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この記事の所要時間: 739

芝浦慶一(しばうら・けいいち):文学サークル「ノンポリ天皇」代表。著書に『たたかえっ!憲法9条ちゃん』『ぶっころせ!刑法39条ちゃん』など。新宿ゴールデン街「無銘喫茶」木曜日担当。
blog:「ノンポリ天皇/憲法9条ちゃん」(https://d.hatena.ne.jp/politen/)
twitter:shiba_kei

聞き手:中川康雄(未来回路)

 

1.ノンポリ天皇発足の経緯

 

—— 最初に小説を書いたのはいつ頃のことなのですか?

芝浦慶一(以下、芝浦):そのことをお話する前に、そもそもノンポリ天皇の発足について少し長くなりますが、お話ししておきたいと思います。

 僕が中学2年生ぐらいの時のことなのですけれども、その頃に住んでいた場所の近くに百貨店のダイエーがあったんですが、その中のテナントとして本屋さんが入っていたんですね。ある日、そこで小学校2年生からの友達が本を読んでいたのを発見したんです。そいつの読んでいたのが文芸誌で。『文芸春秋』とか『小説宝石』とか。当時は『小説宝石』も『新潮』も『群像』も全部一緒だと思っていましたね。それでその友達に「おしゃれなものを見ているじゃないか」って言ったんですよ。そしたらその友達が「俺はそのうちこういう本に載るようになるんだ」とか言ってて。これはほんとに恥ずかしいエピソードなんですけれども。それで「あっ、そうなの?じゃあ、何か小説を書いたりしてるの?」って聞くと「書いている」、と。
 僕も当時、ふざけたドラえもんのパロディ、2次創作小説を書いていたんですね。5ミリ方眼ノートに。話しとしてはノビタがジャイアンをぶっ殺すっていうものだったんですけれども。その当時、「切れる子どもたち」みたいなものをよくニュースでやっていたので、「ノビタも切れんじゃね?」、みたいな。ノビタが切れてジャイアンをボコボコにしたら、静香ちゃんはどんな反応をするんだろうか、とか。その作品では何故かその場にドラえもんはいないんですよ。ドラえもんのいない世界の話しなんですね。ドラえもんは何故か皆の記憶から消えていて。だけれども、ノビタの心の端っこにドラえもんみたいなのがいるのです。そういうパラレルワールド、可能世界みたいなものを描いていました。分量としては大体10ページから20ページくらいで。僕は基本的にあまり長いものを書いたことがなかったです。
 それでさっきの友達と2人で同人誌を作ろうということになって。当時、僕らが住んでいたのは田舎だったし、オフセット印刷とか知らない。だから、『漫画道』で読んだ直筆回覧誌みたいな、ガリ版刷りのやつ、っていうイメージしかなくて、何か知らないけれどもコピーすればいいだろってことだったんですけれども、結局、挫折したんですね。
 それで今度は、「同人誌なんて古い」ということになって。「これからはウェブの時代、ホームページの時代だ」、と。当時は98年くらいだったので、中学生でホームページとか言っている人はほとんどいなかったんですね。それで、2000年に僕一人でホームページを作って。それが未だに続いているんですよ。当時はみんなからの詩とか小説を集めて、みんなの同人誌みたいなサイトでした。活字投稿コーナーとか作って。そこに友達や知らない人から投稿が集まってきて、いってみればウェブ上の同人誌活動ですね。

 けれども結局、24歳くらいになるまでまともに長い物語を書いたことがなかったのです。書き切るどころか書き始めたこともなかった。基本的にテスト用紙の裏とかに書いてたっていう感じなんですよね。よく漫画家になった人が、教科書の隅に落書きしていたとかそういうエピソードがありがちですが、そんな感じなんです。あとは、ホームページ用に1ページに収まるような小話みたいなのは書いてた。
結局、最初に同人誌を作ろうぜっていう会議をしてから10年ちょっと経って、ある時、僕の中にある物語の着想が生まれたんです。それは憲法9条が美少女として出てきたら面白いのではないか、と。守くんというのがでてきて「9条は俺が守るんだ」という風になったりとか、思いつく限りのネタをその友人にしゃべったんですね。そしたら「それは面白いから本にしたらどうか」ってことになって。
 その時、僕の頭の中には本を作るってことがなかったんですね。基本的にその発想自体がなかった。あと、作ったところでどうすんの、売れないじゃんとか。そしたらそいつが文学フリマのことを知っていたんです。「それじゃ、やろう!」ということになって。これがノンポリ天皇の発足の経緯ですね。
 でも、そいつが突然、「こんな活動はもういやだ」といいだしたんですね。自分から言い出したことなのに。それで、ノンポリ天皇から除名され、その友達は除名天皇となったのですが。

 

2.創作の始まりについて

 

芝浦:僕は小学校の3年生の時に、「山荘村の大事件」というアリさんが主人公の原稿用紙10枚くらいの漫画を描いています。それがすごく楽しかったんですね。
 それはがんがんアリさんが死んでいく話しなんです。山荘村というアリの村の村長さんが病気になっちゃって、隣町まで薬を取りに行って来いという。隣町に行くには迷いの森とか崖とかあってものすごく大変だから、一人じゃ危ない、と。それでアリ吉くんというアリが僕が行くと最初に立候補するんですね、みんな行きたがらないから。「でもお前、子どもじゃないか」とか言われるんだけれども、「大丈夫だよ、アリ太郎くんとかアリ良くんとかアリ光くんとかアリんこくんとかいるから」、と。それで、その道の途中でアリ吉くんはその4人の仲間を犠牲にして進んでいくんですね。例えば、崖があったらありんこくんを橋の代わりにしてその上を歩くといったように。そういうのが4回繰り返されて。最終的には全員死ぬんです。それでアリ吉くんは呪われるんですね、やっぱり。仲間がみんな死ぬ間際に呪いの言葉を吐くのです。それで最後は隣町に着いたはいいのだけれども、その呪いで死んじゃうという。一方その頃、村長は既に病気で死んでいました、と。
 それをやっぱり読者は皆子どもだから、みんなどっかんどっかん喜ぶんですね。あいつら人が死ぬと面白いから。
 それで楽しかったからまた何か書こう、と。けど、書けないんです。何故ならば、書きたいものがないから。書こうと思っているだけでは書けないんですね。割と作家志望の人ってそういうパターンが多いと思うんですけれども。物語を書きたいのだけれども、書く内容がないから書けるわけがないんですね。なので、24歳くらいになってようやく機が熟して、書きたいものが出来た、と。あと、人格的にようやく統合された、というかまとまりがでてきた、ということもあります。自分が主張したいのはこういうことだよね、という軸が出来てきた。やっとまとめることができるようになってきた。テーマがあっちこっちに行かないようになってきました。

 

3.何故、文学なのか

 

—— 表現にはさまざまなジャンルがあると思いますが、小説という形式を選択したのはどのような理由からなのですか?

芝浦:やっぱり「言葉」が好きなんですね。何かを伝える時に言葉であった方がいいと思っているんです。結局、人に何かを伝えるっていう時に、例えば音楽で伝えたって映像でもいいのですけれども、それだと情動に訴えるものになりがちのように思うんですよね。「勇気をもらいました。感動をありがとう。」、みたいなところにその人がもともと持っていたものの背中を押してあげる。確かにそれも大切だけれども、文学っていうのは、もうちょっと複雑なことが出来て。解釈の余地っていうのもいっぱいあるし。物事を伝える時に、相手任せにして感情を刺激するだけではいけないと思うんですよね。能動的なメディアと受動的なメディアの違いというか。文学は受け取り手を能動的にするメディアだと思うんです。
 つまり、僕は能動的にものを考えることが好きなんですね。ものを考える時に基本的に言葉を使いますよね。言葉を上手く使えない人は上手くものを考えることが難しいと思います。それで結局、感情や情動といったものに行動を支配される。例えば、音楽とかって受け手が信者化しちゃう印象を受けちゃうんですよね。文学でもある種のそういうのはあるんですけれども。それは言葉で考えるとかじゃなくて感じるっていうところに、感性のところに刺激の比重が大きすぎるということがあるから。例えば、スラムダンクは面白いけれどもそこで言っていることがすばらしいかというとそれはまったく別のことじゃないですか。表現の面白さと内容の確かさは別のことなのだけれども、表現にだまされてしまうってこともありえるのじゃないかと思うのです。そういうだましは嫌だなぁと思うんですね。本でもかわいい表紙とかわいくない表紙って全然違うじゃないですか。僕は売るための方便としてかわいい表紙が付けますけれども、それが内容を支配しないようには気を付けていますね。

(了)

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