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この記事の所要時間: 329

ビッグデータビジネスの時代 堅実にイノベーションを生み出すポスト・クラウドの戦略

 「ビッグデータ」とは何か。つまりは巨大な行動履歴である。著者はその特徴を「高解像」「高頻度生成」「多様性」とまとめてみせるが、その中身はやはり巨大な行動履歴である。
 旧来のマーケティングは、過去データに基づいて、消費モデルを仮説的に作り上げ、その分析の確からしさをフィードバックすることで「お前の欲しいものはこれだ」と探り当てて売り歩いてきた。そこには概ねシナリオが併存し、「20代の若者は自家用車を欲しがる」「成人式を迎える二十歳前の娘は振袖を欲する」「ヨットを所有する人ならオメガスピードスターも欲しがる」などなどと、了解可能モデルとして存在してきた。
 ところが「ビッグデータ」はそのすべてを否定するのだ。意味など考えなくて良い、と。甲という商品を買った人の2%は乙という商品を買うという傾向が取れれば、甲という商品の横に乙という商品をただ繰り返し表示する。「ビッグデータ」の背後にいるのは巨大なマスという購入者なのだから、陳列スペースもリアルな在庫も必要とせず、ただその巨大なマスに対して2%が売れればいい。相手がどういう人なのか、何を欲しがっているのか、そんなことは考える必要はない。ただ流れを掴めばマスの力で自動的に売れていく。そしてその結果、甲という洗剤を買った人々に、混ぜると有毒ガスを発生させてしまう乙という洗剤を「おすすめ」してしまう。相手の属性も欲望も無視する様式だけが引き起こせる冷徹な帰結だ。
 「ビッグデータ」登場にはその容れ物としてのHADOOPの発展が必須だった。その基礎であるハードディスクの大容量低価格化が進んでいた頃、「そんなに大容量のハードディスクを何に使うのか?」という素朴な質問が返されることが多かったとベンダー関係者が語るのを聞いたことがある。答えはシンプルで「大きければ何かに使う、勝手に使う」ということだった。実際ストリートレベルでは、イリーガルなムーブメントとも共振して、DVDをイメージごと保存したり、動画の果てしない収集に手を染めたり、ハードディスクは幾らあっても使い切ることがなかったようにも思われる。HADOOPも全く同様で「そんなにサーバを積み込んで誰が何に使う?」と訊かれたはずだが、答えは「誰かが勝手に使う」で、「ビッグデータ」もその流れの中のひとつだろう。
 長らく人々は「お前の欲しいものは何なのか」と問い続けてきた。商売の歴史と言っても良い。欲しいものが分からないときには、同じ商品を低価格で提供することで売り、同じ商品を高機能にすることで売った。またときには「流行」として「欲望」を作り出し、買い手の心の中に埋め込んだ。コストは掛かるが、夢を売るというのはそういう商売だ、という結論もあった。けれどもそれでもなお、その改竄と敗北の裏では常に「お前の欲しいものは何なのか」と問い続けた。
 「ビッグデータ」はそんな問いに関心を持たない。おそらくは人間に関心がない。だからこそプライバシーへの無頓着さは逆に暴力的にさえなる。淡々と売り続けて利益を出す。
 そして欲望を捉え尽くすことはないだろう。欲望は自由の変名でもあるのだから、「ビッグデータ」的な何かが増せば増すほど、「Something
small」への欲望が増す。差違が価値を持ち、次のビジネスチャンスとはそういう部分に埋もれているかもしれない。(と思いながら同時に、そういう差違も「ビッグデータ」が飲みこんでいくのかもしれないな、とも思う。そういう世界も観てみたい。)

 

【時沢潤一(ときさわ・じゅんいち)】(@thequedotinfo)
音響カプラの頃からネットの住人。サンデーネット(x68ユーザの巣窟)とかNiftyの頃が最も楽しかった(という世代)。本そのものよりも本をネタにあれこれ話すのが好き。小説から思想書、ビジネス書も取扱説明書も読む。やや活字中毒。「なぜこの人はこのように考え、あの人はあのように考えるのか」というのが基本目線(興味)。グランドセオリーにはあまり興味なく個々人の抱える「事情」が好き。もっとも好きな小説はたぶんNicholson Bakerの”The Mezzanine”。

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