1.「どうして私達は、こんな風になってしまったのか?」
ロスジェネ世代とは、1970~80年代前半生まれの世代のことだ。
子ども時代に様々なものが、子ども専用アイテムとして普及していく過渡期を身をもって体感した世代。
そのような豊かさの中で育った人たちは、どのような大人になり、どのぐらい幸福に生きているのだろうか。
本書は、ロスジェネ世代へのある種の断念とリハビリのすすめでもある。
2.終わりなき思春期モラトリアム
著者の熊代亨さんは、1975年生まれの現役精神科医。本人もロスジェネ世代ど真ん中の当事者だ。
それゆえに、説得力と重みを感じ取ることができる著作となっている。ところどころ、その記述の行間に涙が出そうになった。「痛み」と「愛情」、それに尽きる。
ロスジェネ世代の心理を特徴付けている「病理」とは何か。本書ではそれを、“終わりなき思春期モラトリアム”的なメンタリティ、としている。
ここで、著者がこの結論に至るプロセスを把握するためにも、以下の情報を参照したほうが良いかもしれない。本書に掲載しているプロフィールにはこのように書かれている。
”精神科臨床で目にする「診察室の内側の風景」と、ネットコミュニケーションやオフ会を通して見える「診察室の外側の風景」との整合性”にこだわり、社会心理学的な考察を続けている。
手触り感のあるその心理分析は、臨床の現場や自分の経験の積み重ねによって得ることのできたものなのであろう。
つまり、ロスジェネ世代の当事者であること、そして、精神科医であることの2点が本書の分析と結論を規定している。
その分析の結果、ロスジェネ世代が抱えている心理構造の問題点を指摘しているのである。
今となっては達成困難になったバブリーな経済観念・恋愛観念を抱えて苦しむのは、おそらく私達の世代が最後でしょう。昭和時代の生き方に適応した先発世代は何とか逃げ切るのでしょうし、21世紀の生き方に適応した後発世代は、これはこれで新しいライフスタイルと価値観を構築しつつある。
そのどちらから見ても中途半端なのが私達であり、私達の育ったのは移行期だったのです。
過去の中で生きることもできず、幼少の頃から刷り込まれている価値の中で生きることもできず、また、現状の中で変化していくこともできない。その状況を「病理」として捉えているのだ。
3.思春期から壮年期へとギアチェンジ
そして、そのような心理的な苦しみの中にあるロスジェネ世代の人たちへの処方箋が展開される。
つまり、思春期から壮年期へとギアチェンジしていきませんか、ということです。
若者をやめる、思春期をやめるというのは、自分の成長や発達をあきらめることではない。
そうではなく、成長や発達のスタイルや、力の入れどころを変えていきましょうよ、といいたいのです。
そして、こう続く。
もう、あなたはヒーローにもアイドルにもなれないし、今更「モテ」てもしょうがありません。それでも続いていく人生を少しでも実りと思い出の残るものにしていくためにも、年甲斐のあるスタイルを身につけていきましょうよ、と言いたいのです。
メディアが煽っていることも原因のひとつだが、世の中の関心は「若さ」を延長することばかりに向いている。「若さ」を断念すること、老いの境地に軟着陸すること。そのことはロスジェネ世代に留まらず多くの人にも必要になってくるのではないだろうか。なぜならば、「老い」は誰にでも当てはまる問題でもあるのだから。
そして、残りの人生を実り豊かなものにしていくための提案がされている。
なにより、次の世代にバトンを渡すということの個人的/社会的意義について思いを馳せて欲しいと思います。
現実を見つめ、自らを苦しめる自意識や自己愛を手懐けること。そのことが結果的に、あと半分程度残っている人生を実りの多いものにしていくのではないだろうか、と著者は問いかけるのだ。
4.個人的ケアと構造改変の両輪
本書は、ロスジェネ世代が残りの人生を出来るだけ実りのある豊かなものにしていくための処方箋ともいえる。この世代は、まさしく今、「ケア」が必要な世代なのだ。
ここで思い出されるのは、いわゆるロスジェネ論壇の存在である。現在、過去にあった言論の盛り上がりのひとつ、くらいの認識になりつつあるが、あの頃に提示された問題群は、決して解決されたわけではない。むしろ、状況は深刻化している、ともいえるだろう。
システムが移行するにあたって、零れ落ちていく存在をどのように考えるか。特殊な存在と位置付けられているものをどう扱っていくかは、そのシステムの方向性を大きく規定する。
個人的には、一般的に「弱い」立場の人たちまで行き渡るシステムを作ることは、全ての人にも当てはまるシステムを作ることでもあるのだから、そうするのが妥当なのではないかと思っている。
もちろん、ここでシステムといっているのは、行政の制度だけをいっているのではない。民間の、生活空間も含む総体としてのシステムだ。
結果的には、その方が経済的な面からみた時にも、良い可能性もあるのではないだろうか。
ロスジェネ世代の人材を活かす術を考えることは、ロスジェネ世代のみならず多くの人たちの益にもなるのではないか。そんな道を模索することも考えてみるとどうだろうか。
現状で苦しんでいる人に対するケア、それと同時に、その苦しみを産んでいる構造にも着手すること。この二つが両輪のように働くことが、今後のロスジェネ界隈の理想的な姿だと思われる。
5.時代の変わり目に生きることの葛藤
本書に示されたように、ロスジェネ世代は、70、80年代に形成された価値観を身につけながら、大きく時代が変化した90年代以降を生きなければならないという葛藤を抱えている。
この葛藤の経験を何かに活かすことはできないのであろうか。なぜそう考えるかというと、時代の変化の中で葛藤し続けたことで誕生したものは、たくさんあると思われるからだ。
例えば、近代化の過程における個人の葛藤を描いた近代文学や、60年代、70年代の政治の季節。そのような変わり目で生まれるものを、まだ、ロスジェネ世代は生み出せていないのでないか。現在、多くの人がその葛藤の中で沈黙している。
本書を通読する経験は、その可能性にも思いを馳せる機会にもなった。特にロスジェネ世代の当事者たちにお勧めしたい。
【中川康雄(なかがわ・やすお)】
文化批評。表象・メディア論、及びコミュニティ研究。旅人属性。
インディーズメディア「未来回路」主宰。
毎週月曜日に自宅ブックカフェやってます。
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