基本的に自分自身ではあまり書かないですよね。あるいは、DTPをやってる人はデザインのことは考えるけれども他のところは感知しないとか、そういうところがある。そういう一連の作業を一手にやってみたいのです。
 ただ、大学の時に神話伝説研究会っていうサークルをやっていて、その成果物みたいなものとして冊子を作ったりしたんですが、なかなかそれがまとまりがなかった。多人数でやるっていうことで、内容もレベルもバラついてしまうっていうのは結構大変でしたね。自分にはそれを調節できる自信は今のところはありません。なので、個人誌という形になってます。
 ずっと前のことで、しかも没った話なのですが、以前、講談社ノベルズでも書かせてもらうっていう話が出ていまして。その時に担当の編集者さんから、ノベルズで書くっていうことに関して「同人誌レベルとプロレベルっていうのは違うんだよ」ということを強く言われました。同人誌っていうのは、自己満足の世界で書きたいことを書く。プロはそうじゃなくって読者にどう受け止められるかまで考えて、読者の立場に身を置いて考えられないといけない、と。
 だから、文学フリマに出す本についてはテーマの選び方は自分の言いたいこと書きたいことを言いっぱなしでもいいけれども、表現レベルではプロレベル、みたいな感じでやれるといいなぁと思っています。

—— 自分のやりたい内容を、表現レベルとしてはプロレベルでやっていく、と。

 そうですね。
 この辺は完全に追いかけていたわけではないので印象論なんですが、ライトノベルが出てきた時代の前に、『双竜伝』や『帝都物語』、『魔界水滸伝』とかあたりが(主に新書判の)ノベルズって形式で出てまして……菊池秀之の『吸血鬼ハンターD』とかのシリーズもそうですね、そのあたりでも、当時からいわゆる文壇の文学と比較すれば、文章としてのレベルはそんなに高いわけではないと思われてた。
 でも、そのあと、テーブルトークのロールプレイングゲーム(TRPG)が流行して、そのリプレイ的な作品が世に出始めたんです。そのあたりで「ああ、この程度でいいんだ」っていうふうに出版社側が思っちゃったのかな。そのあと出てきたのが電撃文庫であったり、そこから先はノベルズはリプレイもののレベルでOKというような、あるいはゲームの世界観そのまんま載っけちゃったものが小説として扱われてしまうっていう状態になりました。その中から生まれてきたライトノベルは、さらにレベルが落ちたものみたいなイメージが当時はありましたね。文章力じゃなくてお約束を守っているかどうかが基準、みたいな。
 東浩紀さんの『動物化するポストモダン』の中で述べられているように、ストーリーからキャラクターに落ち、キャラクターから要素、萌え要素に落ちた、みたいなそういう流れも実感としてあります。その中で「涼宮ハルヒ」シリーズなど、結構頑張っているものも出てきた。最近はライトノベルでも文書表現力の洗練されたものが出てきていると思いますけれども。
 もうひとつは「ブログ本」みたいな、ネットのブログをまとめただけっていう本が平然と書店に並べられる時代が2003年くらいにきましたよね。やはり文章の質なんかどうでもいい、みたいな風潮があった。文章力を出版社が問わない時代。そういう認識が自分の中ではあります。
 そんな状況の中でも、ライトノベルっぽいことをやっていてもいいし、いやもうちょっと本格的に書いてみたい、あるいは論説っぽいものだったりとかそういうものをやりたいっていう層は根強く残っていて。昔の文芸部ノリっていうのかな。それを求めて文学フリマっていう場所にいるって感覚はあります。
 だから身内にだけわかればいいやっていう意識で書いている人もいるでしょう。それを否定するつもりはない——っていうか、商業ベースがそのレベルっていう気もするんだけれども、それだけじゃなくって広く読んでもらうにはどうしたらいいかっていうことを試行錯誤する人たちもいます。どうやったら多くの人に立ち寄ってもらえるだろうかっていうマーケティング的なところも含めて、そういう意識のある人たちもいるっていうのは楽しいところだなぁと思います。そういう場があって、しかも少しずつ拡大しつつあるっていうのはいいですよね。
 自分もいつも楽しみにしているサークルがいくつかあります。葬式のことばっかり書いてある『葬』っていう雑誌もその一つです。あの雑誌は毎回買っています。今回(震災後の第十二回)はさすがに新刊がでなくて残念だったんですけれども。すごく真面目な雑誌なんですよ。「ペットの葬儀」とか毎回いい特集をやってて。

—— ミニコミを作っていくことのモチベーションはどこから生まれていますか?

 自分の持ちネタを形にして見せるっていうことは大事にしていますね。例えばライターとして売り込もうと思っても、「こういうことを考えています」ってだけじゃ弱いんです。形を見せて「こういうことを考えていて、こういうものを作りました。こういう形になっています。ここはまだ掘り下げることはできます」くらいだとわかりやすいわけです。自分のアイディア見本みたいなものですね。
 あと、実際に形にすると自分でも見えてくるものがあります。本当に形にするかしないって大きいなって思いますね。アイディア止まりのものと形になったものではやはり全然違う。もちろん個人としてはできあがってから「ああすればよかった、こうすればよかった」ということは必ず出てくるけれども。
 例えば『三菱東京UFJ銀行に合流した全銀行の系統図年表2010』というものを作りましたけれども、元のデータベースの文字データ自体はネットにあるんですね。けれども図にしてみるとなんか凄かったということもある。さらに、それをあえて紙媒体でA2サイズにしたっていうのには、やはり理由があります。現在、電子書籍ブームということもありますが、それに対して電子じゃできないこともあるんだよってことを示したかった。それをやるためにはA2サイズのものを置くのが効果的だったんですね。
 電子書籍で全体を示すことは可能だけれども、その状態で細かいところを観ようとしても絶対観れない。細かいところをみようとする時は、電子だと一部分しか観れないんですね。観るためには拡大するしかないんですよ。だから、全体と細部を同時に観ようとするとこのサイズになる。まぁ、このサイズの電子ペーパーができたら別ですけれども、現状ではそうですよね。「この判面のサイズというのは伝達上すごく重要なんだよ」ということが言いたかった。本当はサイズに関してはもう一回りくらい大きくしたかったんだけれども、印刷屋さんでマップ折りという折り方をしてくれるのはこのサイズが限界だったんです。その最大をやった、ということですね。

—— 確かにデバイスのサイズによって表現の可能性はかなり規定されますよね。あと、文学フリマに出店するってことの意義をどのあたりに考えられていますか?

 たとえば、この大きさで一覧できるということの意味っていうものもあるって観せるためには、これを作るしかなかったんですね。まあ、こういうアイディアであったり、あとは事物起源みたいなネタをネットでもやってるし、ウィキペディアっぽく自分のサイトのウィキで載せていたりもするので、そこで読めるといえば読めるんだけれども——けれども、それを縦書きの文章で2段組みで流し込むっていうことになると、自分で文章も変えざるを得ない。その中で増長な部分を削ったりすっきり見せるにはどうするか、探した経緯を掲載するとか考える。それでちゃんと提示できるものになってくる。
 あと、文学フリマに参加することの意義ですが、年に2回のこのイベントがいいペースメーカーになっています。それは結構大きいですね。締め切りがないとみんなやらないでしょ。コツコツと書いていくっていうライフワーク的なものもあるかもしれないけれども、ライフワークにしてもどこか区切りをつけようぜっていう。そのリズムとして、年2回の文学フリマっていうものを選んでいるっていうのは、自分としてはとてもいいペースですね。

(了)

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