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 私はインディペンデントな映画が好きだ。けれども、そのことを意識しだしたのは、そんなに昔のことではないように思える。学生時代、今はなき早稲田のレンタルビデオ屋「名画座」で映画を片っ端から観ていた頃でも、自分の好きな映画はインディペンデントなものである、という意識はほとんどなかったのではないか。それが最近、明確に意識するようになってきている。

 インディペンデントな映画が好きな理由のひとつは、作家の感覚が等身大のままダイレクトに映像に投影されることにある。それはときに、私小説のような雰囲気を湛えていたり、どこまでもアーティスティックだったり、また、社会派であったりするのだけれど、どんなに大きなスケールで作品を描き出しても、作家の意識を遠く離れてしまうことはまずないといっていいだろう。作家がこの世界のどのようにみているのが伝わってくる。

 そしてもうひとつ、明確にインディペンデントな映画を好む理由は、そこに大量の余白が残されているからだ。映像のフレームやその構成などはもちろん、それぞれ意図があって決められている。けれども、そこには作家ですらアンコントローラブルな想像の余地が大量に残されている。その余地は、作家から産まれながら作家を悠々と超えていってしまうことがある。

 生まれた場所や時代背景、そのときの科学技術などを色濃く反映しながら、そのシチュエーションへの身体の反応が映像として作品化する。意識の焦点ははっきりしながらも、計算可能性に包まれた世界を映像化するのとはまた違ったかたちの映画。それがインディペンデントな映画のように思える。
 個別的であるからこそ全てでもある、そんなふうに思える映画祭だった。その映像たちは、私たちが暮らしている世界とたしかに地続きなのだ。

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影像台北(Cinema Taipei)

Venue: Cho Why
Opening hours: 01. -29.07.2018 Thurs.-Sun. 7-10 pm
Opening Event: 30.06.2018 7 pm @Cho Why and Darkle’s Den, with other collateral events of the Bangkok Biennial